独裁者の埋葬地:ヒットラーを始め、悪名高い権力者たちの行き先とは
権力を手にした指導者は、ときに残忍で暴力的な独裁者となることがある。歴史上もっとも悪名高い独裁者たちは、どこに埋葬されているのだろう?
モスクワの赤の広場には、防腐処理が施されたソビエト革命の指導者レーニンの遺体が安置されている。ロシア史の重要な一部をなす彼の遺体は、永きにわたりそこに眠り続けるだろう。
スペインの独裁者フランシスコ・フランコの遺体は、マドリード近郊の山にある慰霊施設「戦没者の谷」の巨大な聖堂内に埋葬されていた。極右グループの聖地的存在にもなっていたので、数ヶ月に及ぶ係争の末、社会労働党政権はフランコの遺体を掘り起こし移転することにした。現在、フランコは妻が眠るマドリッド郊外パルドの公共墓地に葬られている。
イタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニは銃殺された後、遺体はミラノへ移され街中で逆さ吊りにされた。遺体は一度埋葬されるが、ファシストらに盗まれる。その経緯から、遺体はイタリア当局によって12年間秘密裡に保管された。最終的に家族に引き渡され、ムッソリーニの故郷プレダッピオにあるサン・カッシャーノ墓地に埋葬されている。
自殺したナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの遺体は、ガソリンをかけて燃やされた。ムッソリーニの遺体が逆さ吊りにされ辱めを受けたことに、ヒットラーは強い危惧の念を抱いていたからだ。遺体の残骸はベルリンを包囲していたソ連によって秘密裡に埋められる。1970年、ソ連は遺骸を掘り起こし、エルベ川の支流ビーデリッツ川に散骨した。
独裁者スターリンの遺体もまた防腐処理が施され、長年の間レーニンと同じく赤の広場に安置されていた。しかし、1960年代初頭から始まった政府による非スターリン化で、遺体はクレムリンの壁の傍らにある質素な墓に移された。墓には現在も多くの共産主義者が訪れている。
中国革命の指導者で、独裁者でもある毛沢東の遺体は、天安門広場の霊廟に安置され、今なお多くの人が拝礼に訪れている。
チリの独裁者アウグスト・ピノチェトは、バルパライソにある家族の礼拝堂に埋葬された。
写真 En Todos Lados !!!'s. - 07, cc by 2.0, https://commons.wikimedia.org
『ラスト・キング・オブ・スコットランド』のモチーフとなったウガンダの独裁者イディ・アミン・ダダは、亡命先のサウジアラビアに埋葬されている。ウガンダの政治家の中には、彼の遺志を継ぎ遺骨を母国に戻すことを主張する人もいるが、国民の大多数は、この独裁者に良い印象を持っていない。
ドミニカの独裁者レオニダス・トルヒーヨ(写真右)は、自宅近くで暗殺される。後にトルヒーヨの一族が亡命したマドリードのパルド墓地に埋葬された。
パラグアイで大統領を務め、独裁者として君臨したアルフレド・ストロエスネルは、亡命先のブラジルの首都ブラジリアの市営墓地に埋葬された。彼の家族は、国葬を行うために遺体を本国へ送り返そうとしたが、うまくいかなかった。
アルゼンチンの独裁者ホルへ・ビデラは、終身刑判決を受け収監されていた刑務所で、老衰のため死去した。ブエノスアイレスにある家族の墓地に埋葬されたが、彼の名前は墓石に刻まれていない。
アルゼンチンの独裁者の妻、エバ・ペロンの遺体は、防腐処理が施され労働総同盟の本部に展示されていた。1955年、遺体が兵士に盗まれたのをきっかけに転々とする。後にイタリアに空輸され、1971年にペロンの亡命先であるマドリードに送られたが、最終的にアルゼンチンへ返還された。現在はラ・レコレッタ墓地に安置され、多くの人々が訪れている。
レジスタンスの象徴で、国民的英雄のアウグスト・サンディーノは、1934年、ニカラグアの独裁者アナスタシア・ソモサに射殺され埋められた。遺骨は発見されていない。その後、革命に成功したサンディーノ主義者が権力を取り戻した時、報復行為があった。
2016年に死去したキューバ革命の指導者カストロは、革命発祥の地サンティアーゴ・デ・クーバのサンタ・イフィヘニア墓地に埋葬された。
イスラム過激派テロリストのウーサマ・ビン・ラディンは、米国海軍特殊部隊による軍事作戦で殺害された。いくつかの証言によると、彼の墓が狂信的な信者の聖地となるのを防ぐため、水葬された。