パトリック・スウェイジ:恋愛映画の常連イケメンが送った人生

1990年代のアイドル
俳優になる前はダンサーだった
ダンススクールを経営していた母
スポーツかダンスか
膝のケガで俳優に転身
コッポラ監督の映画に出演
『ダーティ・ダンシング』
ダンス講師役
『ダーティ・ダンシング』のサウンドトラック
『ゴースト/ニューヨークの幻』
興行的な成功
ターニングポイント
キアヌ・リーブス主演の『ハートブルー』
さらなる恋愛映画
80~90年代を代表するイケメン
『ダーティ・ダンシング』のスピンオフ
妻のリサ・ニエミが脚本・監督
『ダンシング・ハバナ』
ベテラン俳優として
膵臓ガン発覚
ガンと闘いながら仕事を続けたパトリック
2009年に逝去
多才なアーティスト
1990年代のアイドル

イケメンぶりと才能、親しみやすいキャラクターで一世を風靡したパトリック・スウェイジ。

俳優になる前はダンサーだった

1952年8月18日にテキサス州ヒューストンで誕生したパトリック・スウェイジ。ブロードウェイで俳優業を始めるまではダンサーとして活動していた。

ダンススクールを経営していた母

母のパッツィ・スウェイジは「ジャズ・バレエ・カンパニー」というダンススクールを経営しており、パトリックは自然とダンスを身に着けることとなった。

スポーツかダンスか

大学に進学したパトリックはスポーツ、とりわけ体操を極めるつもりだったようだ。しかし、ディズニーショーに招待されて参加したこともあって、次第にダンスを優先するようになる。

 

膝のケガで俳優に転身

パトリックが俳優に転身するきっかけとなったのは膝のケガだった。これ以上、スポーツを続けることができなくなってしまったため、以前から親しんでいた芸能界に本格的に飛び込むことにしたのだ。どんな役を演じる場合でも、ダンスとアクションに人一倍秀でていたのは言うまでもない。

写真:TVドラマ『The Renegades』(1982年)のポスター

 

 

 

コッポラ監督の映画に出演

1983年、パトリックは俳優として大きな一歩を踏み出す。フランシス・フォード・コッポラ監督の『アウトサイダー』で大役を射止め、トム・クルーズやマット・ディロン、エミリオ・エステベスといった若手たちと共演を果たしたのだ。

 

『ダーティ・ダンシング』

パトリックにとって、キャリア最大の当たり役となったのは『ダーティ・ダンシング』(1987年)のジョニー・キャッスル役だろう。この作品でパトリックはダンスの才能を存分に発揮しつつ、観客の心に訴える演技を披露することができた。

ダンス講師役

というのも、パトリック演じるジョニーはダンス講師という設定だったのだ。この作品でパトリックは女優のジェニファー・グレイとロマンチックなペアを組み、ゴールデングローブ賞にノミネートされることとなった。

『ダーティ・ダンシング』のサウンドトラック

しかも、パトリックはサウンドトラック用のシングル曲「She's Like the Wind」を作曲。「Billboard Hot 100」で3位にランクインするという世界的な成功を収めた。

『ゴースト/ニューヨークの幻』

このとき以来、パトリックのもとにはハリウッド映画への出演依頼が次々に舞い込むようになった。たとえば、1990年のロマンス映画『ゴースト/ニューヨークの幻』では、デミ・ムーアやウーピー・ゴールドバーグと共演。

 

興行的な成功

『ゴースト/ニューヨークの幻』は興行収入で2億ドルを突破。パトリックの演技も評価され、2度目となるゴールデングローブ賞ノミネートとなった。

ターニングポイント

『ゴースト/ニューヨークの幻』のストーリーは世界中の観客を感動させるものだった。パトリック演じるサムはガールフレンドのモリー(デミ・ムーア)を守るために命を落とすが、幽霊として地上に留まるのだが…… この作品はパトリックにとってもデミ・ムーアにとってもターニングポイントとなった。

キアヌ・リーブス主演の『ハートブルー』

1991年、パトリックは『ハートブルー』でキアヌ・リーブスと共演。常に冒険を追い求める主人公たちを描いたアクション映画であり、『ダーティ・ダンシング』や『ゴースト/ニューヨークの幻』とは毛色の違う作品だ。

さらなる恋愛映画

しかし、パトリック・スウェイジがもっとも輝くのは恋愛映画だった。『Forever Lulu』(2000年)ではメラニー・グリフィスと、『ウェイキン・アップ・イン・リノ』(2002年)ではシャーリーズ・セロンと共演を果たしている。

80~90年代を代表するイケメン

パトリックが恋愛映画にたびたびキャスティングされたのは、彼が90年代を代表するイケメンだったからだ。実際、1991年には『ピープル』誌が選ぶ「最もセクシーな男」に輝いている。

『ダーティ・ダンシング』のスピンオフ

2003年には『One Last Dance』に出演、当たり役のジョニー・キャッスルをふたたび演じたパトリック。この作品は『ダーティ・ダンシング』のスピンオフで、ニューヨークを舞台とした恋愛ものだ。しかし、何といっても注目すべきは、振り付け指導を行ったのがパトリックの母、パッツィだったということだろう。

 

妻のリサ・ニエミが脚本・監督

さらに、脚本と監督を務めたのは妻で女優のリサ・ニエミだったとあって、作品は家族制作の様相を呈した。ちなみに、2人の出会いはかなり以前にさかのぼる。リサがまだ15歳だったころ、パッツィのダンススクールで知り合ったのだ。

 

『ダンシング・ハバナ』

けれども、話はこれで終わりではない。『ダンシング・ハバナ』でパトリックはみたびダンス講師役を演じることになったのだ。ストーリーは基本的に前作と同じだが、革命真っ最中のキューバが舞台だ。

写真:プレミア上映に姿を見せたパトリック・スウェイジとディエゴ・ルナ。ロサンゼルスにて。

ベテラン俳優として

ベテランとして映画界を代表する俳優となったパトリックは、SF映画『Jump!』(2007年)やヒューマンドラマ『Powder Blue』(2009年)に出演。さらに、A&E放送が制作したTVドラマ『The Beast』にも登場、ベテランFBI職員チャールズ・パーカー役を演じた。

膵臓ガン発覚

ところが2008年、パトリックはステージ4の膵臓ガンを患っていることが発覚。本人は慢性的な消化不良による痛みだと軽く考えていたようだ。

ガンと闘いながら仕事を続けたパトリック

しかし、パトリックは『The Beast』への出演をやめようとはしなかった。撮影に臨むかたわら、化学療法を受けガンと闘うことにしたのだ。

2009年に逝去

およそ2年間におよぶ闘病生活の後、パトリックは2009年9月14日にこの世を去った。享年57歳。

多才なアーティスト

俳優としてだけではなくダンスや作曲でも才能を発揮したパトリック・スウェイジ。恋愛映画のスターとして人々の記憶に長く刻まれ続けることだろう。

 

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