60年代にブレイクした米女優、アン=マーグレットが81歳にしてロックアルバムをリリース
往年の名女優、アン・マーグレットを覚えているだろうか? 81歳を迎えた今もバリバリ現役で、最近ではロックン音楽のアルバム『Born to Be Wild』をリリースするという夢を叶えてしまったほど。このアルバムでアンはピート・タウンゼントをはじめとするレジェンドたちとコラボしつつ、正統派ロックを体現している。では、一体どのようにしてここまでたどり着いたのか、アン=マーグレットのキャリアを振り返ってみよう。
1941年、スウェーデンのヴァルヒュビンで誕生したアン=マーグレット・オルソン。6歳のときに一家で米国に移住し、シカゴ郊外の小さな街で成長することとなる。舞台芸術への情熱に火がついたのはそのころのことだ。
アン=マーグレットの才能に気づいた母親は幼い娘をダンスのレッスンに通わせたという。幼少期のトレーニングこそ、アン=マーグレットが後年ショービジネスで手にすることとなる大成功の礎となったのだ。
ナイトクラブでパフォーマンスしていた19歳のアン=マーグレットを見出したのは伝説のコメディアン、ジョージ・バーンズだった。感銘を受けたジョージは彼女をラスベガスで行われるショーに招待したのだ。ジョージは後に「アン=マーグレットは口を開く前から自然な美しさと威厳で観客を魅了していました。そして、歌い始めるや否や人々をすっかり引き込んでしまったんです」と書いている。
1961年、アン=マーグレットは一躍人気歌手となる。ロマンチックなデビューアルバム『And Here She Is ... Ann-Margret』で色っぽい歌声を披露したのだ。この作品でアン=マーグレットはグラミー賞の最優秀新人賞にノミネートされている。
20世紀フォックスと6年契約を結んだアン=マーグレットは、1961年に『ポケット一杯の幸福』でスクリーンデビューを果たす。この作品のおかげで、アン=マーグレットはいきなりゴールデングローブ賞新人女優賞を獲得してしまった。
1962年の映画『ステート・フェア』では、もともと「いい娘」を演じるはずだったアン=マーグレットだが、結局「悪女」役を務めることに。本人は自伝の中で、ひとたびセットに登場するや否や「純真な少女から官能的な大人の女に変身した」のだと回想している。
画像:State Fair, 20th Century Fox
翌年、アン=マーグレットはミュージカル『バイ・バイ・バーディー』で全米のティーンエイジャー像を体現。『ライフ』誌はそんな彼女を表紙に取り上げたほか、「(アン=マーグレットの)過激なダンスのお陰で劇場は暖房いらずだ」と絶賛した。
アン=マーグレットの圧倒的な存在感は共演者を霞ませてしまうことも珍しくなかった。1964年の『ラスベガス万才』では、かのエルヴィス・プレスリーを相手に堂々の歌声を披露。デュエット曲を3曲録音したが、エルヴィスよりアン=マーグレットが目立ってしまうのを避けるため、リリースされたのは1曲のみだったという。
アン=マーグレットは、エルヴィスと1年間にわたる「電撃的な」関係を持っていたと明かしている。彼女の回想録によれば2人はソウルメイトだったが、プリシラとの交際を含む「因縁」のせいで別れなくてはならなかったとのこと。なお、エルヴィスがこの世を去るまで2人は友人同士であり続けた。
1967年には俳優のロジャー・スミスと結婚。夫はその後、アン=マーグレットのマネージャーを務めるようになった。2017年にロジャーが84歳でこの世を去るまで、2人の結婚生活は半世紀にわたって続くこととなる。
ショービジネスの世界でのし上がったアン=マーグレットは、徐々にそのプレッシャーに苛まれてゆく。60年代後半には複数の映画に出演したが、あまりパッとしない役柄ばかりで興行的にも今一つだった。
若いころからオートバイを好んだアン=マーグレット。紫色の特注ハーレーダビッドソンを今も乗りこなしているというから驚きだ。1967年にラスベガスで行われたショーのポスターには、トライアンフの「タイガー」にまたがってポーズを取るアン=マーグレットの姿がある。
マリリン・モンローがケネディ大統領(当時)のために「ハッピーバースデー」を歌った翌年、アン=マーグレットもニューヨークで開かれた同大統領のプライベートパーティで歌声を披露している。さらに、1975年には当時のイラン皇帝、モハンマド・レザー・パフラヴィーを讃える公式晩餐会でもパフォーマンスを行ったことがある。
写真:National Archives and Records Administration, US, 1975 via Wikimedia
自身のアルコール依存について包み隠さず語るアン=マーグレット。自伝の中では、エルヴィスと同じくこの「悪魔」を共有していると語っている。いわく、薬物やお酒によってエネルギーが満ち溢れ、「空想と現実」が区別できなくなってしまうのだそうだ。
ところが、1972年に7メートル近い高さのステージから転落し、顔の再建手術が必要なほどの重傷を負ってしまう。しかし、驚くべき回復力を見せたアン=マーグレットは、事故からわずか10週間後にはパフォーマンスに復帰している。
70年代になると、ふたたび人気映画に姿を見せるようになったアン=マーグレット。かつてのような「トップスター」の地位を取り戻すことはなかったが、アカデミー賞にノミネートされたほか、『愛の狩人』と『トミー』ではゴールデングローブ助演女優賞を手にしている。また、ダンスチャートでもヒット曲を量産し、なかでも「Love Rush」は世界的な成功を収めた。
画像:Tommy, Columbia Pictures, 1975
回想録によれば、アン=マーグレットは子供を授かろうと13年間にわたって様々な不妊治療法を試したという。結局、子なしという運命を受け入れることにした彼女だが、夫ロジャーの連れ子3人にとってよき継母になることはできたようだ。
画像:Carnal Knowledge, Embassy Pictures, 1971
『バイ・バイ・バーディー』を彷彿とさせる名作『グリース』(1978年)では、ヒロインのサンディ役に手が届きそうだったらしい。しかし、すでに37歳になっていたアン=マーグレットはこの役を演じるには年上過ぎるとして、結局オリビア・ニュートン=ジョンに白羽の矢が立った。けれども、ヒロインの名字はアン=マーグレットに敬意を表して「オルソン」が選ばれている。
その後も80年代、90年代、2000年代を通して、テレビや映画で積極的な活動を続けたアン=マーグレット。80年代にはTVドラマでゴールデングローブ賞を複数手にしたほか、2010年の刑事ドラマ『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』では主演女優賞に輝いている。
そして2023年、オートバイを愛するアン=マーグレットは長年温めていた計画をついに実行に移す。ロックアルバム『Born to Be Wild』のレコーディングだ。このアルバムは、往年のミュージシャンたちの協力を得て、ロックの定番ソングを余すところなく収録した一品となっている。
『ニューヨーク・タイムズ』紙はこのアルバムについて「エロティシズムに年齢制限はない」と評している。ユーモア溢れるこのアルバムには友人たちとのコラボ曲が数多く収録されており、アン=マーグレットは同紙のインタビューで「生きているだけで幸せです。60年来の友人たちがいまだに健在なのですから。まるで出会ったころのような気分です」とした。