英王室を支える「レディ・イン・ウェイティング」っていったいどんな人?
現代社会の弛まぬ変化に合わせ、英王室のあり方もたえず進化をしつつある。そんななか、女性王族に専属で仕える「レディ・イン・ウェイティング」という制度は縮小しつつもいまだに続く伝統のひとつだ。高貴な女性たちのいわば側近となるのは、いったいどのような人たちなのだろうか。
伝統的には、「レディ・イン・ウェイティング」は王家とも繋がりのあるような名家から選ばれる。王家の女性に付き従い、補佐する女性として選ばれるのは昔からの幼なじみであることが多い。
仕事の内容は主に個人的な補佐だ。王族の側近として、荷物持ちや使い走りから日々のタスクの管理や公的な行事に参加する際の付きそいまで、多岐にわたる業務をこなす。
このように、レディ・イン・ウェイティングの仕事は王族の女性たちのすべての要望に応えることだ。しかも、この仕事は「ボランティア」であり、報酬は支払われない。
先日戴冠した国王チャールズ三世の妻、カミラ王妃ははやくもこの古くからある制度を変えており、自身は「レディ・イン・ウェイティング」を付き従えていない。代わりに、何人かの「お供」を連れているという。BBCが報じた。
バッキンガム宮殿の発表によると、カミラ王妃には6人の信頼できるお供がいて、日々の雑務をこなしてくれるという。まずはチャールズ三世のはとこのサラ・トラウトン(写真左)。そして王妃の親友であるレディ・サラ・ケズィック。元貴族院広報のチザム男爵夫人。ランズドーン侯爵夫人フィオナ・シェルバーン。エリザベス二世のレディ・イン・ウェイティングを務めた人物の娘であるレディ・キャサリン・ブルック。そしてジェーン・フォン・ヴェステンホルツだ。
カミラ王妃は現国王と結婚して脚光を浴びるようになって以来一貫して血縁を重視しており、コーンウォール公爵夫人時代には妹のアナベル・エリオットをレディ・イン・ウェイティングに任命している。
アナベル・エリオットはコーンウォール公爵家のインテリア・デザイナーにも任命されており、これは王室にも驚きを持って迎えられた。さらに、王妃の親友で元同級生のカースティ・スモールウッドもじつは親戚でもある。スモールウッドはカミラ王妃が姻戚関係にあるビーバーブルック男爵の異母姉なのだ。
アン王女は11人ものレディ・イン・ウェイティングを擁している。海外に行くときに同行する人物がひとりいる。また、全体的に勤続年数が長いのも特徴で、50年以上仕えている人物が2人、40年以上が3人、30年以上が5人いる。以下に紹介する3人はいずれもロイヤル・ヴィクトリア勲章の受勲者だ。
レディ・レオノーラ・グロブナーはウェストミンスター公爵の5番目の娘だ。1979年からずっとアン王女のレディ・イン・ウェイティングを務めている。レオノーラは1975年に結婚してリッチフィールド伯爵夫人となり3人の子どもをもうけたが、1986年に離婚している。2020年のエリザベス女王の誕生日を祝した叙勲に際してロイヤル・ヴィクトリア勲章を受けている。
2020年には別のレディ・イン・ウェイティング、アラミンタ・メアリー・リッチーもロイヤル・ヴィクトリア勲章を受けている。アラミンタはアン王女が名誉連隊長を務める部隊に所属していたチャールズ・リッチーと結婚していた。チャールズは残念ながら2020年に亡くなったが、アラミンタは勤務を継続、手紙の代筆や外遊へのお供などの業務をこなしている。
馬が結ぶ縁もある。ジェーン・ホルダネス=ロッダムはイギリスの馬術家で、1968年のメキシコシティオリンピックでは団体競技で金メダルを取ったこともある。自前の厩舎も持っているが、そんな彼女も、同じく馬を愛していることで知られるアン王女のために時間を割いてもいる。同じく2020年に受勲している。
ダイアナ妃も血縁を大事にしたひとりだ。王族となったときには姉のレディ・サラ・マッコーコデールをレディ・イン・ウェイティングに任命。『デイリー・エクスプレス』紙によれば、ウィリアム皇太子とキャサリン妃もこの伯母とは親しく、ダイアナ妃の17回忌をともに過ごしたという。ダイアナ妃はウェールズ公妃時代にはほかに5人の女性をレディ・イン・ウェイティングに任命していた。
ヨーク公爵夫人セーラは2010年にオプラ・ウィンフリーのインタビューに応じている(つまり、ヘンリー王子とメーガン妃が最初というわけではない)。主なテーマはアンドリュー王子のスキャンダルだったが、自身のレディ・イン・ウェイティングについても話している。それによると、公爵夫人には6人のレディ・イン・ウェイティングがおり、ティッシュを落としたときには拾ってもらったりしているのだとか。
