ミッキー・ロークの波乱に満ちた半生:セクシー俳優から整形地獄へ
波乱万丈のキャリア(と私生活)を送った俳優のミッキー・ローク。かつてのハリウッドの大スターはどのようにしてすっかり忘れ去られてしまったのだろうか?
ミッキーの俳優人生が暗転したのは、ケガをきっかけとして何度も整形手術を受けたときだ。かつての面影はなくなり、別人のようになってしまったのだ。
整形手術で様変わりしてしまうまで、ミッキー・ロークはその演技力と抜群のイケメンぶりからマーロン・ブランドの再来ともてはやされていたのだ。
俳優であると同時にボクサーとしても活動するという、風変わりなキャリアを選んだミッキー・ローク。2008年の『レスラー』で2つの道が交差したとき、アカデミー主演男優賞にノミネートされたのは偶然ではない。
10歳のときにはじめたボクシングのおかげでミッキーはがっしりとした体躯を手に入れる。しかも、反抗的かつ堂々とした80年代らしい主役を演じるにふさわしい、整った顔立ちも持ち合わせていた。
演技の才能や圧倒的な存在感に加え、見るものを魅了するルックスを備えたミッキーにとって、ハリウッドでの成功は約束されているも同然だった。
さらに、デビューも華々しいものだった。脇役だったとはいえ、スティーヴン・スピルバーグ監督の『1941』(1979年)に出演したのだ。当然、80年代のスターとして目覚ましい活躍をするものと期待されることとなった。
続く3年間でミッキーは『白いドレスの女』(1981年)、『ダイナー』(1982年)、『ランブルフィッシュ』(1983年)という、よく出来た作品3本に出演。
しかし、ミッキーにとってこれらの作品は前菜に過ぎなかった。『ナインハーフ』で一世を風靡、80年代の大スターとしてハリウッド史に名前を刻むこととなったのだ。
当時、『ナインハーフ』のエイドリアン・ライン監督は、ギリシャ彫刻のようなミッキーにふさわしい相手役を求めていた。そこで選ばれたのは、他ならぬキム・ベイシンガー。情熱的なコンビはこうして誕生したのだった。
以来、ジョー・コッカーの「You Can Leave Your Hat On」を聞くと、ミッキー・ロークの熱い視線を浴びるキム・ベイシンガーの姿を思いかべてしまう人も多いことだろう。
しかし、大成功で調子に乗ったミッキーはパーティー三昧の日々に溺れ、とんでもない浪費をはじめてしまう。2009年に『デイリー・メール』紙が行ったインタビューでは、「パーティはいつまでも終わらないと思っていました」と回想しているほどだ。
さらに、撮影現場で扱いにくいという悪評がハリウッド中に広まったことから、ミッキーに舞い込むオファーは減少。
それにもかわらず、『トップガン』や『レインマン』、『パルプ・フィクション』、『羊たちの沈黙』といった大作への出演を断ってしまった。
このような状況を受けて、ミッキーは1991年にプロボクサーになる決意をする。このときのことについて、本人は後に「自己破壊的だった」と『Film Journal Internatiopnal』誌に語っている。
しかし、長年トレーニングを離れていたミッキーにとって40歳でボクサーになるという決断は高くついた。鼻を2回、肋骨を数本、頬骨を骨折した上、舌まで切ってしまったのだ。
このときから、度重なる顔の再建手術によって、かつて世界中が憧れた甘いマスクは永遠に失われてしまう。
『デイリー・メール』紙のインタビューによれば、鼻の再建のために5回、頬骨の修復のために1回手術を受けたとのこと。しかし、癖になってしまったのかミッキーはその後も手術を繰り返すこととなる。
その結果、75本あまりの作品に出演したハリウッド俳優としてよりも、整形手術の方で知られるようになってしまった。
ミッキー自身は『ガーディアン』紙に対し、「外科医選びを間違えた」ことが整形手術における失敗だったとしている。ところが思いがけないことに、踏んだり蹴ったりのミッキーを救ったのはまたしても映画だった。
ダーレン・アロノフスキー監督は『レスラー』の主役にミッキーを起用、ストーリーが彼の人生をなぞるようなものだったこともあり、アカデミー賞に迫る勢いを見せたのだ。
2008年の『レスラー』以降、目だった活躍はないが、いまさら出演作(と整形手術の経験)を増やす必要もあるまい。
英国のTVパーソナリティ、ピアーズ・モーガンのインタビューによれば、70歳を過ぎた今ではパートナーよりも愛犬と暮らすほうが楽しいのだという。また、実戦こそしないもののボクシングへの情熱を今だに保っていることは、Instagramの投稿を見れば一目瞭然だ。
映画とボクシングに生き、翻弄された男ミッキー・ローク。今では話題になることもなくなってしまったが、映画ファンにとっては『ナインハーフ』のジョンであり続けている。