短距離金メダリスト、ティム・モンゴメリの栄光と失墜
アメリカの元陸上競技選手であるティム・モンゴメリは、1990年代後半から2000年代前半にかけて100メートル走と400メートルリレー走で活躍した。
オリンピックでは1996年アトランタ大会と2000年シドニー大会の400メートルリレー走に登場し、それぞれ金メダルと銀メダルを獲得した。
世界選手権では、1997年の100m走で銅メダル、1999年の400メートルリレーで金メダル、2001年の60m走で銀メダルを獲得した。
モンゴメリの100m走自己ベストは、1997年に記録した9.92秒だ。2002年には9.78秒という当時の世界記録を叩き出したのだが、その記録はのちに抹消されたのである。
2002年の世界記録はある意味で、モンゴメリが後にひきおこす一連のスキャンダルの序章だったといえる。気がつくと彼は、「バルコ・スキャンダル」と呼ばれるドーピング騒動の渦中にあった。
事態が大きく動いたのは、2004年のオリンピック代表選手選考会が始まる少し前のことだった。米国アンチ・ドーピング機構(USADA)は、モンゴメリが運動能力向上薬(PED)を使用したと指摘したのである。スポーツ仲裁裁判所による裁定の結果、モンゴメリには2年間の活動停止が申し渡され、2001年3月以降のすべての成績が抹消されることになってしまった。
モンゴメリはサンフランシスコ・ベイエリアの栄養補助食品会社「バルコ」の創業者であるビクター・コンテから運動能力向上薬を入手し、ドーピングによって100m走世界記録を出したのである。
バルコ社のビクター・コンテはトップアスリートたちに、「クリア」と「クリーム」のセットを販売していた。「クリア」のほうはステロイドに似た効果のある注射薬で、アスリートが肌に塗り込む「クリーム」は、ホルモン剤であるテストステロンとエピテストステロンが混ざったものである。この「クリーム」のおかげで選手たちはドーピング検査をごまかすことができたという。
バルコ社への捜査が大きく報じられ、妻のマリオン・ジョーンズ(同じく短距離選手)にも薬物使用疑惑が持ち上がると、モンゴメリは現役引退を発表した。そして2008年、彼はシドニーオリンピックで成長ホルモンとテストステロンを使ったことを認めた。
トップアスリートとしての評判が地に落ちてしまったモンゴメリだが、ほかにも違法行為が発覚。現役引退後、いくつかの罪で刑務所に行くことになるのだ。
2006年、モンゴメリは詐欺と資金洗浄の容疑で起訴、逮捕された。小切手の偽造に関わるなどして銀行から数百万ドルを騙し取ったのである。
モンゴメリはこの詐欺計画に加担することで報酬を受け取ったとされ、2007年4月に有罪が確定、2008年5月に46か月の禁固刑が申し渡された。
この判決の二週間前、モンゴメリはヘロイン100グラムをハンプトン・ローズ界隈(バージニア州南東部)で売った容疑で逮捕されていた。
地方紙『バージニアン・パイロット』によると、モンゴメリは容疑について身に覚えがなく、逮捕は思いがけない出来事だったと語っている。
2008年10月、モンゴメリはヘロインの密売で有罪判決を受け、5年間の禁固刑が決まった。
服役を終えたモンゴメリは、自身のビジネスを立ち上げた。スポーツトレーニングとフィットネスの会社である。彼のモットーである「自分の能力をみくびらない」は、アスリート時代の成功と引退後に直面した逆境を貫くテーマなのだ。