12世紀アイルランドに現れた予言者「聖マラキ」が示した終末論
迷信や俗信であると一蹴されがちだが、予言はどんな文化にも存在する。カトリックにもいくつかあるが、恐ろしい内容でしかもさまざまな物議をかもしているのが「聖マラキの予言」だ。そこには終末時期が示され、しかもそれが非常に近づいているというのだ。
(Image: Andreas F. Borchert, Wikimedia)
聖マラキは12世紀に現北アイルランド領に実在したカトリックの司教であり、その死から5世紀近くを経た1595年に発見された予言書の著者だとされている。
予言書はラテン語で書かれた112の短い文章から成り、終末を含む人類の未来を示すと解釈されている。最後の一人に至るまで歴代教皇についての予言があり、その後訪れる世界の終わりまで語っているというのだ。
(Image: Arnold Wion - Lyon Public Library, scanned by Google, public domain)
聖マラキは111の文章に続き、黙示録の前に最後の教皇になるのは誰かということまで書き加えた。聖マラキは最後の法皇を「ローマ人ペテロ」と呼んでいるが、これはフランシスコ1世にあたるという見方もある。
フランシスコとペテロという2つの名前に似たところはない。しかし予言文は暗号で書かれていることが多く、専門家はさまざまな方法で解読を試みてきた。
(Image: Ben White / Unsplash)
歴代教皇は聖マラキの予言を深刻に受け止めている。実際、初代教皇とされる人物の他にペテロという名を名乗る教皇はおらず、これはマラキの予言が現実となることを防ぐためのひとつの手段だとされているのだ。
聖マラキの予言書によれば、最後から2番目の教皇はベネディクト16世。つまり、その次の教皇(つまり現教皇)ですべてのサイクルは終わりを迎え、予言された事態に至るというのだ。
聖マラキの112の文章には、ラテン語でこう記されている:「ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう。ローマびとペトロ、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり」
(Image: St. Malachy, Sterling Heights. Patricia Drury / Flickr)
しかし、この予言書は聖マラキのものではないとする歴史家も少なくない。予言書は聖マラキの死後500年近く経ってからベネディクト会修道士アルノルド・ヴィオンによってヴェネツィアで発見され、出版されるに至ったのだ。
予言書や宗教書はスピリチュアルな暗喩に満ちた詩の一形態であることも多い。人々はそれを迫りくる危機を告げるものとするが、そうした解釈が曖昧な場合もある。実際、これまでに何度も世界の終わりが予言され、そして延期されてきたのだから。
カトリック教会は一般的に、聖マラキの予言について曖昧さを残している。本書を含め予言については認めるものの、前教皇ベネディクト16世は教団に対し予言書を文字通りに受け止めないよう勧告している。
現教皇フランシスコについては、その現代的な考え方とはるか古代の予言書のそれがマッチしているとは言いがたい。
アイルランドに生まれた聖人マラキの予言は一部が実現したとされている。その解釈によれば、「私の島がイングランドの人々に支配され、多くの苦しみを味わうことになる」というのだ。かつてフランスの修道士が発見したとされるこの文章は、過去数世紀にわたるイギリスとアイルランドの歴史に照らせば当たったというしかないだろう。
(Image: Unknown, Eberbach Monastery / Wikimedia)
そう、どんな宗教に属する人も未来を予見することを望んでおり、パンデミックや戦争に見舞われるこうした激動の時代にはとくに、聖マラキの予言にふたたび注目が集まっている。
予言書の中でももっとも恐ろしく、そして美しい文章はおそらく聖ヨハネの黙示録だろう。キリスト教徒をはじめ多くの人が、終末を示しているとされる聖ヨハネの黙示録を通じて未来を予見しようとしている。
そして、ノストラダムスのさまざまな予言については、数えきれないほどの解釈が行われている。