事故死から四半世紀、世界から愛され続けるダイアナ元妃
1997年8月31日、ダイアナ元妃の死を知らせる第一報が飛び込んできたとき、世界中が声を失った。元ウェールズ公妃ダイアナがパリで交通事故に遭い、36歳の若さで亡くなったのだ。
「人民のプリンセス 」と称されたダイアナ元妃は、その人柄と幅広い慈善活動により人々から愛されていた。写真は1990年3月、ナイジェリアのラゴスを訪れた際のもの。キャサリン・ウォーカーを着用し、フィリップ・ソマーヴィルの帽子を合わせている。
死後何年経っても、ダイアナ元妃は人々の心を惹きつけてやまない。彼女は近年最もカリスマ的なアイコンの一人であり、ひとびとの心に生き続ける本物のプリンセスなのだ。
インフルエンサーの存在があたりまえとなった今の時代から振り返れば、ダイアナ元妃は間違いなくインフルエンサーのパイオニア的存在だ。
ソーシャルメディアの代わりに雑誌を始めとするメディアが、良くも悪くもダイアナ元妃の画像を広めることに貢献していた。
生前はもちろんその死後も、雑誌、新聞、映画、ドキュメンタリーなどで、ダイアナ元妃の画像が溢れている。
『スペンサー ダイアナの決意』やNetflixシリーズの『ザ・クラウン』などをはじめ、ダイアナ元妃のイメージは広く共有されているが、中には世間にあまり出回らなかったレアな画像もある。
公の場や私生活の一部を切り取ったショットには、ダイアナ元妃の姿だけでなく、その裏にある彼女のもろさや傷つきやすさも表現されている。この写真は1981年5月、プリンセスになる数カ月前にスコットランドで撮影された若き日のダイアナだ。
窓から身を乗り出して写っているこの写真は、ダイアナ・フランセス・スペンサーがまだロンドンのアパートに住んでいた頃のもの。この少し後の1981年7月29日に、ロンドンのセント・ポール大聖堂で全世界が注目したチャールズ皇太子との世紀の結婚式が行われた。
1983年、ダイアナ元妃がニュージーランドで開催されたガラディナーで身につけていたのが、有名な「ケンブリッジ・ラバーズ・ノット・ティアラ」だ。この美しく高価なティアラとは裏腹に、ダイアナ元妃の物語は夢のようなプリンセス・ストーリーであったとは言い難く、「末永くいつまでも幸せに」とはいかなかった。
1991年、ダイアナ元妃がイギリスのジャーナリストで作家のアンドリュー・モートンとの対談で明らかにしたように、不安症や過食症の問題は、まさにこの時期から始まっていた。
ダイアナ元妃はモートンにこう語った。『過食症は婚約した翌週から始まりました。夫が私のウエストに手を当てて「あれっ、少しぽっちゃりしてるね」と言ったのがきっかけで、私の中で何かが起こったんです』
まだ20歳だったダイアナ元妃は、メディアの圧力とパパラッチの嫌がらせに耐えることができなかった。それは不安感を引き起こし、最後となってしまった1995年のBBCとのインタビューで、「結婚生活が3人で営まれている」と気づいたとき、不安感はさらに悪化したと語っている。その3人目とは、もちろん当時皇太子だったチャールズの恋人、カミラ・パーカーだ。
はじまりは笑顔で溢れていた。1981年にヨット「ブリタニア号」でハネムーンにでた二人は、笑顔に溢れ幸せそうに見えた。しかし、後にダイアナ元妃は作家アンドリュー・モートンにこう語っている。「チャールズ皇太子を熱烈に愛していましたし、彼が私を大切に守ってくれるものと信じていました。しかし、現実はそうではないことに直ぐ気付いたのです」
ダイアナ元妃は、皇太子妃として夫チャールズの数えきれないほどの公務に同行した。人々はチャールズ皇太子以上にダイアナ元妃に会えることを喜び、チャールズ皇太子がそれに嫉妬するほどだったといわれる。
伝統に閉ざされた王室では、ダイアナ元妃の言動はかなり特異なものだった。ほかの王室メンバーたちは、ダイアナ元妃の振る舞いにどう対処していいかわからないことがよくあったという。
ダイアナ元妃は、良いときも悪いときも、ありのままの自分を見せることをためらわなかった。時には、自分の心に潜んでいる悲しみについても周囲に明らかにした。
ダイアナ元妃は定期的にロンドンのスイス・コテージでセラピストとの時間を取っていた。上の画像は1996年1月のもの。
ダイアナ元妃は、結婚生活の失敗や王室の地位の重圧を忘れるために、しばしば母性に逃避していた。
上の画像は車中のダイアナ元妃と息子ヘンリーをキャッチしたもの。1986年9月、ロンドンのヒースロー空港で撮影された。
ダイアナ元妃は、保守的な王室の人々がクラシックな装いを続ける中、革新的なスタイルを取り入れて時代を先取るファッション・アイコンの一人となった。
1989年10月、ロイヤル・アルバート・ホールで開催されたブリティッシュ・ファッション・アワードで撮影されたダイアナ元妃の美しい後ろ姿。
1997年8月31日、ダイアナ元妃、恋人のドディ・アルファイド、彼女のボディガード、そして運転手が乗った自動車がパリのアルマ橋下のトンネルの壁に衝突した。あの突然の悲劇から四半世紀が経とうとしている。
ダイアナ元妃の存在は開かれた本のようなものだ。これまでも、そしてこれからもメディアの関心を引き続けることだろう。画像は1986年にウィーンで行われた祝賀会の時のもの。
一人の人間として生き方を模索し、王室のプロトコルに挑戦したプリンセスとして、ダイアナ元妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)はつねに人々に勇気を与え続けるだろう。
画像がものがたるように、ダイアナ元妃は時を超えた存在となっている。20世紀を代表するアイコンとして、四半世紀を経たいまでも私たちを魅了し続けている。