競技場で槍が肩に突き刺さった陸上選手サリム・スディリ、復帰して自国記録更新
2007年7月13日、フランスの走り幅跳び記録保持者サリム・スディリ選手の人生が一変する大事件が起きた。トラックの片隅で着替えようとしていたところ、飛んできた槍が直撃してしまったのだ。
槍を投げたのはフィンランドの槍投げ選手、テロ・ピトカマキ。狙いを大きく外した槍がスディリの後ろから肩のあたりに当たってしまった。
スディリは衝撃でその場に倒れ伏し、競技場全体が騒然となった。すぐに病院に運ばれ、15日後に退院。それでも半年の間は静養を命じられた。この悲劇に見舞われたスディリの経歴を振り返ってみよう。
スディリは1978年8月26日、フランスのコルシカ島アジャクシオで生まれた。フランス中部のロワレ県モンタルジのクラブで研鑽を積み、走り幅跳びの才能を花開かせて行った。
2002年、24歳の時にはヨーロッパ選手権に参加、8.03mという記録で3位に輝いている。
翌2003年にはバーミンガムではじめて室内大会に参加。しかし結果は7.63mと本領を発揮できなかった。
2004年には再びヨーロッパ選手権に参加し、8.24mと自己記録を更新。1998年にカデル・クルシが出したフランス記録の8.30mにも迫る好記録で大会との相性の良さを見せつけ、見事2位となった。
こうした好成績を受けてアテネオリンピックにも参加したが、記録は7.94mで12位に終わってしまった。
2005年にはフランスで開催される国別対抗陸上競技大会「デカネーション」と地中海競技大会で優勝、記録はそれぞれ7.97mと8.05mだった。ヘルシンキでの世界大会でも8.21mと好記録を残したが、周りの好成績もあって5位という結果だった。
2007年にはバーミンガムで開かれたヨーロッパ室内陸上競技選手権大会で8.00mを跳んで銅メダルを獲得、キャリアにとって非常に大きな年となった。
そして2007年7月13日が訪れる。スディリはローマで開催されたIAAFゴールデンリーグ(現ダイヤモンドリーグ)に参加していた。事件が起きたのはスディリが自身のプレーを終えて着替えようとしている時だった。
仏紙『ウエスト=フランス』が2023年に行ったインタビューでスディリはこう語っている:「競技を終えた時のことでした。着替えてスタジアムを出ようとしたら、槍がゾーンを超えて飛んできて、直撃しました」
「死んでいてもおかしくありませんでした。15日入院して、6ヶ月間安静を命じられました。その後は完治したと思われがちですが、そんなことはまったくありません。精神的には非常に複雑な問題が残りました。何をしていても事故のことを思い出してしまうのです」
検査の結果、槍は体内に20〜30cmも刺さっており、肝臓と腎臓に達していたという。
だが、こんな事故があったにもかかわらずスディリは2008年に競技に復帰、北京オリンピックに参加した。代表チームに対してスディリはこう語ったという:「跳びたい気持ちが戻ってきた。それに、もう一度全力でやると決めたからには、ただ幅跳びをするだけではなく、オリンピックで跳びたい。事故の前のレベルに戻りたいし、世界のトップと一緒にプレーしたい」
そしてその宣言の通り、復帰から一年後の2009年6月12日、スディリは8.42mという記録を樹立、フランス記録を12cm更新した。
2010年には世界室内陸上競技選手権大会に出場、優勝候補の一角を占めた。スディリは結局8.01mという記録で4位、1位はオーストラリアのファブリス・ラピエールの手にわたった。
衝撃的な事故を乗り越えて活躍したスディリだったが、2016年6月26日のフランス大会を最後に38歳で現役から引退した。