80年代に大活躍した男性スターたち:今どうしている?
80年代は女性アイドルの全盛期だったが、もちろん多くの男性スターも活躍を繰り広げていた。今回は、かつて日本中を熱狂させていた男性スターたちの今を追っていこう。
80年代を代表する男性アイドルと言えば近藤真彦を忘れてはならない。TBSのドラマ『3年B組金八先生』の生徒役で人気に火がつき、「スニーカーぶる~す」で歌手デビュー。続けて「ギンギラギンにさりげなく」「ハイティーン・ブギ」「愚か者」など次々にヒットをとばした。
『週刊女性』誌によれば、25歳頃からアイドルよりも本格的にレーサーとして活動し始め、1994年にフランスのル・マン24時間耐久レースに初参戦。2000年には自身のレーシングチーム「KONDO RACING」を結成し、現在はオーナー兼監督としてチームをまとめているという。
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俳優のイメージが強い柳葉敏郎だが、原宿の歩行者天国で人気を博していた路上パフォーマーンス集団「一世風靡セピア」の一員としてデビューしている。グループは「前略、道の上より」「賽を振れ!」「汚れちまった悲しみに...」など、数々のヒット曲をリリースし、若者たちを熱狂させていた。
1989年に一世風靡セピアが解散すると、俳優に転向し『踊る大捜査線』で大ブレイク。『女性セブン』誌によれば、1997年に一般女性と結婚し、2000年に長女、2008年に長男を授かった。自然の豊かな故郷で子育てをしたいという考えから、2006年に秋田に移住し、そこから撮影現場に通う生活を送る。また、地元の行事にも積極的に参加し、PTAの役員も務めていたという。
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ロックバンド「チェッカーズ」のリードボーカルとしてデビューした藤井フミヤ。2ndシングル「涙のリクエスト」が大ヒットしたことで国民的スターとなった。「哀しくてジェラシー」「ジュリアに傷心」などのヒット曲だけでなく、チェックの衣装や個性的な髪型も若者たちに大きな影響を与えていた。
チェッカーズ解散後(1992年)はソロシンガーとして活躍、デビュー40周年となる2023年には全国ツアーを開催した。TBSの『人生最高レストラン』に出演した際に、18歳の頃から交際していた一般女性と26歳の時に結婚し、2児の父となったことを語った。妻とは今でも手をつないで歩くほど仲が良いという。
画像:Facebook, 藤井フミヤ
俳優として国際的に活躍する真田広之。実は、80年代にはアイドルとして売り出され、歌手デビューもしていた。『東京スポーツ』紙によれば、チェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守歌」は真田のために作られた曲だが「真田に合わない」という理由で事務所から却下されたという。
以降、ドラマや映画で大活躍し、2003年に『ラスト サムライ』でハリウッドに進出してからは、活動の拠点を海外に移している。そして現在、真田が主演、プロデュースを務める『SHOGUN 将軍』が世界的に大成功を収め、「第76回エミー賞」で本年度最多の25部門にノミネートされた。
アイドルグループ「シブがき隊」の「もっくん」として『NAI・NAI 16』で歌手デビューした本木雅弘。「100%...SOかもね!」「挑発∞」「喝!」と次々にヒット曲を出し、トップアイドルの仲間入りをした。
シブがき隊が解散した1988年に『ファンシィダンス』で映画初主演を果たすと、俳優業に力を入れるようになる。数々の作品で主役を務め、『おくりびと』(2009年)でアカデミー賞外国語映画賞を受賞。現在も日本を代表する俳優のひとりとして活躍している。
アイドルグループ「光GENJI」の元メンバー、諸星和己。ローラースケートをはきながら、歌い、踊り、バク転までする光GENJIは当時爆発的な人気を誇り、社会現象を巻き起こしていた。代表曲は「パラダイス銀河」「ガラスの十代」
グループ解散後(1995年)、諸星は事務所から独立し、歌手、俳優、タレントとして活動している。自身のオフィシャルブログによれば、現在ハワイ在住だという。
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映画『すかんぴんウォーク』で主役を務め、さらに主題歌「モニカ」で歌手デビューも果たした吉川晃司。一躍スターダムにのし上がり、1989年にはギタリストの布袋寅泰(ほてい ともやす)と「COMPLEX」を結成。若者たちから大きな支持を得ていた。
その後は役者としても活動するようになり、『必死剣 鳥刺し』(2010年)で日本アカデミー賞の優秀助演男優賞にノミネート。また、COMPLEXは活動停止中だが、東日本大震災と能登半島地震の際には復興支援を目的にチャリティーライブを行っている。
「欽ちゃんファミリー」の一員としてお茶の間の人気者となり、「涙のtake a chance」で日本中にブレイクダンスを流行らせた風見慎吾。俳優、そしてタレントとして活動していたが、YouTube『欽ちゃん80歳の挑戦!』に出演し、60歳を機に留学を決意したこと、既に米国に住んでいる家族たちと合流することを明かした。
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