骨太の俳優、アダム・ドライバーの歩み
アメリカの俳優、アダム・ドライバーは、『スターウォーズ』シリーズのカイロ・レン役で一気に知名度を得た。2015年に公開された『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』である。この映画で初めて彼を知ったファンも多いかもしれない。
アダム・ダグラス・ドライバーはカリフォルニア州サンディエゴの出身で、1983年11月19日に生まれた。7才のときに両親が離婚し、母とともにインディアナ州ミシャワカに引っ越す。
演技に興味を持ち始めたドライバーは、ハイスクールの教師にすすめられてジュリアード音楽院を受験するも、結果は不合格だった。
2001年にハイスクールを卒業すると、アダム・ドライバーは訪問販売と電話勧誘の仕事についた。しかしその年、9月11日の同時多発テロ事件がきっかけとなり、海兵隊に入隊した。
海兵隊員になったアダム・ドライバーだが、イラクに派兵される直前、胸骨を負傷して除隊となってしまう。そして彼は、将来のあてもなくインディアナポリス大学に入学したとされる。大学では学校演劇に出演し、卒業後ふたたびジュリアード音楽院に挑戦、この度は入学を許された。
ジュリアードを出た後、ドライバーはニューヨークで舞台の仕事をはじめ、活躍の舞台を映画の世界にも広げていったのだ。
そんな彼の最新作のひとつが映画『65/シックスティ・ファイブ』(2023年)である。「65」とは「sixty-five million years ago」、すなわち6500万年前の地球が舞台という意味であり、他の惑星の輸送船がその頃の地球に不時着し、生存者たちが脱出を図るというストーリーだ。
ちなみに約6500万年前の地球は、地質時代でいうと中世代の白亜紀ごろにあたる。
この映画でアダム・ドライバーは、子役のアリアナ・グリーンブラットとほとんど二人だけで画面をもたせている。セリフは決して多くはなく、表情のかすかな変化だけで多くを伝えている。新人俳優ではとてもこうはいかない。十分な演技経験を積んだアダム・ドライバーの力量をもってして初めて、説得力を持ってくる作品である。
ところで、彼はどんな演技経験を積んできたのだろうか? いくつかの主要な劇場公開作を、とくにノア・バームバックとジム・ジャームッシュとの仕事に注目して紹介しよう。
アダム・ドライバーと関係の深い映画人に、ノア・バームバックがいる。彼が脚本と監督を担当した作品が『マリッジ・ストーリー』だ。
映画のあらすじは、夫婦がそれぞれ弁護士を立てて離婚するまでの話である。一人息子の親権をめぐり、どちらも主張をゆずらない。夫をアダム・ドライバー、妻をスカーレット・ヨハンソンが演じており、ヨハンソン側の弁護士を演じたローラ・ダーンはアカデミー賞助演女優賞を受賞した。
ジム・ジャームッシュ監督もアダム・ドライバーと関係が深い。ジム・ジャームッシュ監督の『デッド・ドント・ダイ』は、日本では「愛すべきオンリーワンのゾンビ映画」と紹介されている。この作品でドライバーは、ビル・マーレイ、ティルダ・スウィントン、クロエ・セヴィニーらと共演した。
同じくジム・ジャームッシュ監督作の『パターソン』。アダム・ドライバーが演じるのは路線バスの運転手で、日々の印象を詩に書きとめることを習慣としている。
このバス運転手は妻と二人で暮らしており、その妻をゴルシフテ・ファラハニが演じている。この女性が少し変わった趣味の持ち主で、白地に黒のドーナツ柄に凝っていて、部屋のインテリアは彼女の趣味に統一されている。バス運転手の一週間が淡々と描かれる、どことなく暗い側面もある詩的な作品だ。
ジム・ジャームッシュ監督の80年代の映画の常連に、ジョン・ルーリー(1952年生まれ)という俳優がいる。熱帯に生息する淡水魚を思わせる独特な風貌の持ち主で、髪は黒い。ジャームッシュの作品世界において、もしかするとアダム・ドライバーはジョン・ルーリーの後継者になっているのかもしれない。
『ヤング・アダルト・ニューヨーク』はオリジナルタイトルを「While We're Young」(若いうちに)といい、ノア・バームバックが脚本と監督をつとめている。描かれるのは都会に住む、知識階層に属する中年夫婦。幸福なはずだが、なんとなく現状に飽き足りないところを感じてしまう、そんな人々を描くことがこの監督にとって重要なテーマになっているようだ。
そんな中年夫婦はある日、アーティストとして生きる若い夫婦と新しく知り合う。その若い夫を演じるのがアダム・ドライバーだ。アマンダ・サイフリッドがその妻を演じている。
モノクロの映像が胸にひしひしと迫ってくる『フランシス・ハ』。監督をノア・バームバック、脚本をノア・バームバックとグレタ・ガーウィグがつとめた作品。主人公フランシスを演じるのはグレタ・ガーウィグで、その友人、レヴ・シャピロの役をアダム・ドライバーが好演した。
まだ「若手注目株」くらいの俳優だったアダム・ドライバーは、それから10年余り、ハリウッドの個性派スターへの道を駆け上がっていったのである。