映画よりドラマチック? スカーレット・ヨハンソンの恋愛遍歴
マリリン・モンローをほうふつとさせる官能的な美によって、ハリウッドを虜にするスカーレット・ヨハンソン。魅力たっぷりの彼女はこれまで多くの男たちと恋に落ちてきた。
スカーレット・ヨハンソンは、2001年公開の『ゴーストワールド』に出演したあたりから知名度をあげ、それいらい仕事に困ることはなく今に至っている。恋愛面でも同じように、人生のあるポイント以降、恋愛相手がいなくて困るということはほぼなかったといってよい。
スカーレット・ヨハンソンのボーイフレンドとしてまず知られているのは、17歳のときに付き合っていた同い年のジャック・アントノフである。ふたりは高校の最終学年のときに知り合い、プロムにも連れ立った(ジャック・アントノフはFun.のギタリスト・ドラマー、Bleachersのリード・シンガーとして有名)。
ティーンのふたりは2001年から2002年まで付き合った。別れが訪れたのは、彼女が『ロスト・イン・トランスレーション』に出演し、世界的な知名度を得たあとのことだった。この別れはジャック・アントノフにひどく打撃を与えたようで、歌詞の一節を元カノに捧げている:「ねえスカーレット、君はすっかり変わっちゃった」(スティール・トレイン時代の楽曲「Better Love」の一節)
スカーレット・ヨハンソンとジュード・ロウの恋仲が噂されてからはや20年になる。しかし今に至るまで、愛の当事者とされる二人は2003年のロマンスについて、なんともコメントを発していない。それでも「SFGATE」などのメディアは、このロマンスを実際の出来事として扱っている。
「SFGATE」をはじめとするメディアは、匿名の目撃者の証言をもとに、二人のロマンスを再現している。ロンドンのホテル、ザ・ドーチェスターで二人は会っていたという。「別れる時、ジュードは彼女をハグし、キスしていました。とても親密に見えました」と、情報提供者は「SFGATE」に語っている。
アカデミー賞授賞式のアフターパーティーは、あくまで結果的にということだが、セレブたちが生涯の伴侶を見つけるための絶好の機会を提供している。ただし、スカーレット・ヨハンソンが2004年のパーティーで見つけたのは生涯の伴侶などではなく、燃えたぎる情欲をぶつけられる最高の相手だった。ベニチオ・デル・トロ。
当時の報道記事を読むと、二人の愛は激しく燃え上がったことがわかる。すでに語り草となっている噂に、エレベーターで無我夢中でしているところを目撃された、というものがある。
ジャレッド・レトとヨハンソンの交際は、2004年になんとなく噂されていた。やがて二人は破局するが、仲の良さはそのままだった。だからこそ、2012年の民主党全国大会で再会を果たしたときに、ロマンスの復活がささやかれたのだ。
二人の相性は良いようだったが、どちらも仕事が忙しすぎて、結局うまくいかなかった。2018年のメットガラでもまた顔を合わせるが、このときは噂も立たずじまいだった。
スカーレット・ヨハンソンの恋人選びについてわかりやすい傾向があるとすれば、それは相手の年齢である。彼女の好みは年上で、パトリック・ウィルソンもその要件を満たしている。二人は2003年に交際していた。
2003年当時、スカーレット・ヨハンソンは19歳、パトリック・ウィルソンは30歳だった。カップルは1年間付き合った。
ジョシュ・ハートネットとスカーレット・ヨハンソンは映画『ブラックダリア』で共演し、恋に落ちた。彼らは2005年から2007年まで付き合った。
このカップルの破局は、二人とも忙しすぎて会う時間が作れなかったことに原因がある。ジョシュ・ハートネットは『Mirror』誌のインタビューで、元カノの彼女を手放しで褒めている。「とても楽しい交際だった。彼女のことが本当に好きだったんだ」
ハンサムなジュシュ・ハートネットと別れた後は、同じくらいイケメンのジャスティン・ティンバーレイクが新しい恋人になる。ハートネットと別れてまもなく、スカーレット・ヨハンソンは「What Comes Around.... Comes Around」のミュージックビデオに出演した。このMVで、ティンバーレイクとプールのなかできわどいワンシーンを演じたのだ。
この関係は数週間続いたとされるが、どちらも恋のうわさを認めなかった。しかしメディアは二人が連れ立っている姿を捉え、その関係を明るみに出した。二人は現在まで良好な友人関係を維持しており、コンタクトを取り合っているという。
