米野球界で活躍した「ダビデの家」球団とは:プロチームと互角に戦った新興宗教チーム
米カルト教団「ダビデの家(The House of David)」について聞いたことがあるだろうか。これは1903年にミシガン州ベントンハーバーで旗揚げされた教団だ。
「ダビデの家」を立ち上げたのはベンジャミン&メアリー・パーネルという夫妻で、ジェームズ・ジェズリールという自称預言者の教えを教義に掲げていた。このジェームズ・ジェズリールは、18世紀から19世紀にかけてイギリスで活動した自称預言者のジョアンナ・サウスコットを信奉していた。
教団は設立からほどなくして信者を獲得しはじめ、1907年には数百人のメンバーが4平方キロメートルのコミュニティで自給自足生活を送るまでに成長。
教祖のベンジャミン・パーネルは運動好きであり、信者たちの健康的な生活を維持するためにスポーツを奨励していた。なかでも、彼が熱心に取り組んだのは野球だった。
信者たちにプロ野球選手と互角に戦える才能があることに気づいたパーネルは、自前の球団を結成。1913年には、本格的なチームとして各地の球団と試合をしてまわるようになっていた。
当初は信者の健康維持が目的の球団だったが、次第に多くの観客が集まるようになると、パーネルはこれを資金獲得の手段として活用することを思いつく。
1920年代、ダビデの家が結成したチームはメジャーリーグ球団に匹敵するほどに成長。そのレベルを維持するため、ピート・アレクサンダーやサチェル・ペイジ、モーデカイ・ブラウンといったプロと契約を交わし、戦力の拡充を図ることとなった。
ダビデの家に雇われたプロ野球選手たちは教団に敬意を示すため、しばしばヒゲを蓄えてグラウンドに立った。あのベーブ・ルースさえも、ゲスト選手としてダビデの家球団でプレーした際には付けヒゲを装着したほどだ。
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この球団は試合での活躍だけでなく、「ペッパー」と呼ばれるウォーミングアップ(ときには隠し玉を仕込むこともあったらしい)を発明したことでも有名になった。エンターテイメント性を兼ね備えた同球団は、野球界のハーレム・グローブトロッターズ(バスケットボールのエキシビションチーム)と言うべきものになっていたのだ。
人種差別政策が転換期を迎えた20世紀の米国にあって、ダビデの家球団はアフリカ系選手を中心とした「ニグロリーグ」の各球団とも分け隔てなく試合を開催。一時期はダビデの家ブラックチームまで結成していたという。
ダビデの家球団が人気を博したのには理由がある。まず、その独特な風貌、そして愉快なプレースタイル、さらに米国内の全球団と互角に戦うことができるレベルの高さ…… 実際、プロ球団を相手に勝利を重ねることも少なくなかった。
人気の高まりを受け、ダビデの家は一度に3つのチームを遠征に派遣。これによって収入を増やすと同時に、効率的に教義を普及することができると考えたようだ。
一方、カルト教団の常として、ダビデの家にも負の側面がついて回った。たとえば、1920年代には未成年に性的暴行を行ったとして、教祖のベンジャミン・パーネルが女性15人から告発されている。多くの証拠にもかかわらずパーネルは訴追を免れたが、別件の詐欺罪で立件され、有罪判決を受ける前に結核でこの世を去った。
ベンジャミンの死後、教団は二分。妻のメアリーが率いる「メアリーのダビデの街(Mary's City of David)」と、元長老会メンバーのT・H・デューハーストが率いる「旧ダビデの家(Old House of David)」が誕生した。
教団の分裂にもかかわらず球団は存続。1950年代まで全米ツアーを行っていたが、チームを巡るスキャンダルやメジャーリーグの人気確立などにより同球団の人気は低下してしまった。これは教団が安定した収入源を失ったことを意味する。
それから半世紀あまり。ダビデの家メンバーの中には今でも存命中の信者がおり、いまだにミシガン州のコミュニティで暮らしているという。しかし、当時の勢いはもうない。
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