カミングアウトしたアスリートたち:スポーツ界でも性意識が進化
性的マイノリティ「LGBTQ+」はかつてよりも広く一般に受け入れられるようになっている。だが、スポーツの世界はそういった潮流に後れを取ってきた。
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とはいえ、スポーツ界でも変化が進行しつつあるのも事実。最近では、世界で活躍するスポーツ選手がLGBTQ+当事者であると公言することも増えてきた。
そういうことができるようになったのも、勇気ある先駆者たちがいたおかげ。スポーツ界の意識を変えるきっかけになった偉大な選手たちをチェックしてみよう。
1981年5月1日、女子テニス界の伝説的選手、ビリー・ジーン・キングが自らが同性愛者であることをカミングアウト。大きな業績を残した女性アスリートとしては初のことだった。
だが、その過程は必ずしも望まれたものではなかった。きっかけとなったのは、キングの女性秘書が長年のあいだキングと関係があったと主張したこと。その関係解消に際しての慰謝料を請求する訴訟を起こしたのだ。
キングの私生活に関する噂はかなり以前からささやかれていたが、1975年の『プレイボーイ』誌のインタビューではキングは否定していた。だが、今度こそカミングアウトに踏み切った。
NBCニュース主催の2017年のイベントでキングはこう振り返っている:「決意したんです。『やるしかない、どうなっても構うものか。本当のことを言うのがいちばん大事だ』って。母もいつもこう言っていました:『己に誠実であれ』(『ハムレット』の引用)と」
1995年、オーストラリアのラグビー・リーグでプレイしていたイアン・ロバーツがゲイであるとカミングアウトしたときも物議をかもした。ラグビーが激しい接触を伴うスポーツであることや、そもそもオーストラリアのプロスポーツ界で初めてのカミングアウトであったことなども理由だが、なによりも、フィールドでロバーツが見せるタフなプレイが当時一般に流布していたゲイ男性のイメージとまったく違ったということも大きかった。
実際、ロバーツにとってけっして楽な道のりとはならなかった。ラグビー界のサポーターやメディアは当時性的少数者に対する理解が乏しく、ロバーツが所属していたマンリー・シー・イーグルズはファンから多くの嫌がらせを受けることとなった。一度などはロバーツが観客に襲われるという暴力沙汰にまで発展したほどだ。
『starobserver.com.au』で、90年代にカミングアウトするという体験を振り返ってロバーツはこう語っている:「ゲーム中、観客がものすごい野次を飛ばしていて、私は両親のことが心配になりました。こんなのが二人の耳に入ってほしくないと。でも、家族を守るといっても難しいこともあります」
ロバーツはそんな苦難も乗り越えて、ゲイの権利を訴える活動を継続。何世代もかけてオーストラリアのスポーツファンの同性愛への意識の変革に努めてきた。
そういった先人の努力のおかげもあって、スポーツ界も最近はかつてよりインクルーシブになってきた。そして今年のバレンタインデーにも話題となった人がいた。チェコ代表チームのミッドフィールダー、ヤクブ・ヤンクトがSNS上で自分がゲイであると宣言したのだ。
ヤンクトはツイッターに動画を投稿、次のように語り始めた:「こんにちは、ヤクブ・ヤンクトです。皆さん同様、私にも得意なこともあれば、苦手なこともあります。家族もいるし、友だちもいます。仕事には長年全力を尽くしていますし、できるかぎり真剣に、プロ意識と情熱をもって取り組んでいます」
「そして、皆さん同様私も、自由で不安のない生活を送りたいと思っています。偏見や暴力ではなく、愛のある生活を。私は同性愛者で、これ以上隠れていたくありません」
ヤンクトは現在チェコのACスパルタ・プラハでプレー中。プロサッカー界でもっとも活躍中の同性愛公言者だ。彼のメッセージはファンやかつてのチームメイト、そしてイギリスのプレミア・リーグなどから広い支持を集めた。
アメフトは男の世界で、いまだマッチョな傾向が根強い。アメリカのリーグ、NFLでプレイする選手からゲイだとカミングアウトする人が2014年まで出てこなかったのも不思議ではない。だが、その勇気ある先駆者となったマイケル・サムは非常に印象的なやり方でカミングアウトすることを選んだ。
ラグビーではディフェンシブ・エンドでプレイしていた(後にアウトサイド・ラインバッカーに転向)サムだが、2014年のNFLドラフトに先立って自分がゲイだとカミングアウト。『NFL.com』によると、その時の言葉は次のようなものだった:「私は自らがゲイであることを誇りに思っていますし、誰にも隠したくありません」
