米国で多数の犠牲者を出した3つのカルト宗教事件:人々を震撼させた悲劇の指導者たちとは
日本社会に度々大きな波紋をもたらしているカルト宗教だが、同様の問題はアメリカにも存在する。かつてアメリカ社会を揺るがしたカルト団体にはどのようなものがあるのだろうか。
ポッドキャスト「カルトを語る」を運営しているサラ・スチールは自著『Do As I Say(原題)』でカルト宗教の「魅力」について語っている:「カルト宗教は人間の種としての弱みにつけこんでくる。受け入れられたい気持ちや、集団に属したい気持ち、人とつながって安心したい気持ちなどだ。カルト宗教の指導者が他人を操り、支配し、コントロールしようとするのは、悲しいことだがそれが非常に人間的な振る舞いだからでもある。ひとたびこのことを理解すれば、カルト宗教的な要素が社会の様々な場所に存在することを見て取れるだろう」
このギャラリーで、アメリカの有名なカルト宗教にどのようなものがあるのかチェックしてみよう。どのような指導者がどういった理念のもとで設立したのか。そしてどのようにして信徒を集め、コントロールしたのかを見てみよう。
写真:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア人道賞を受け取るジム・ジョーンズ(1977年), Nancy Wong, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons
1969年夏、「マンソン・ファミリー」という集団を率いていたチャールズ・マンソンの指揮のもと、凄惨な殺人事件が起きた。この事件で少なくとも7人の命が奪われ(一説では最大35人にもおよぶとされる)全米を震撼させた。1980年代から90年代にかけて、全米各地で数万人の子どもたちが悪魔崇拝者に殺されているという陰謀論が流行したが、そのような発想がもたらされる原因のひとつにこの事件が存在すると指摘する人もいる。
『スミソニアン』誌によると、マンソンは西部劇撮影用のスパーン牧場を拠点として信者たちを支配していた。信者は女性が多く(「マンソン・ガールズ」と呼ばれていた)、マンソンは彼女たちに住む場所を提供する代わりに性的なサービスを要求していた。
マンソン・ガールズには10代後半から20代の若い女性が多く、当時流行していた「フリーラブ」の精神を実践しているということになっていた。マンソンはこの女性信徒の見た目を利用して、男性もコミュニティへと誘引していった。『Biography.com』も指摘しているように、有名バンド「ビーチ・ボーイズ」のデニス・ウィルソンも1968年の夏をチャールズ・マンソンの家で過ごしているのだ。
一般的にはマンソンは人種間戦争を引き起こそうとしていたと語られることが多いが、実際に引き起こした殺人事件を見てみると、その背景にはハリウッドでうまく行かなかったことへの逆恨みも反映されているようだ。特に、プロデューサーのテリー・メルチャーがマンソンの奇矯な言動を理由に距離を置き始めた頃からその傾向は強まっていった。
その後起きた凄惨な事件では、映画監督ロマン・ポランスキーの妻で妊娠中だったシャロン・テート(写真)やコーヒー財閥の後継者アビゲイル・フォルジャーなどが殺害されたが、現場となったのはまさにテリー・メルチャーがかつて住んでいた家だった。ここにハリウッドでうまく行かなかったことへのマンソンの執着を読み取る専門家も存在する。
マンソンは殺害現場にこそ居合わせなかったものの、裏で計画を主導したことが認定され、1971年に7件もの第一級殺人の罪で有罪判決を受けた。
その後、マンソンは2017年に83歳で死亡するまで生涯刑務所を出ることはなかった。マンソン・ファミリーの起こした事件は50年が経過した今でもその衝撃的なインパクトを失っておらず、多くの映画や本の題材となっている。
画像:医療施設にいるマンソン(1984年)
1950年代、それまでは熱心な公民権活動家として知られていたジム・ジョーンズが「人民寺院」という宗教団体を結成した。社会主義を標榜し人種間の平等を主張する、政治的に急進的な団体だった。
社会を良くするための活動に身を投じて名を成したジョーンズだったが、1978年にガイアナのジョーンズタウンで起こした一連の悲劇的事件によって怪物的な人物として名を残すこととなってしまった。
画像:Nancy Wong, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons
『ローリング・ストーン』誌が書いているように、ジム・ジョーンズの起こした事件は大変なもので、「2001年に同時多発テロが発生するまで、1978年11月18日にジョーンズタウンで起きた悲劇は、人為的に発生した事象が原因でアメリカ市民が一度に死亡した数において最大のものだった」
ジョーンズが設立した「人民寺院」は1970年代に人気が高まり、ある推計では数千人の信者を擁していたと見られている。また、ハーヴェイ・ミルクなどのサンフランシスコの政治家からの支持も得ていたとされる。
だが、1977年にジョーンズに対する会計不正や虐待などの告発が起きるとメディアによる報道攻勢がかかり、ジョーンズは精神に失調をきたし始めた。批判を逃れつつ信徒への影響力は保つために、ジョーンズはガイアナのジョーンズタウンにユートピアがあると言い、信徒を引き連れて移住した。