2007年2月、スカーレット・ヨハンソンはライアン・レイノルズと付き合いはじめる。たしかに当時のライアン・レイノルズは今のような大スターではなかった。それでも二人は、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーになぞらえられるようなハリウッドの今をときめくカップルになった。2008年、ヨハンソンとレイノルズはバンクーバーで内輪だけの結婚式をこっそりと挙げたつもりだったが、『People』誌がこれを報道した。
二人の結婚生活は長くは続かなかった。2010年12月に離婚が発表された。理由はやはり、気持ちのすれ違いとスケジュールの衝突だった。
ライアン・レイノルズと別れたあと、スカーレット・ヨハンソンはショーン・ペンと短くも濃密な関係を結び、多くの人を驚かせた。年齢差は24歳、交際期間は4ヶ月だった。
ショーン・ペンとはオープンに付き合い、いろんなイベントに連れ立ったが、これは彼女にとって例外的なことだった。二人はホワイトハウスの記者ディナーパーティーに出席し(当時はバラク・オバマ大統領)、イベントやディナーに顔を見せたり、共通の友人の結婚式で手を握り合う姿も見せた。
ショーン・ペンとのロマンスも十分驚きだったが、ニューヨークの広告会社重役、ネイト・ネイラーとのロマンスはそれ以上に衝撃的だった。ヨハンソンがショービジネス界の外で恋人を見つけるのはそれが初めてだったからだ。
交際は1年半続き、2012年10月、二人は別れた。『People』誌はヨハンソンの言葉として、パパラッチに付きまとわれることは「彼にとって初めての体験で、それに慣れる必要がある」というコメントを伝えている。彼はどうやらパパラッチに慣れることができなかったようだ。
ヨハンソンは映画『ドン・ジョン』でバーバラ・シュガーマンの役を得た。共演はジョセフ・ゴードン=レヴィット。彼が演じるのは筋金入りの女たらしで、それでもバーバラの愛を勝ち得るために生き方を変えようと奮闘するキャラクターだった。撮影が終わっても、ふたりは恋に落ちたままだった。
2013年に始まった二人の交際はとても短命に終わり、情報もあまり漏れなかった。今にいたるまでどちらの側も交際の事実を認めておらず、さりとて否定もしていない。
2013年9月、ヨハンソンは再び世間をあっと言わせる。ロマン・ドリアックとの婚約を発表したのだ。このフランス人ジャーナリストとは2012年11月から交際していた。婚約から1年後、カップルは第一子の誕生を発表。ローズ・ドロシーと名付けられる。その数ヶ月後、ふたりは結婚する。
しかし2017年1月、破局を迎える。幼い娘の養育権をめぐって激しい争いが繰り広げられた。「TMZ」をはじめとする多くのメディアはこの離婚の原因について、ヨハンソンの名声があまりに大きすぎ、ロマン・ドリアックが窮屈に感じてしまったからではないかといった憶測を飛ばした。
コリン・ジョストはアメリカの番組『サタデー・ナイト・ライブ』のレギュラーを務めるコメディアンである。とすると、持ち前のユーモアで「スカヨハ」を射止めたのだろう。もちろんユーモアが果たした役目は最後のひと押しだったのだろうが。
二人が出会ったのは2017年5月にヨハンソンが『サタデー・ナイト・ライブ』にゲスト出演を果たしたときのことだった。コリン・ジョストはこの番組の脚本家として活躍していた。2019年5月、二人は婚約を発表し、2020年10月に彼女は3度目の結婚をする。
カップルはレッドカーペットにたびたび登場し、コリン・ジョストは往年のハリウッド俳優ばりの素質をのぞかせている。じじつ、ヨハンソンがトーク番組『エレンの部屋』でエレン・デジュネレスに打ち明けているように、「プロポースはとっても素敵だった。ジェームズ・ボンドばりだったわ」ということだ。あなどりがたし、コリン・ジョスト。
二人の関係はそれから順調に続いており、ヨハンソンのこれまで交際暦(歴)に照らし合わせても、コリン・ジョストとの関係は最長記録を更新中である。スケジュールの衝突をのりこえて愛を育んでいるようだ。
2021年8月、スカーレット・ヨハンソンはコリン・ジョストとの第1子となる男の子を出産した。元夫ロマン・ドリアックとの間に娘がいることから、スカーレット・ヨハンソンにとっては第2子となる。現夫と温かい家庭を築き、「コスモ」と名付けた幼い息子の子育てを楽しんでいるという。