ハリウッドの伝説ライアン・オニール、82歳で逝去
12月8日、ハリウッドを代表するスター俳優として活躍したライアン・オニールが逝去した。白血病で長く闘病しており、家族に見守られる中静かに息を引き取ったという。
ライアン・オニールはアリ・マッグローと共演した恋愛映画『ある愛の詩』(1970)を代表作とし、数々の名作に出演して世界中の人々を魅了した。
父親が脚本家、母親が女優という芸能一家に生まれたライアン・オニールは、生まれた時から映画の世界に親しんでいた。
上の写真は人気テレビドラマ『ペイトンプレイス物語』に出演していた1965年のもの。息子のグリフィンとともに。
ライアン・オニールは1963年に女優ジョアンナ・ムーアと結婚し、やがて娘テイタムを授かった。テイタム・オニールは幼い頃から子役として父親と共演したことで、オニールの子供たちの中ではいちばんよく名を知られている。
ピーター・ボグダノヴィッチ監督のコメディ映画『おかしなおかしな大追跡』(1972)、続編の『おかしなおかしな大泥棒』(1973)ではバーブラ・ストライサンドと共演。2大スターの組合せが話題を呼び、キャリアを代表する作品のひとつとなった。
おなじくピーター・ボグダノヴィッチがメガホンを取った『ペーパームーン』(1973)では娘テイタムと共演、コミカルかつ心温まるドラマを展開した。同作も大きな成功をおさめ、ライアン・オニールは70年代を代表するトップスターとしての地位を固めた。
1970年代のライアン・オニールは飛ぶ鳥も落とす勢いだった。スタンリー・キュービック監督の大作『バリー・リンドン』(1975)に主演し、ハリウッドのトップスターとしてジャック・ニコルソン(写真)等と肩を並べた。
オニールが出演した『ある愛の詩』(1970)はアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞で複数の賞にノミネートされた。『ペーパームーン』(1973)では娘テイタムがアカデミー賞助演女優賞に輝いている。
ライアン・オニールは華麗な女性遍歴でも知られた。初代ボンドガールのウルスラ・アンドレス、米女優のジャクリーン・ビセットやアンジェリカ・ヒューストン、歌手のダイアナ・ロスとも浮名を流したほか、70年代を象徴する女優ファラ・フォーセットとは20年近く交際を続けて一子を授かっている。
1980年代に入るとライアン・オニールの成功には陰りが見え始める。後年に出されたオニールの回想録では、パーティとアルコール三昧の日々を送っていたこと、それが仕事にもプライベートにもマイナス影響をもたらしたことが明かされている。
ライアン・オニールはかつての自分について、「父親として未熟であり、子供たちの日常生活についてあまりにも無関心でした」と振り返っている。娘のテイタム・オニールは、父親は薬物を摂取して暴力的になることがあったと明かした。
2008年、マリブの自宅にいたライアン・オニールは、息子のレドモンドとともに覚せい剤所持容疑で逮捕された。その3か月前に薬物所持で有罪となっており、保護観察中のできごとだった。
ライアン・オニールは2001年に慢性白血病と診断され、闘病をしながら俳優活動も続けて最終的に2006年に寛解している。その後、2012年に前立腺がんであることを公表。
オニールのキャリア後半を代表する作品は米人気テレビドラマ『Bones』だ。マシュー・ブレナンという偽名を使い犯罪者としての過去を隠すマックス・キーナンという複雑な役どころ。エミリー・デシャネルが娘役で出演している。
ライアン・オニールは家族関係も複雑だったが、晩年にはかなり修復できていたようだ。ロサンゼルスで闘病していたオニールが12月8日に家族が見守る中で逝去したことを、息子でスポーツキャスターのパトリック・オニールが公表した。
娘のテイタム・オニールは『ピープル』誌に対し、次のように語った:「父が亡くなり悲しみに暮れています。私にとって父はこの世のすべてでした。父を深く敬愛していましたし、父も私を愛してくれていました。旅立ってしまったことをいつまでも寂しく思うことでしょう」
息子のパトリック・オニールは声明を通じ、「ハリウッドの伝説」がこの世を去ったと表現している。名優ライアン・オニールの訃報を前に、多くの人が同じ思いでいることだろう。