並外れたアスリートたちの痛快な「ニックネーム」
並外れたスポーツ選手はたいていユニークな愛称を持っている。チームメイトや指導者、はたまたファンがつけた内輪での呼び名が、本名よりも有名になってしまうケースもあるほどだ。今回はスポーツ史に残る素晴らしいニックネームの数々を見てゆこう。
ラーフル・ドラヴィドはインドの元クリケット選手。その平然とした禁欲的プレースタイルは、クリケット界の伝説である。粘り強いバッツマンであり、なかなかアウトにならない。「壁(ザ・ウォール)」というあだ名は、相手チームになかなかウィケット(打者の後ろにある3つの棒)を倒させないその執拗なバッティング技術にちなむ。
5月6日のネリ戦で劇的な勝利を掴み、スーパーバンタム級4団体統一王者のタイトル防衛に成功した「モンスター」こと井上尚弥。このネーミングはかつて「怪物」と呼ばれた元メジャーリーガーの松坂選手にあやかったもので、所属ボクシングジムの大橋会長が名付け親だそうだ。
「冷蔵庫」というあだ名から、ウィリアム・ペリーの体つきをたちどころに思い浮かべることができる。その想像はおおむね正しいはずだ。冗談かと思うくらい、どでかい肩をした巨漢。それがウィリアム・ペリーである。元NFLのデフェンスプレーヤーとして10シーズンを戦い、シカゴ・ベアーズの人気者となった。
メジャーリーグでも「ゴジラ」の愛称で親しまれた松井秀喜。『愛媛新聞』によれば、名付け親は『日刊スポーツ』の記者だった福永美佐子さんだそうだ。いわく、当時から強打者として目立っていた松井秀喜は「『怪物』『怪童』なんてよばれていたけど、それじゃかわいそうと思って」インパクトのある「ゴジラ」としたところ、あっという間に定着してしまったとのこと。
故コービー・ブライアントは偉大なバスケットボール選手。NBAファイナルを5度優勝し、その他個人の受賞歴は数えきれない。「ブラックマンバ」(コブラ科の猛毒ヘビ)は自分でつけたあだ名で、ブライアントにとって一種のアルターエゴ(第二の自我)となり、ここぞという局面で「マンバ・メンタリティ」を発動させた。
こちらも元クリケット選手。豪速球のボウラー(投手)として知られた。あだ名の「ビンガ」は、オーストラリアの家電量販店「Bing Lee」から来ている。
「ベーブ」からして愛称だから(本名はジョージ・ハーマン・ルース)、ちょっとずるではある。とはいえ、ベーブ・ルースくらいの大物になるとあだ名もひとつでは足りないということだろう。「強打のスルタン(皇帝)」という愛称は、レッドソックスからヤンキースにベーブが移籍した後、ヤンキースの本拠地ニューヨークの記者たちが使いはじめたもので、1920年代のアメリカ野球の雰囲気と、ルースの打球が外野の頭を飛び越えていくさまが伝わってくるようだ。
西インド諸島の偉大なクリケット選手、マイケル・ホールディングはそのニックネームもふるっている。速球派ボウラーの大半は、足をどすどす踏みならし、いきまきながら助走をとるが、ホールディングはまるで滑空するがごとく静かに助走し、打者はしばしば虚を衝かれる。気づいたときには、「死のささやき」が耳元で……
エルロイ・ハーシュは1940年代、50年代に活躍した元NFL選手。ユニークなランニングスタイルの持ち主で、走るときに脚があらぬ方向によじれるため、相手からするとタックルの狙いが定まりにくい。この「狂い脚」の愛称はすっかり有名になった。
ウェイン・グレツキーは史上最高のアイスホッケー選手であり、彼を超える選手はそう簡単には出てこないだろう。ウェイン・グレツキーはNHL(北米のプロアイスホッケーリーグ)の歴史において、獲れる記録はほぼすべて獲得したといって差し支えない。“ザ・グレート・ワン”とはシンプルな愛称だが、彼の偉大さを前にごたごたとした修飾は不要だ。
クリス・ホーガンは、元ワイドレシーバー(アメフトのポジションで、パスをキャッチするスペシャリスト)である。スポーツのドキュメンタリー番組『Hard Knocks』(2001年)がマイアミ・ドルフィンズのキャンプを撮影したさい、この他愛ないあだ名が生まれた。相手ディフェンスをかわすのがうまく、いとも簡単にキャッチを成功させるクリス・ホーガンを見たチームメイトが、「君はいつだってガラ空き(オープン)だ、君は(24時間営業の)『セブン-イレブン』だな」とコメントしたことに由来する。
ラーワルピンディーとはパキスタン北東部の地名で、元プロクリケット選手ショアイブ・アクタールの出身地だ。クリケットでのポジションはボウラー(投手)で、彼より速い球を投げたボウラーはいない。最高速度は時速161.3km。エクスプレスたるゆえんである。
リチャード・レーンはディフェンスバックとして50年代、60年代のNFLを代表する偉大な選手である。レーンが記録した年間14インターセプトは、現在もまだ破られていない年間最多記録である。「ナイト・トレイン」のあだ名はロサンゼルス・ラムズにいたころ、当時ヒットしていたジミー・フォレストの同名曲をレコードプレーヤーで何度もかけていたことに由来する。
NBAの歴史において、ウィルト・チェンバレンは数多くの記録を保持している。たとえば1試合100得点という記録は、たぶん絶対に破られないだろう。「竹馬ウィルト」というあだ名もあるが、本人が好んだのは「柄杓星(北斗七星)」の方だった。身長216cmの彼はドア口をくぐるとき、「ひしゃく」のように頭をひょいと下げなければならなかった。
ニコライ・ワルーエフは元プロボクサー。史上最も身長が高く、最も重いワールドチャンピオンである。身長213cm・体重150キロという巨漢にならぶと、他のヘビー級ボクサーたちは小柄に見えたが、それはワルーエフが大きすぎたのである。“東方からやってきた野獣”のあだ名は、興行主ケリー・マロニーがつけた。このニックネームからは、ワルーエフがたしなむ趣味、クラシック音楽に親しみ、文学を愛好するという側面はどうしたって見えてこない。
アシュリー・ジャイルズは、イングランド代表として100を超えるクリケットの国際試合に出場し、やり手の左投げスピンボウラーとして活躍した。自身のノベルティのマグカップを作ったとき、「スピン王(King of Spin」とプリントされるべきところが発注先のミスで「スペイン王(King of Spain)」となってしまい、以来この愉快なあだ名が定着した。当時のスペイン国王フアン・カルロス一世はこれを愉快に思わず、「このアシュリー・ジャイルズなる御仁のことは知らないが、我こそがスペイン王である」とコメントした。
さきのウェイン・グレツキーは「ザ・グレート・ワン」だったが、こちらは「ザ・ロケット」。チームメイトがリシャールの猛攻を「ロケットのよう」と形容したことがあだ名の由来だという。8回のスタンレー・カップ優勝経験を持つ、偉大なポイントゲッターだった。現在NHLのレギュラーシーズン最多得点者に贈られる賞は、その名にちなんでモーリス・ロケット・リシャール賞と呼ばれている。