主演作『劇場版ドクターX FINAL』が大ヒット!米倉涼子のキャリアを振り返る
『劇場版ドクターX FINAL』が大ヒットしている。公式Xによれば、米倉涼子が主演を務める本作は公開45日間で観客動員数226万人、興行収入30憶円を超えたという。
本作はテレビ朝日『ドクターX~外科医・大門未知子~』シリーズの完結編として制作された。2012年から7シリーズに渡って放送された人気ドラマで、主人公である超一流の腕前を持つ外科医を米倉涼子が演じている。
『劇場版ドクターX FINAL』は、昨年10月に76歳で急逝した西田敏行の遺作でもある。映画の舞台挨拶で、生前の西田が米倉にむけた最後のメッセージが読み上げられると、米倉は舞台上で号泣した。
そんな米倉は1975年8月1日に神奈川県に生まれた。『朝日新聞』によれば、5歳の時にクラッシックバレエを習いはじめ15年間続けた。小学生の頃からコンクールにも出場し、プロのバレリーナを目指していたという。
同紙によれば、高校生の時に、友人が米倉を「全日本国民的美少女コンテスト」に応募させた。そのコンテストで特別賞を得たことでモデルとしてデビューし、ファッション誌『CanCan』の専属モデルを務めるようになったという。
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その後、女優に転身しTBS『恋の神様』(2000年)でドラマデビューを果たした。『女性セブン』誌によれば、ドラマ『非婚家族』(2001年)で共演した真田広之に大きな影響を受け、憧れていたという。当時、真田が演技論を語る飲み会が度々開かれおり、米倉はそれを正座して聞いていたそうだ。
2008年にミュージカル『CHICAGO』日本版で主役を射止めると、本場ブロードウェイ進出の夢を抱くようになった。英語は得意ではなかったが、必死に習得したことを『ニューズウィーク』誌で語っている。
その努力が実り、2012年に米ブロードウェーミュージカル『CHICAGO』で、アジア人として初めて主役に抜擢された。さらに2017年、2019年と3回に渡り、主役のロキシー・ハートを演じた。
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また、米倉が主演を務めたドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』(2012年)も大ヒットを記録し、シリーズ化された。キャリアは順風満帆、しかし病魔が忍び寄っていた。
2019年、『ドクターX』の記者会見で、米倉は「低髄液圧症候群」を患っていることを明かした。脳や脊髄の周りにある髄液が何かしらの理由で漏れることで、頭痛、めまい、倦怠感などさまざまな症状を引き起こす病気だ。
2022年9月にはこの病によりドクターストップがかかり、米ブロードウェーミュージカル『CHICAGO』の主演を降板せざるをえなくなった。『スポーツニッポン』紙によれば、『CHICAGO』初演から25周年を記念する公演で、米倉自身にとってもブロードウェーデビュー10周年となる特別な公演だったという。
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米倉は自身のインスタグラムにこう綴った:「......ここに来るまで肉体的にも精神的にもボロボロの状態です。気合と根性だけではどうにもなりませんでした」
昨年6月にNHK『あさイチ』に出演した米倉は、まっすぐに歩けない、立ち上がれない、一度治療を受けると最低2週間は寝たきり状態となっていたことを告白。米倉が生放送に出演するのは2019年に病を公表して以来、はじめてのことだった。
同番組によれば、初めて病気を発症したのは『CHICAGO』の練習中で、「低髄液圧症候群」であると判明するまでだいぶ時間がかかったという。思うように体が動かず、ここ2年間は引退も考えていたが名医と出会うことができ、思いがけない早さで快方に向かっているという。
昨年12月に『徹子の部屋』に出演した米倉は、人気シリーズが最後となったのは「単純にみんなが年をとってきた」という理由のほかに、自身が発症した病気により撮影を続けることが困難になったからだとし、みんなに助けてもらいながらなんとか『劇場版ドクターX FINAL』を撮り切ることができたと明かした。
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米倉が演じるドクターXの外科医、大門未知子の決め台詞は「私、失敗しないので」だ。そんな当たり役となった大門と同じように、米倉も難病と闘いながら映画を見事”大成功”に導いた。