公式のカミングアウトは2014年となったが、サムはそれ以前に大学チーム在籍中から性的指向をオープンにしていた。2013年の時点ですでにミズーリ大学のチームメイトに自分がゲイだと伝えており、しかもチームメイトから温かく受け入れられていたという。数か月後にはっきりと公式のカミングアウトをするに至ったのも、この時の経験に後押しされてのことだった。
それから約5年後、同じアメフト界でライアン・ラッセルが自分がバイセクシャルだとカミングアウトし話題となった。ただし、今回はサムの時とは状況がやや異なる。当時ラッセルはすでにダラス・カウボーイズやタンパベイ・バッカニアーズでディフェンシブ・エンドとしての活躍を終え、2019年には現役でのプレーはしていなかった。それでもラッセルはラグビー界にこの問題について考えてほしかったのだという。
ある論考において、ラッセルはこう書いている:「政治やエンタメ、一流企業などアメリカのさまざまな分野において、LGBTQの人びとははっきりと存在感を増してきている。だが、スポーツ界ではそういった人びとはまったくいないことにされており、いまだにバイセクシャルのアメフト選手が男性とデートしていることをゴシップブログが暴露したら問題になる有様だ」
「自分に正直に生きているだけで問題になどされるべきではない。自分を押し殺さないと問題になるような世界は間違っている。どのようなキャリアを選んだかによって、自分の中の大事な側面を切り捨てることが求められるべきではない」
バスケットボールの世界に目を転じてみよう。アメリカのバスケットボールリーグ、NBAで最初にゲイだとカミングアウトしたのはジェイソン・コリンズ。2013年のことで、バスケットボールに限らず、アメリカのプロのチームスポーツの選手で最初にカミングアウトした選手となった。
当時コリンズはワシントン・ウィザーズ所属でポジションはセンター。彼は『Sports Illustrated』誌の記事で次のように書いてカミングアウトした:「私は34歳です。NBAでセンターでプレイしています。黒人です。そして、ゲイです」
コリンズは次のように語っている:「アメリカの主要なチームスポーツでプレーする最初のゲイ・アスリートとなることを強く意識していたわけではありません。ですが、結果としてそうなったわけですし、議論を始めるきっかけになれたことは嬉しく思います。私としても、わざわざ教室で手を挙げて『僕は違います』と宣言する子供になりたくはありませんでした。誰かほかの人が先にやってくれていたらよかったのですが、誰もやっていなかったので、私が手を挙げることにしたのです」
カミングアウトから1年後にコリンズはNBAを引退。プレイ歴は通算13シーズンだった。
スポーツ界でのLGBTQの権利向上に努める人物として、いま最も有名なのはミーガン・ラピノーだろう。ラピノーはアメリカの女子サッカー選手で、2019年には代表チームのキャプテンとしてFIFA女子ワールドカップでのアメリカの優勝に貢献した。そんな彼女だが、2012年7月に『アウト』誌上でレズビアンとカミングアウト。2009年からオーストラリアのサッカー選手サラ・ウォルシュと付き合っていると公表している。
NBCニュースによると、2019年にラピノーは自分の経験について次のように語っている:「女子スポーツ選手はさまざまな抗議活動の最前線に立つ存在だと考えています。私たちは性的少数者であったり、女性であったり、白人ではない女性であったり、さまざまな側面を同時に併せ持っているからです」
また、ラピノーはこうも言っている:「残念なことに、私たちは常に何らかの形で抑圧を受けています。だからこそ私たちは、ただアスリートであり続け、ゲームにおいて最高のパフォーマンスを発揮するだけでも、そういった抑圧に対する抵抗を示すことができると思います。それ自体が挑戦なのです」
2021年6月、衝撃のニュースが駆け巡った。アメフト選手のカール・ナシブがSNS上で自身がゲイであるとカミングアウト、さらに続けて性的少数者の若者の自殺防止団体、トレヴァー・プロジェクトに10万ドル(約1300万円)を寄付したと報告したのだ。
ナシブはツイッターに投稿した動画でこう語った:「ここでひとつお知らせですが、私はゲイです。公の場にいる人間がこういうことをオープンにするのは非常に大事なことだと考えたのです。いつの日か、このようなカミングアウト動画などがまったく必要ない世界が来れば良いのにとも思います。ですが、いまは私にできることをやるだけです。インクルーシブで、理解のある環境を作っていけたらと思います」
ラスベガス・レイダースで2シーズンプレイしたあと、ナシブは最近タンパベイ・バッカニアーズと契約。アメフトリーグで現役中にカミングアウトした最初の選手となった。