ジョニー・デップの華麗なる恋愛遍歴
長期化していたジョニー・デップと元妻アンバー・ハードの名誉棄損裁判は、ジョニーの勝訴で結審した。それと同時に、裁判を担当した弁護士とジョニーが交際という噂がメディアを賑わせた。今回は渦中の人、ジョニー・デップの華麗なる恋愛遍歴を振り返ってみよう。
写真は80年代のジョニー・デップ。彼は1983年にロサンゼルス出身のメイクアップアーティスト、ロリ・アン・アリソンと結婚している。
ジョニー・デップの伝記『The Amazing Life of Johnny Depp(マット・グリーン著)』によれば、結婚当時の彼は20歳、ロリはジョニー・デップが所属していたバンドのベーシストの姉で、25歳だった。
結婚から2年目の1985年に別居し、やがて離婚に至ったものの二人の関係は良好だという。ニュースサイトの『TMZ』によれば、二人は親しい友人であり続けているそうだ。
ロリと離婚したジョニー・デップが交際を始めたのはシェリリン・フェン。『インサイダー』誌によれば、二人の交際は1986年から1989年頃にあたるようだ。
シェリリン・フェンは2017年に『ビッグイシュー』誌にジョニー・デップとの関係について語った:「二人とも駆け出しの頃に2年半ほど付き合っていたわ。とても優しい人で、私にとって初恋の人だったの」
「一人の若い女性として初めて本当の愛を知ったの。同じ道を歩む人だったし、たとえそうでなくても二人の愛と絆はとても強かったと思う。一緒に料理をしたり、出かけたり、一緒に泣いたり笑ったり......。映画スターとしてではなく、一人の人間として彼のことを知った」
破局の理由についてとくにコメントはされていない。『ザ・リスト』誌によればフェリリン・シェンはジョニー・デップを高く評価しており、実際、アンバー・ハードへのDV疑惑が浮上した時にはツイッターを通じて元交際相手を擁護している。
1989年、ジョニー・デップは『ダーティ・ダンシング』で一躍スターとなったジェニファー・グレイに対し、交際2週間目にしてプロポーズをした。
それから時が流れ、ジェニファー・グレイは『ピープル』誌のインタビューで、ジョニー・デップへの愛を綴った当時の日記を引用している:「人生で初めて本気の恋をしている。彼は優しくてユーモアがあり、スマートで道徳的、思慮深くて尊敬できる人」
ジェニファー・グレイは回顧録『Out of the Corner』でもジョニー・デップとの関係について言及している。ちなみに、回顧録のタイトルは『ダーティ・ダンシング』の名台詞「ベイビーを不当に扱うヤツは僕が許さない "Nobody puts Baby in a corner"」にちなんだものだ。
二人はお互いに納得した上で別れることになった。ジェニファー・グレイはトーク番組の『エンターテイメント・トゥナイト』で、二人で話し合った末に出した結論だとしている。
ジェニファー・グレイは「起こるべくして起こった自然な別れだった。私は心の中で傷ついていて、別れることでその痛みから解放されたの」といっており、二人は結婚には至らなかった。
ジョニー・デップの恋愛遍歴の中で、最も注目を集めた交際相手はウィノナ・ライダーだろう。腕に「Winona forever」とタトゥーを入れたことも有名なエピソードの一つとなっている。
交際を始めた時、ジョニー・デップは25歳でウィノナ・ライダーはまだ17歳だった。二人は3年間婚約をしていたものの結婚には至らず、有名なタトゥーは「Wino forever」に書きかえられた。
『タイム』誌に対し、ウィノナ・ライダーは「暴力を受けたことなんて一度もない。率直にとても良い人だと思っている。信じられないほど愛情深くて、思いやりのある人。彼は私を含め大切な人たちを強く守るタイプだから、一緒にいるととても安心できた」と語っている。
ウィノナ・ライダーと破局してからアンバー・ハードと結婚するまでの間に、ほかに2人のセレブとの交際が明らかになっている。
ウィノナ・ライダーと別れたジョニー・デップはトップモデルのケイト・モスと交際を開始、二人ともハリウッドの“Aリスト”級のスターだったことから大きな注目を集めた。
その頃の『インサイド』誌は、ジョニー・デップがニューヨークにあるマーク・ホテルの一室を破壊したと報じた。告訴を回避するため、ジョニー・デップは9,000ドルを超える損害賠償金を支払う羽目になった。その部屋にはケイト・モスも一緒にいたが、ケガはなかったと『ピープル』誌が伝えている。
