米女優サラ・ジェシカ・パーカーの苦難に満ちた幼少期から資産2億ドルを築くまで

過酷な幼少期を経て大富豪に
両親の離婚と母の再婚
「ディケンズの小説で描かれているような貧しさ」
生活保護の引け目
「満たされないことは良きこと」
のどかな子供時代
母と継父の支え
大都会への引っ越し
ブロードウェイデビュー
困難をバネに
感情を抑え込んでいた少女時代
子育ての金科玉条
手堅い投資家
兄弟も有名
「新しい億万長者の街」に居住
シンデレラストーリー
過酷な幼少期を経て大富豪に

生粋のニューヨーカーというイメージのある女優サラ・ジェシカ・パーカー。しかし生まれはオハイオ州、ネルソンヴィルの炭鉱町だった。1965年のことである。彼女は8人兄妹の4番目の子どもだった。

両親の離婚と母の再婚

パーカーがまだ3才のとき、両親は離婚した。学校教師の母はその後すぐに再婚したが、再婚相手には連れ子が4人いた。そんな大家族を経済的に立ち行かせることは、当然ながら骨の折れることだった。

写真:サラ・ジェシカ・パーカーの母, sarahjessicaparker / Instagram

「ディケンズの小説で描かれているような貧しさ」

サラ・ジェシカ・パーカーは『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューで、その子供時代を「ディケンズ風の貧乏」と形容している。「ときには電気が止まりました。ときにはクリスマスも誕生日もなしです。集金人がドア口に立ったり、電話会社から電話がかかり、『おたくの回線、切らせてもらいます』と言われることもしょっちゅうでした」

生活保護の引け目

『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューで、彼女は生活保護を受けていたことで感じていた引け目について語っている。「他の子たちとは違うんだなと感じていました。他の子たちは、ランチにお金を払ったり、家からランチを持ってきたりしていましたから」

「満たされないことは良きこと」

経済的に苦しい家庭だったが、パーカーが『ピープル』に語るには、「おおむね、私たちは必要なものはすべて手に入れることができていました。そして、欲しいと思うものをすべては手に入れられないということは、良きことなのです」。彼女はさらに、一家にはたくさんの愛と文化とアートがあり、いつでも何かしら取り組むことがあったと語っている。

のどかな子供時代

パーカーは『ピープル』に、自身の子ども時代をいくぶんのどかなものだったと説明している。「わたしたちは街灯が点くまで外におっぽり出され、新しい遊びを考えたり、バレエのレッスンを受けたり、映画やバレエやオペラを見に行ったりして過ごしました。その頃はまだ、公共の文化活動にそれなりのお金が投じられていたんです」

母と継父の支え

経済的な制約がありながらも、パーカーの母と継父は、演技方面における彼女の関心をはぐくんだ。彼女は幼いうちからバレエと歌のクラスに通いはじめ、熱心に稽古し、やがてその分野でキャリアを積み、たくさんのお金を稼ぐようになるのだった。

大都会への引っ越し

パーカーが9才のとき、一家はシンシナティへ引っ越す。そこからさらにニューヨーク州ドブス・フェリー、最後にニューヨーク市に引っ越す。これらの転居はなにより、パーカーのキャリアのためを考えてのことだった。

ブロードウェイデビュー

11才のとき、パーカーは舞台『The Innocents』で初めてブロードウェイの役を射止める。これでキャリアにはずみがついた。14才のとき、彼女はブロードウェイの舞台『アニー』で主役をつとめる。のちに『ニューヨークタイムズ』に語ったところによると、彼女とそのきょうだいが当時稼いだお金は、その大半が一家の支出として消えていったという。

困難をバネに

地元で一番貧しい子どもだったおかげで、精いっぱい仕事に取り組む姿勢が育まれたと、彼女は『ピープル』に語っている。「私はプロになりたかった。自己満足のためだけではなくて、お金の心配をしないで済むようになりたかったし、周りの人もお金の心配をしないで済むようにしたかった」

感情を抑え込んでいた少女時代

『ハフポスト』のインタビューで、パーカーは自らの感情をオープンに語れるようになったと話している。「以前の私は、自分の感情を誰にも話したりしませんでした。というのも、私の印象では、あまりに多くの人が私のことを落ち着きがあり、心がかき乱されない人間というふうに考えており、そんな私を頼りにしているように思えたからです。私を見るとほっとする、みたいな」

子育ての金科玉条

現在3児の母で、自分と同じくらい有名な俳優である夫、マシュー・ブロデリックと暮らす彼女は、子供たちを甘やかさないことにかけてはうるさい。「私は子どもたちが欲しがるものを与えてやりません。心から何かを求め、働いてそれを得るべきだと私は考えています。そうすれば、その何かを手に入れることは、彼らにとって大きな意味を持ちます」

手堅い投資家

子供時代の貧乏は、ニューヨークタイムズの解説によると、彼女を堅実な投資家にした。大金をつぎこむことは滅多にないが、マーケットの動きはこまめにチェックしていると、彼女は家庭実用誌『Good Housekeeping』に語っている。また、過去にはいくつかのすばらしい不動産取引も行なっている。

兄弟も有名

パーカーは『Good Housekeeping』誌に、家族とは “とても” 仲が良いと語っている。彼女の兄弟姉妹のほとんどはニューヨークにとどまっている。実のところ、エンタメ業界で成功したのは彼女だけではない。兄のティモシー・ブリッテン・パーカーは役者、弟のピピン・パーカーは劇作家、演出家であり、ニュースクール大学ドラマ部門の学部長だ。

「新しい億万長者の街」に居住

子供時代、彼女の表現によれば「散らかっていてカオスな」家に住んでいたパーカーは今、グリニッジ・ヴィレッジのウェスト11番ストリートに居住している。『ウォール・ストリート・ジャーナル』は当地に「新しい億万長者の街」というあだ名をつけた。近所にはリヴ・タイラー、ルパート・マードック、ソフトバンクのCEOが住んでいるのだ。

シンデレラストーリー

パーカーの人生は事実シンデレラストーリーといえる。働き者で、才能があり、お金にも賢く、おそらくは適度な幸運に恵まれて、セレブの資産情報サイト『Celebrity Net Worth』の推定によると、およそ2億ドルの資産を築き上げたのである。

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