縁は異なもの?:別れた相手とふたたび結婚した有名人たち
2002年に婚約したジェニファー・ロペスとベン・アフレックは翌年に結婚式を予定していたが、過剰なメディアの注目にプレッシャーを感じて結婚式を延期。そのまま関係は解消されてしまった。
その後二人はそれぞれに結婚相手を見つけて子供にも恵まれた。だがどちらもパートナーとの離婚を経験。2021年にジェニファーとベンの間に交際が復活して翌年ついにゴールイン。しかし、2024年8月に離婚を申請した。
格闘家で俳優のジャン=クロード・ヴァン・ダムは、元プロボディビルダーで女優のグラディス・ポルトギーズと2度結婚している。最初の結婚生活は1987年に始まり、クリストファーとビアンカという2人の子供が誕生したが、1992年には破局を迎えた。
このカップルが再婚したのは、1999年のことである。その果敢な試みは2015年にまたしても離婚に終わった。ただ、2度の離婚を経てもなお、それなりに親密な関係を維持しているようだ。
ハリウッドの有名女優、メラニー・グリフィス。離婚を4度したにもかかわらず元夫が3人しかいないのは、1度目と3度目のお相手がどちらもドン・ジョンソンだからである。そして3度目の結婚で生まれた子供が、女優のダコタ・ジョンソンだ。
しかし時間を巻き戻そう。当時14歳だったメラニーは、映画で共演したドン・ジョンソンと恋に落ちた。そして1976年に結ばれる。しかし、わずか6か月後に離婚。時は流れ、1989年に古い恋がもういちど燃え上がり再婚。2度目の結婚生活は前回に比べるとずっと長く続いたが、1996年にふたたび破局を迎えたのだった。
エリザベス・テイラーとリチャード・バートンは歴史映画の超大作『クレオパトラ』(1963年)の撮影セットで初めて顔を合わせた。それぞれふたりは物語のなかで、クレオパトラとマルクス・アントニウスになって激しい恋を演じたのだが、その恋は実人生にも飛び火したようだ。
かくして、エリザベス・テイラーとリチャード・バートンは1964年3月15日にカナダ・モントリオールで結婚した。その後10年間にわたって波乱の結婚生活を送った末、1974年に離婚に至る。しかし双方に未練があったのか、1975年10月に再婚、そして1976年8月にふたたび離婚した。
ラッパーのエミネム(本名:マーシャル・ブルース・マザーズ3世)とキンバリー・スコット(通称:キム)のカップルも、2度の結婚と2度の離婚を経験している。
エミネムとキムはハイスクール時代に知り合い、1999年に結婚。しかし、2011年に離婚する。その5年後に祭壇で再び愛を誓うも、わずか数ヶ月で破局を迎えてしまった。
パメラ・アンダーソンとリック・サロモンのカップルもまた、一度別れてもう一度愛を誓ったクチだ。最初の結婚生活は2007年に始まったが、たったの2か月で離婚している。
ふたりは2014年によりを戻し、世間の注目を避けてひそかに結婚する。ただ今回も、たったの1年で袂を分かつことになった。
いびつで理屈の通らない激しい愛。フリーダ・カーロとディエゴ・リベラはそのような愛によってあるときは結ばれ、あるときは隔てられていた。フリーダ・カーロ(1904-1954)とディエゴ・リベラ(1886-1957)は、どちらもメキシコの芸術家。カーロはその自画像が、ディエゴ・リベラは壁画作品がよく知られている。1929年に結婚、1940年に離婚するも、同年にすぐ再婚している。
その後リベラは、カーロが亡くなるまで添い遂げた。離婚の背景にあったのは、リベラの派手な女性関係であり、とりわけカーロの妹であるクリスティナと関係を持ったことが致命的だった。カーロもカーロで、あてつけとばかりに夫以外の男性に手を出しており、その相手として有名なのはイサム・ノグチやレフ・トロツキーである。
「ダニー&マリー」は主に1970年代後半に活躍した兄妹デュオである。妹のマリー・オズモンドは、2011年にスティーブ・クレイグという男性と結婚し、いまも幸せに暮らしている。しかし、その幸せは、過去の破局を乗り越えてこそ得られたものだった。
『People』誌によると、スティーブ・クレイグは1971年から1981年までユタ州にあるブリガム・ヤング大学のバスケットボールチームでプレーしており、その頃にマリー・オズモンドと知り合ったという。ふたりは1982年に結婚するが、3年弱で離婚に至ったのだ。
ポール・ホーガンは映画『クロコダイル・ダンディー』(1986年)に主演しゴールデングローブ賞を受賞したオーストラリアの俳優だが、ノリーン・エドワーズ(Noelene Edwards)という女性と2度にわたって結婚している。1度目の誓いが交わされたのは1958年のこと。結婚生活は1981年まで続いた。
離婚の翌年、ふたりは元の鞘に戻る。しかし、2度目の結婚は1990年に破局を迎えることになってしまった。
2度にわたって結婚をするということは、1度は離婚するということに他ならない。しかし、ソフィア・ローレンとカルロ・ポンティのカップルは例外的なケースである。ふたりはまず、1957年にメキシコで結婚した。結婚に先だって、ポンティは先妻ジュリアーナ・フィアストリとの離婚手続きを同じくメキシコで終えたのだが、その離婚が本国イタリアでは認められず、重婚ということになってしまったのだ。
結局、ポンティは1965年に今度はフランスで離婚手続きを完了させ、翌1966年にローレンと改めて結婚することになった。ふたりの愛の物語は、ポンティの亡くなる2007年まで続いた。