しかし、ジョーンズタウンはユートピアには程遠かった。ジョーンズはアンフェタミンやバルビツール系の睡眠薬などを濫用し信徒には厳格なルールを強制、軍隊的な模擬訓練も課すなどした。食料も乏しく、まさに悪夢的な状況となった。
信者の家族から様子を見てきてほしいと言われたアメリカの下院議員、レオ・ライアンが代表団を引き連れて視察に来たことで事態はさらにエスカレートする。視察を終えて帰国しようとした代表団を「人民寺院」の武装警備隊が銃撃しライアンほか4名を射殺したのだ。
画像:銃撃事件直後に警察に拘束される「人民寺院」信者のラリー・レイトン(1978年11月18日)
ライアンの射殺を受けて、ジョーンズは900人以上の信徒に自殺を指示、まずはコミュニティにいた300人ほどの子どもたちから決行させた。
信徒たちは青酸化合物を混ぜたジュースを飲むよう強制された。英語で「クールエイドを飲む」というと突飛な信念から破滅的な行為を行うことを指すのはこの出来事が由来だ(ちなみに、実際に信徒が飲んだのはクールエイドではなくフレーバーエイド)。教祖のジョーンズは飲み物こそ飲まなかったようだが、頭部に銃弾を打ち込んだ遺体となって発見された。
「ヘヴンズ・ゲート」はマーシャル・アップルホワイトとボニー・ルー・ネトルズが創設したカルト宗教だ。アメリカのカルトとしては初めてインターネットを通じて信者を募集し、ウェブを通じて資金を集めたことでも知られている。
ウィキペディアによると、ネトルズとアップルホワイトは1972年に知り合い、ふたりで神秘的な事象を探求していったのだという。やがてふたりは自分たちが神の啓示の目撃者であると考えるようになり、1970年代中頃には数百人の信徒を集めるに至っていた。
アップルホワイトは自らがイエス・キリストの末裔であり、「進化論的に人類を超越するレベル」にあると主張していた。1976年には数十人のコアメンバーが選出され、布教活動をやめてある種の修道的な生活に入った。
アップルホワイトとネトルズに従っていた人たちは多くが優れた教育を受けた人々だった。ふたりはどうやってそんな人たちに対して、自分たちの人間性を捨てて「次のレベル」もしくは「進化論的に人類を超越するレベル」に到達すれば地球外的な存在になることができるなどと信じ込ませることができたのだろうか。
多くの研究者が指摘しているのは、1970年代当時はこの種の「オルタナティブな」信仰が一般大衆に広く受け入れられていたということだ。「ヒストリー・チャンネル」によると、1975年にはネトルズとアップルホワイトは「カリフォルニアとオレゴンのオルタナティブなスピリチュアル・シーンにおける不動の存在」となっていたという。
ふたりは「ニューエイジ」をテーマにした店舗も開設し、自分たちの信念を伝える「講義」も開いていた。いわく、地上の生はあくまでも経過的な時期なのであって、ここでは悪と戦うことを学ばねばならない、そしてやがては人間の物理的形態を超越して「完全な存在」へと変身する……ということらしい。
画像:報道番組「20/20」より
『ヘヴンズ・ゲート:アメリカのUFO教団』の著者ベンジャミン・ゼラーも指摘するように、「ヘヴンズ・ゲート」は自らこの名を自称したことはなく、自分たちのことはただ「講義」と呼んでいた。ネトルズとアップルホワイトは先生に過ぎず、信徒は生徒であるというわけだ。高等教育を受けた信者が多かった理由の一端もこのあたりにあるのかもしれない。
1985年、ネトルズが癌で死亡したことがきっかけとなり、事態はより不穏になっていく。ネトルズの死は教義に反することだったのだ。アップルホワイトとネトルズは信徒たちに、自分たちは生きながらにして完全な存在に変身すると言っていたためだ。
ネトルズの死というあまりにも人間的な事態を前にして、アップルホワイトは教義を現実に即して変えていくしかなかった。その結果、信徒たちは「次のレベル」へと移行するためには不完全な人間の身体を捨てねばならないということになった。したがって、ネトルズは実際は死んだのではなく、次のレベルに移ったのであり、エイリアン身体を獲得して元気に生きているとされた。
そして1997年3月26日、ヘヴンズ・ゲートの信徒ら39人が一斉に自ら命を絶ち、地上から「出発」しようとした。この出来事はヘール・ボップ彗星が地球のそばを通過する時を選んで行われており、信者たちはエイリアンの宇宙船が彗星の後ろについていっていると信じていた。
画像:ヘール・ボップ彗星, w:User:Mkfairdpm from English Wikipedia, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons
この出来事は世界中を震撼させ、いったいどうしてこのような悲劇が起きたのかという疑問が沸き起こった。捜査の結果、「出発」に際しては複数の薬物やアルコールが摂取され、プラスチック製の袋を頭に被って窒息していたことが判明している。
「出発」した39人のメンバーは全員お別れのビデオと手紙を遺していった。捜査の結果、男性信徒の中には儀式に先立って去勢されていた人が複数いたことが判明している。教団は性行為を固く禁じており、アップルホワイトは去勢することでプラトニックな関係構築に役立つと信じていたからだ。2020年、『ヴァイス』誌はいまでも4名の信者が存在することを報じている。
画像:「出発」が執り行われたサンディエゴの家