反プーチン派の若手ビリオネア:テレグラムを創設したパーヴェル・ドゥーロフ
パーヴェル・ドゥーロフは西側諸国での知名度はあまり高くないが、メッセージアプリ「テレグラム」の共同創設者であると同時に、プーチン政権にとっては気がかりな人物だ。2012年には『ハフィントン・ポスト』紙に「ロシアのザッカーバーグ」という異名を付けられている。
『フォーブス』誌によれば資産は推定150億ドルあまり。ベジタリアンでお酒は一切口にしないというが、一体どんな人物なのだろうか?
1984年にサンクトペテルブルク(当時のレニングラード)で誕生したパーヴェル・ドゥーロフ。父はサンクトペテルブルク大学の文学教授だった。
同校の卒業生プーチン大統領も1990年代初頭、母校に勤務しており、当時古典文学科の学科長を務めていたドゥーロフの父とは同僚だった。
写真:サンクトペテルブルク大学の元教授、アナトリー・サプチャークの記念碑を除幕するプーチン大統領。
2006年に大学を卒業したパーヴェル・ドゥーロフは、マーク・ザッカーバーグがFacebookを創設したのとほぼ同時期に、兄のニコライと共同でロシア最大のSNS「フコンタクテ」を設立した。
VKの略称で知られるフコンタクテ(VKontakte)は、そのころ成長目覚ましかったFacebookに触発されて生まれたSNSだ。しかし、フコンタクテは非常に規制が少ないことで注目を浴びるようになった。
ドゥーロフがロシア当局と最初に衝突したのは、2011年の国家院(ロシア下院)選挙においてだった。
『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、ドゥーロフは、VKから対立候補のアカウントを削除するようにというロシア政府の要請を突っぱねたのだ。
ドゥーロフは、パーカーを被ったハスキー犬が舌を突き出している写真をツイッターに投稿して意思表明。これに対し、警察は特殊部隊を自宅に送り込んだ。
『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、この事件によってドゥーロフは兄やビジネスパートナーと安全に連絡をとる方法がないことに気づいたのだという。2013年にサービスを開始したTelegramのアイデアはこのとき生まれたのだ。
一方、VKとロシア政府の衝突は何年も続くことになった。2014年のクリミア併合時には、親ウクライナ派の人々の個人情報引き渡しを頑なに拒んだ。
ドゥーロフはまた、野党党首アレクセイ・ナワリヌイのVKアカウント凍結も拒否した。
結局、プーチン政権に近い投資家たちがVK株の48%あまりを購入、ドゥーロフを追放した。
ドゥーロフはセントクリストファー・ネイビスに移住し、市民権を取得した。
写真:Holger Woizick / Unsplash
ドゥーロフはこの島でTelegramの開発に取り組んだ。Telegramの通信はエンドツーエンドで暗号化されており、イランや中国、キューバなど政府による情報統制が敷かれている地域では反体制派が活用するようになった。
一方で、Telegramの規制は緩すぎるという批判もある。米国や欧州連合(EU)では、誤った情報、ヘイトスピーチ、違法コンテンツなどを助長しているとしてやり玉に挙がっているのだ。
ロシアの司法当局は2018年から2020年にかけてTelegramを禁止。これに抗議する人々はパーヴェル・ドゥーロフを聖人に見立てた肖像画を掲げてデモを行った。
『タイム』誌によると、すでに10億ダウンロードを突破したTelegramはウクライナ侵攻におけるサイバー戦の舞台になっているという。
しかし、前出のナワルヌイをはじめ、Telegramはロシア政府と協力しはじめたと非難する人もいる。最近、地方選挙中に「スマート投票」のチャネルを凍結するなどしたためだ。
とはいえ、ロシアの反体制派やウクライナの人々から支持を集めるTelegram。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領をはじめ、ウクライナの政府関係者たちもTelegramの公式チャンネルを通して人々に情報を発信し続けている。
ロシアとウクライナがTelegram上で情報戦を繰り広げる今、パーヴェル・ドゥーロフが時代のキーパーソンとなったことは疑いの余地がない。