エディンバラ公爵夫人ソフィーが王族の一員になるのには時間がかかった。なんでも、レディ・イン・ウェイティングをつけてもらえるようになるために10年も待たねばならなかったという。いざその時がきたら、ソフィーは旧知の間柄であり、かつてルームシェアもしていたことのある人物サラ・シエネージを選んだ。やはり持つべきは友ということか。
次はお待ちかねのキャサリン妃について。といっても、キャサリン妃は簡素を旨としており、結婚後も長い間レディ・イン・ウェイティングを付けずにいた。2011年に結婚記念のロイヤル・ツアーでカナダとカリフォルニアに行ったときにも女性のお付きはいなかった。
『デイリー・メール』紙の当時の報道によると、関係者がこう語っていたという:「キャサリンはぜんぜんわがままを言ったりしないんです。レディ・イン・ウェイティングも要らないと言っていました。考えは変わるかもしれませんが、今回のツアーで様子をみるのでしょう」
2012年になって初めてレベッカ・ディーコンをレディ・イン・ウェイティングに任命。しかし彼女も2017年には職を離れてしまう。『デイリー・メール』紙によれば働きぶりは申し分なかったようだが、結婚に伴って新たなキャリアを求めたらしい。王宮のリリースでは次のように言われている:「キャサリン妃は過去10年にわたるレベッカの献身的なサポートに大変深く感謝しておられ、彼女の次のステップが実り多きものとなることを祈っております」
レベッカのあとを継いだのがオックスフォード大学サイード・ビジネススクールのキャサリン・クインだった。クインはキャサリン妃とともに多くの行事に出席、最初の仕事は任命から3ヶ月後、ロンドン国立テニスセンターでのものだった。
正式にはレディ・イン・ウェイティングではないものの、レディ・ローラ・ミード(写真左)もキャサリン妃の王宮生活には欠かせない存在だ。ロムニー伯爵の娘であるローラはジェームズ・ミードと結婚。そのジェームズはウィリアム皇太子の友人で、結婚式では友人代表でスピーチも務めたほど。ちなみに、ローラはルイ王子の名付け親でもある。
エミリア・ジャーディン=パターソンのことも無視できない。キャサリン妃のかつての学友で、2007年にキャサリン妃がウィリアム皇太子と一時的に別れたときには気を紛らわせるために一緒に地中海のイビサ島に行ったとか。エミリアはジョージ王子の名付け親でもあり、これからも長い付き合いになりそうだ。
故エリザベス二世の周りには9人の貴族の女性が仕えていた。残念ながらそのうち2人は女王に先立って亡くなってしまったが、7人は存命だ。レディ・イン・ウェイティングとはいえ常に生活をともにしていたというわけではないが、必要があればそうすることもあった。
1人目はグラフトン公爵夫人アン・フォーチュン・フィッツロイだ。女王のもっとも親しい側近の一人だったが、2021年12月3日に亡くなった。1987年から女王の寝室付きの立場となり、1956年のナイジェリアや1972年のフランス、1980年のモロッコ、1994年のロシアなど、多くの外国訪問に同行した。
2021年の12月は女王にとってつらいことが重なり、もうひとりのレディ・イン・ウェイティング、レディ・ファーナムも12月9日に亡くなっている。レディ・ファーナムは勤続34年で、フィリップ王配が入院したためダイヤモンド・ジュビリーでは女王と同乗、以降も多くの行事に同席した。レディ・ファーナムの葬儀の際、女王は出席できなかったためメアリー・モリンソンが代理を務めた。
そのメアリー・モリンソンは2014年の『テレグラフ』紙のある記事によると女王の側近の一人だという。男爵の娘として生まれ、ロイヤル・ヴィクトリア勲章デイム・グランド・クロスを受章しているほか、王室から勤続60年功労賞を受け取っている。そんな彼女だが、称号は「デイム」ではなく「オナラブル」だけを使うようにしていたとか。
伯爵の娘として生まれたレディ・リーミングは女王の親戚でもあった。レディ・イン・ウェイティングとなったのは比較的遅く、2017年のことだった。
