史上最高の選手クリスティアーノ・ロナウドの驚くべき軌跡:幼少時からサウジリーグまで
史上世界のサッカー選手のひとりに数えられるクリスティアーノ・ロナウド。彼はそのキャリアを通じ、目を瞠るような進化を遂げてきた。
サッカーを始めた頃と現在を比べると、ロナウドは顔つきも体型も大きな変化を遂げている。そのたゆまぬ進化を追ってみよう。
クリスティアーノ・ロナウドは、1985年2月5日、ポルトガルのマデイラ島にあるフンシャルという町で生まれた。母親は学校の調理師、父親は庭師という、決して裕福とは言えない家庭の5人きょうだいの末っ子だった。
クリスティアーノは6歳のときにマデイラ島の最貧地区の一つであるサント・アントニオの地元クラブ「CFアンドリーニャ」に加入、本格的にプレーを開始。たちまち頭角を現し、4年後の1995年には「CDナシオナル」に入団した。
少年時代のクリスティアーノはかなり痩せており、所属先のコーチは彼に体重をつけさせようと練習後に食べ物を与えるほどだった。
幼い頃からサッカーに打ち込んでいたクリスティアーノは、近所の人々が文句を言うほど夜遅くまで通りで練習をしていた。学校の成績はふるわず、教師が不満を表明するほどだったという。
1997年8月、クリスティアーノ・ロナルドはポルトガル一部リーグの名門「スポルティングCP」の下部組織への入団が決まった。それに伴い故郷のマデイラ島を離れて首都リスボンへと移住、プロへの道を歩き始めた。
クリスティアーノが首都リスボンで寮生活を始めたのはわずか12歳の時だった。ポルトガルの情報サイト「Sábado」に寄せられた元ルームメイトの証言によれば、寮のクローゼットに入れていたものは家族の写真だけだったという。
スポルティングCPに移籍した当初、クリスティアーノは貧しい家庭の出身でしかもマデイラ訛りがあったためまわりの人々にからかわれ、日々涙をこぼしていたという。しかし、幼いながらも家族のたったひとつの希望であるクリスティアーノは、簡単に家に帰ることはできなかった。
スポルティングCPの下部組織時代、クリスティアーノ・ロナウドは少しでも収入を得るためトップチームでボール拾いやゴミ拾いまで行っていた。だが、それを理由にチームメイトから嘲笑されることもあった。
そんなクリスティアーノ・ロナウドの大きな心の支えとなっているのは、母親のドロレス・アヴェイロだ。ロナウドが大成してからも多くの試合に駆け付け、息子と並んで笑顔をみせる姿が頻繁にキャッチされている。
クリスティアーノの母親ドロレス・アヴェイロは、息子と同じく人生で数々の苦難を乗り越えてきた。夫はアルコール中毒により52歳で逝去、その後は女手一つで家族を支えてきた。2007年には乳がんと診断されたものの、見事克服している。
ポルトガル代表の元監督ルイス・フェリペ・スコラーリ氏は「Zero Zero」のインタビューに対し、「クリスティアーノは、私がこれまで見た中でもっともタフで、もっとも熱心な選手の一人だ」と語っている。
2005年9月6日、クロナウドの父親が52歳で逝去。フェリペ・スコラーリ率いるポルトガル代表チームに召集されロシア入りしていたクリスティアーノは、「今日、父のために何かすることはできなかったが、プレーには全力を注ぎたい」と会見で語り、90分間出場を果たした。
2003年、クリスティアーノ・ロナウドはプレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドと契約を交わした。背番号はスポルティング・リスボン時代と同じ28番を希望したが最終的に7番に決まり、この数字は自身のアイコンとなった。ロナウドは英国で快進撃を続け、FIFA年間最優秀選手賞やバロン・ドールなど数多くの栄誉を手に入れた。
2009年、マンチェスター・ユナイテッドのスター選手となっていたロナウドはスペインのレアル・マドリードへ移籍。8,000万ポンド(約130億円)という史上最高の移籍金が大きな話題になり、ベルナベウ・スタジアムで行われたお披露目には8万人を超える観客が詰めかけた。
