歴史に名を刻んだスケールの大きい詐欺師たち
うまい話には裏があるものと昔から決まっている。ひときわ巧妙な詐欺のなかには歴史を越えて語り草となっているものも。そんな華麗な詐欺師たちを振り返ってみよう。
18世紀初頭、フランスはルイ14世が見境なく行っていた戦争のせいで荒廃していた。そんな時、スコットランドの経済学者ジョン・ローがフランスの財政を立て直す魔法のような策を思いついた。
フランス初の中央銀行「バンク・ロワイヤル」総裁に就任したローは、初めて紙幣を導入した。だが、やがて紙幣を手にした人たちが換金を求めて取り付け騒ぎが起こり制度は崩壊。歴史上初とも言える金融危機を引き起こしたローは逃げるようにフランスを後にした。
19世紀初頭の人物、グレガー・マグレガーは当初イギリス軍の将軍だったが、後にベネズエラで傭兵となり、やがて「ベネズエラおよびヌエバ・グラナダ連合州准将および東西フロリダ軍総司令官」を自称するようになった。
マグレガーはさらに架空の国ポヤイスをでっちあげ、ヨーロッパの投資家に売りつけた。これ以上なくスケールの大きい大詐欺師として歴史に名を残している。
イタリアで生まれたチャールズ・ポンジは1903年に米国に渡り、1919年、ボストンでシンプルだが非常に効果的な詐欺を働いた。高利率をうたって貯金者を募り、払い戻しには新しい預金者の金を充てるという方法だ。
要するにただの自転車操業で、流入者が途絶えると必然的にシステムは崩壊した。この種の詐欺はいつの時代も行われているが、いまでは「ポンジ・スキーム」として知られている。
1916年、アメリカでルイス・アインリヒトなる男が革命的な発見をしたと称してマスコミを集めた。いわく、従来のガソリンの3割ほどのコストで作れる新しい燃料を開発したというのだ。
アインリヒトは多くの投資家から資金を集め、その中にはかのヘンリー・フォード(写真)もいたという。そうして大量の金を手にしたアインリヒトは忽然と姿を消し、あとに残されたのはなんの変哲もないただの混合燃料で、せいぜいエンジンを始動させるくらいの役にしか立たないものだった。
チェコ生まれの詐欺師、ヴィクター・ルスティヒはアメリカではかのアル・カポネにも一杯食わせている。だが、彼の名が歴史に残っているのはなによりも「エッフェル塔を売った男」としてだろう。
パリにやってきたルスティヒはフランス政府の役人のふりをして鉄道関係者に接触、エッフェル塔が解体されるという話を吹き込みその「廃材」を空売りした。しかも一度目の成功に味を占めたのか、別の買い手にふたたび接触。こんどはすぐにばれてただちに逃亡するはめになった。
フランク・アバグネイル・ジュニアはスピルバーグ監督の『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002)のモデルにもなった詐欺師だ。16歳のころから小切手偽造に手を染め、パンアメリカン航空の従業員になりすまして会社もちで世界を飛び回ったこともある。
アバグネイル(写真左)はたった5年の間に26の国を渡り歩いた。その間8つの身分を使い分け、数百万ドルもの偽造小切手を使ったとされる。その後、逮捕・収監されるが出所後は詐欺防止コンサルタントとして働いている。
1999年から、J. T. リロイなる人物の自伝的著作がいくつか出版された。トランスジェンダーで被虐待児、薬物中毒などセンセーショナルな内容にただちに大ヒットとなった。
問題は、J. T. リロイは実在しないということだった。「自伝」とされた本はローラ・アルバートという女性による創作だったのだ。「リロイ」が公の場に出るときにはアルバートの義妹のサヴァンナ・クヌープが代役を務めるという徹底ぶりだったが、結局は『ニューヨーク・タイムズ』紙の報道で真実が明かされることになった。
ベルトラッキ夫妻の名前を聞いたことがあるだろうか。この2人は20世紀最大の絵画贋作者で、多くのコレクターや専門家をだましてきた。
夫のヴォルフガングがマックス・エルンストやフェルナン・レジェの贋作を作成し、妻のヘレーネが販売を担当していた。2008年に発覚するまで、数十年続いていたという。
2008年、リーマンショックの最中に逮捕されたバーナード・マドフはウォール街でも有数の投資会社を設立している。ただし、その会社は例のポンジ・スキームにもとづくものだったのだが。
マドフの詐欺行為はリーマンショックに伴って複数の投資家が資金の回収を求めたことがきっかけとなって発覚した。2009年に禁固150年の判決を受け、2021年に亡くなっている。
「世紀の盗み」とも言われるのがグレゴリー・ザウイの事件だ。ザウイはヨーロッパで付加価値税詐欺の手法を二酸化炭素排出量割当に悪用し、2008年から2009年にかけて共犯とともに数十億ユーロを詐取したとされる。
ザウイのグループは付加価値税詐欺の手法を二酸化炭素取引に応用し、架空会社を通じて炭素排出枠を国から国へと移動させた。この事件を受けて炭素排出枠に対する付加価値税は廃止された。