日本を代表する歌手で社会活動家としても活躍するMISIA(ミーシャ)の生い立ちと現在
5オクターブの音域を誇る圧倒的な歌唱力で、「5オクターブの歌姫」と称されるMISIAが、この夏46歳を迎える。今回は日本を代表する歌手であると同時に、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいるMISIAの生い立ちを追って行こう。
『徹子の部屋』に出演したMISIAが語ったところによれば、医者である父親が「離島に最新医療を届けたい」と、MISIAが4歳の時に家族で長崎県から対馬島に移り住んだという。両親は共に医者で、兄も医者、姉は歯医者だ。
画像:Instagram, @misia.singer
MISIAは幼い頃から音楽に興味を持ち、母親が知らないうちに一人で地元の合唱団へ行き入団を申し込み、小学6年生の時には既に「歌手になる」と宣言していたという。『婦人公論』誌のインタビューで母親が語った。
画像:Instagram, @misia.singer
前述の番組でMISIAは、高校時代に歌手になるために数多くのオーディションを受けたが、まったく受からなかった。不安になることも多かったが、母親から「明日になるとゼロにもどるから......またそこから頑張りなさい。何回もやり直せることが大事よ」と励まされたという。
画像:Instagram, @misia.singer
福岡市で開催されたオーディションでついに制作会社に見出されたMISIA。上京し、1998年に19歳でシングル「包み込むように...」でデビューを飾った。『西日本新聞』が報じた。
「TOKYO FM」に出演したMISIAが、デビュー当時をこう振り返っている:「......クラブでまだその当時は洋楽しかかかってなかったんだけれども、私の曲で大合唱するっていう現象が起こって、それでいろいろな方が興味を持ってくださって......」
そんなクラブでの成功が後押しとなり、デビュー・シングルは60万枚の売り上げを達成した。さらに2000年にリリースしたシングル「Everything」がドラマの主題歌となり、200万枚を超える大ヒットを記録。一躍スターの座へと駆け上がった。
MISIAのオフィシャルサイトによれば、MISIAは2004年に女性ソロシンガーとして史上初となる全国5大ドームツアーを完全制覇。MISIAのようにヒップホップ、 R&B、ゴスペル、ハウス、バラードといった多種多様なジャンルを歌いこなすアーティストはこれまでいなかったという。
画像:Instagram, @misia.singer
熊本復興支援ライブ「MUSIC for ASO 2016」のサイトによれば、「ASIAの方々にも音楽を届けたい」との思いがMISIAの名前の由来となったという。
MISIAの活躍は音楽シーンにだけにとどまらない。平和や社会貢献のために積極的に活動している。特に力を注いでいるのは子供達の教育支援だ。
『女性自身』誌によれば、MISIAは2008年にアフリカ、そして世界の子供達の教育支援を目的とした非営利団体、「Child AFRICA」を立ち上げた。さらに2010年に国連から生物多様性条約締約国会議、2013年には外務省からアフリカ開発議会の名誉大使に任命されたという。
画像:Instagram, @misia.singer
2019年、MISIAはNHK紅白歌合戦で紅組のトリを務めた。その際に、ステージ上に性的少数者であるLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアの頭文字をとった略語)の社会運動を象徴する旗、レインボーフラッグを掲げ、大きな話題となった。
『ニューズウィーク日本版』によれば、MISIAは「セクシャルマイノリティへの差別・偏見を少しでも減らす社会を目指す」というメッセージを常に発信してきたアーティストだ。そのため、LGBTQを象徴するレインボーフラッグやドラッグクイーンなどが紅白歌合戦のステージ上で演出に加えられたという。
2021年、東京オリンピックの開会式で、MISIAが国歌を独唱した。コロナ渦により無観客となった国立競技場にMISIA流の「君が代」が響き渡った。
「日テレNEWS」によれば、MISIAはウクライナ危機にも支援プロジェクトを立ち上げ、ウクライナ支援を続ける3つの国内団体とユニセフに合計3000万円の寄付を行ったという。
画像:Instagram, @misia.singer
日本を代表する歌姫であると同時に、世界の子供達、不平等、そして平和のために尽力し続けるMISIAから、今後も目が離せない。