レアル・マドリードでは9シーズンにわたり驚異的な活躍をみせ、チーム史上最高のアタッカーの一人となった。438試合で450ゴール、120アシストという驚くべき成績を挙げてレアル・マドリードの歴代最多得点記録を塗り替えるなど、さまざまな記録を打ち立てている。
ロナウドはレアル・マドリード在籍時にチャンピオンズリーグ優勝を4度体験している(うち3回は連続)。個人選手としてはバロンドールを5回獲得、所属した各国リーグでの得点王など、数々の個人記録を保持している。
レアル・マドリードがチャンピオンズ・リーグ連覇を決めた2018年7月、クリスティアーノはイタリアのユベントスへの移籍を発表。トリノを本拠地とするユベントスは当時33歳のクリスティアーノに対し、1億ユーロ(約150億円)という30歳以上の選手としては破格の移籍金をオファーした。
2021年夏、マンチェスター・シティと契約の噂もあったが、元マンU監督アレックス・ファーガソンや同クラブで活躍するポルトガル出身MFブルーノ・フェルナンデス等の説得を受け、ユベントスから古巣マンチェスター・ユナイテッドに復帰。このシーズンにロナウドはプロ通算807ゴールを挙げ、世界歴代最多記録を樹立した。
しかし、マンチェスター・ユナイテッドではクリスティアーノ・ロナウドとクラブ側との不和がたびたび報じられた。そして2022年11月22日、ロナウドはついにイングランドリーグを離れることになった。
マンチェスター・ユナイテッドを離れるロナウドの新天地についてさまざまなうわさが流れたが、2022年末、ロナウドはサウジリーグの有力クラブのひとつであるアル・ナスルFCとの契約を発表。世界が注目する中、サッカー界の英雄としてサウジアラビアで大きな歓迎を受けた。
クリスティアーノ・ロナウドはアスリートとしてはもちろん、サイドビジネスでも成功を収めている。レアル・マドリード時代の2015 年、ロナウドは2億1,000万ユーロ (約 260億円) の資産を誇る世界で最もリッチなサッカー選手となっている。
『フォーブス』は2021年11月、ロナウドの年収は10億ユーロ、純資産はほぼ5億ユーロと報じた。さらにマンチェスター・ユナイテッドとの契約により、ロナウドはプレミアリーグで最も稼ぐ選手となっていたのだ。
クリスティアーノ・ロナウドが最も大きな成功を収めたビジネスの一つはファッションだ。インナーウェアブランド「CR7」は世界各国で収益を上げている。
クリスティアーノはストイックな食生活とトレーニングで知られている。アルコールも煙草も口にせず、体脂肪率7%、筋肉量50%という驚異的なボディを維持している。
2014年、クリスティアーノ・ロナウドの故郷であるマデイラ島のフンシャルに地元出身スーパースターの銅像が設置された。
クリスティアーノ・ロナウドはプライバシーを大切にしている。ただし、2010年から2015年まで続いたイリーナ・シェイクとの交際は公になり、世紀の美男美女カップルとして各国メディアを賑わせた。
2016年夏、ロナウドはスペイン出身のジョージナ・ロドリゲスと交際をスタートさせた。1年後、2人の第1子となる娘アラナが誕生。代理出産で双子のマテオとエヴァが生まれた直後であり、ロナウドにとってアラナは第4子となった。
ロナウドの長男はクリスティアーノ・ロナウド・ジュニア。2010年に代理出産で誕生、母親については何も公表されていない。ロナウドの母ドロレス・アヴェイロのサポートを受けつつ、2022年4月には新たに娘が誕生、子供の数は5人という大家族になった。
クリスティアーノ・ロナウドはチャリティにも熱心だ。とくに子供たちに関する活動に深く関わり、ファンの少年の手術代を寄付したほか、がんセンターの支援や小児病院への定期的な訪問などを行っている。
多くのサッカー選手と異なり、クリスティアーノ・ロナウドはいっさいタトゥーを入れていない。タトゥーがあると、長年続けてきた献血ができなくなることがその理由だ。
クリスティアーノ・ロナウドは現在38歳。スポーツ紙に偉大な足跡を残した彼もキャリアの終わりに近づきつつある。だがその日が訪れるまでは、新天地でさらなる進化をつづけるスーパースターの活躍から目を離せない。