『ピープル』誌に対し、ジョニー・デップはロンドンにあるホテルのバスタブを満たすため1本1,000ドルのシャンパンボトルを開けていたという。ケイト・モスのモデル事務所は、この乱痴気パーティに彼女が参加していたことを否定している。
『ピープル』誌によれば、ジョニー・デップの友人で映画監督のジョン・ウォーターズはマーク・ホテルの一件をこう語っている。「ジョニーは確かに気が短いと思う。きっかけはルームサービスが悪かったとか、ほんの些細なことだったんだろう」
『ピープル』誌によれば、ケイト・モスもまた、カンヌの名門ホテル「オテル・デュ・キャップ」の部屋を壊したことがあるそうだ。公共スペースである廊下でビキニ姿が許可されないことに激怒したことが原因で、この事件でホテルから永久に出入り禁止を言い渡されている。
2012年、ケイト・モスは『ヴァニティ・フェア』誌にジョニー・デップとの破局について語っている。「何週間も泣いていたわ。あの頃の私には親身に相手になってくれる人なんていなかった。ジョニーは少しの間だけれど私を大切にしてくれた。何をどうすべきか相談すれば答えてくれたし、その言葉はすべて信じることができた。彼と別れた時、そのすべてを失ってしまった」
互いに強く惹かれ合った二人だが、やがて別々の道を歩むことになる。ケイト・モスは『ヴァニティ・フェア』誌に対し、「心から信頼できる人を失ってしまった。まるで悪夢のようで、長い期間にわたり泣き続けたわ」と悲しみを語っている。
ジョニー・デップの次の恋もきわめて真剣なものだった。ロマン・ポランスキー監督の『ナインスゲート』の撮影をきっかけにフランス人女優兼歌手ヴァネッサ・パラディと出会い、1998年から交際をスタートさせた。
「バックレスドレスを着ていた彼女の背中と首が目に入ったんだ。そして彼女が振り返り、目が合った。その瞬間、ドカンと恋に落ちたんだ」ジョニー・デップは当時の『ディリー・メール』誌でヴァネッサ・パラディに一目惚れした瞬間について語っている。
二人は順調に関係を育み、14年にわたる交際期間にはリリー=ローズ・メロディ(1999年生) とジョン・クリストファー (2002年生)という2人の子供にも恵まれた。しかし、2012年に破局。
『ローリング・ストーン』誌に対し、ヴァネッサ・パラディは二人の破局の一因は遠距離という関係性にあると語っている。「だれしも不幸な関係に陥ることがあるもの。誰かを深く愛しているのに、そのことが自分を不幸にしていて、いつか変化が訪れてすべてうまくいきだすという望みをもってしまう」
ヴァネッサ・パラディとの破局が明らかになった時、ジョニー・デップはすでにほかの有名女優と恋愛関係にあった。
2009年に『ラム・ダイアリー』の撮影現場で知り合ったジョニー・デップとアンバー・ハードは、映画のプロモーション中の2011年に交際をスタートさせた。
二人は2015年に結婚。当時の『ピープル』誌によれば、出席者25人ほどの小さな結婚式が執り行われた。結婚生活の詳細については、その後の裁判を通じ、メディアで大きく報じられることになる。
二人は2017年に離婚。アンバー・ハードは身体的虐待を理由にジョニー・デップに接近禁止令を申請するが、法廷外で「和解」し取り下げを行った。ジョニー・デップは和解金として700万ドルを支払った。
『BBC』の報道によれば、この騒動の後に二人は共同声明を発表している。「私たちの関係はきわめて情熱的で、時に不安定ではあったけれど、つねに愛で結ばれていた。どちらも金銭的な利益を得るために虚偽の告発をしたわけではなく、肉体的または精神的な危害を加える意図はまったくなかった」ともあれ、二人のハリウッドスターは、泥沼裁判の末に離婚した。
離婚後は、ジョニー・デップが独り身であると複数のメディアが報じていた。2020年にはイギリス出身のモデル、ソフィー・ヘルマンと交際との噂も流れたが確認はされていないと『The List』誌が伝えていた。
そして裁判に伴い、ジョニーの新たなロマンスの噂が伝えられた。相手はジョニーがイギリスで起こした裁判の担当弁護士、ジョエル・リッチだ。
2018年にイギリスの『ザ・サン』紙がジョニー・デップによるDV疑惑を報じ、彼のことを「Wife Beater(妻を殴る男)」と呼んだことから、ジョニーは名誉毀損裁判をおこしていた。そこで本件を担当していたロンドンの弁護士事務所に所属するジョエル・リッチが、彼の新たな恋人となったようだ。
どちらも交際についてコメントは出していないが、『Usウィークリー』誌によれば、二人の関係は本物だという。ジョニー・デップの華麗なる恋愛遍歴に、新たなページが加わったようだ。