スーザン・ローズも2017年に任命されたうちのひとりだが、スーザンの義母が1947年のエリザベス二世とフィリップ王配との結婚式でブライズメイドを務めていたとあって、関係は古い。スーザンは、パンデミック下でウィンザー城に「HMS(Her Majesty’s Ship=女王陛下の艦艇)バブル」として知られる厳格な衛生管理体制を敷く際に活躍、ほかの家族と同席するのが危険と考えられていた時期には(カミラ妃ではなく)スーザンがバルコニーで女王と同席することもあった。
ヴァージニア・オギルヴィーは結婚して貴族の仲間入りを果たした女性だ。夫は第13代エアリー伯爵のデビッド・オギルヴィー。伯爵夫人は女王のそばにいる姿が何度か見られている。アメリカを訪問したときも同行し(ヴァージニアはアメリカ出身)、女王とともにブッシュ大統領夫妻と面会している。
『タトラー』誌によると、レディ・スーザンは女王の側近の中でもナンバーワンとして知られていたという。第12代ウォルデグレーヴ伯爵の末娘として生まれたレディ・スーザンは1960年から王室に出入りしており、女王の信頼も厚かったようだ。仕え始めたのはちょうどアンドリュー王子が生まれた頃で、手紙の返事などを手伝っていたという。ただ、人種差別的な発言が問題視されて解任されてしまった。
ロベール・ド・パス夫人のフィリッパは1987年に寝室付きとして任命されて以来、最期まで女王に仕えた。女王に自分の誕生日パーティに来てほしいと願った6歳の女の子に宛てた手紙の作者として有名かもしれない。もちろん、女王自身は参加が叶わなかったが、フィリッパの書いた返事は大変美しく、真摯に謝罪して女の子のパーティの成功を祈るものだった。
元貴族院議員の男爵に嫁いだレディ・エルトンも女王のそばに仕えていたひとりだ。彼女のキャリアの中でも特に印象深いのはノーフォークのマーハム空軍基地を訪問する女王に同行したときのことで、「スコーチ」という名前のぬいぐるみに目を奪われて立ち止まっていた。
『ザ・サン』紙によると、女王の親友であり王室のドレスメーカーでもあったアンジェラ・ケリー(写真右)は、晩年、運動障害に直面した女王の介助のためにウィンザー城に移っていたという。現在65歳のケリーは王室に28年間仕えており、パンデミック時には「HMSバブル」の一員として女王の散髪も担当していたとか。
アナベル・ホワイトヘッドも「デイム」の称号をもらっているが、やはり「オナラブル」だけを使い続けたひとり。女王に仕えている間も控えめで目立つことはなかったが、非常に辛い時期にもそばにいつづけたと伝えられている。
そんな彼女が注目を浴びてしまったのが2014年に開催された総合競技大会「コモンウェルスゲームズ」のとき。当時71歳だったアナベルは横にいる女王の視界を遮るほどの巨大な帽子を身につけていたのだ。『デイリー・メール』紙はさらに、アナベルが着ていた緑の服は女王自身の服に近すぎるとも苦言を呈していた。そんな事件もあったものの、長年の勤務が評価されてロイヤル・ヴィクトリア勲章デイム・コマンダーを受章している。また、2002年に亡くなったマーガレット王女にもレディ・イン・ウェイティングとして仕えていた。
カトリン・ダグデイルは女王のレディ・イン・ウェイティングの中でも最古参で、多くの行事の際にそばにいる姿が見られ、写真に写っていることも多い。1955年に寝室付きとなって以来、2002年に引退するまで仕え続け、2004年に80歳で亡くなった。
レディ・イン・ウェイティングは女王だけでなく高位の王族にも付くわけだが、なかでも女王の妹、マーガレット王女は多くのレディ・イン・ウェイティングを抱えていた。そのうちのひとりが2019年に書いた回顧録はアメリカでもベストセラーになるほどの注目を集めた。
回顧録を書いたのは第5代レスター伯爵の娘であるレディ・アン・グレンコナーだった。その本では仕事の内容が詳述されており、1953年のエリザベス二世の戴冠式でメイド・オブ・オナーを務めた際のことや、その後マーガレット王女のレディ・イン・ウェイティングに任命されたことなどが書かれている。
回顧録を出版した理由について、『タイムズ』紙上でこう語っている:「マーガレット王女についてひどいことばかり言われているのに嫌気が差したんです」
レディ・アンはマーガレット王女の外遊に同行、アメリカやオーストラリア、香港などに随伴した。フィリピンでは肺炎にかかった女王の代行を務めたこともある。側近としてのレディ・アンの姿はネットフリックスの人気ドラマ『ザ・クラウン』のシーズン3と4でも描かれており、ナンシー・キャロルが演じている。