女優ミラ・ジョヴォヴィッチ:ウクライナからハリウッドへの軌跡
ミラ・ジョヴォヴィッチはウクライナの首都キーウに生まれ、国際エンターテインメントの世界でトップにまで上り詰めた。女優として素晴らしいキャリアを築く一方、自身のルーツを忘れたことはない。
ウクライナで戦争が始まって以来、ミラ・ジョヴォヴィッチは母国を支援する投稿や参考リンクをSNSで発信してきた。最近では、戦時下のウクライナの写真とウクライナ語を使用したティナ・ターナーの『プラウド・メアリー』のビデオを公開している。
「母国ウクライナで敵に囲まれている人々の気持ちを引き立て、勇気と希望を届けたかったのです。言語同断の侵略を前に、私たちのだれもがウクライナの人々の精神と能力をどれだけ誇りに思っているかを伝えるために」
写真: Instagram @millajovovich
ウクライナで生まれハリウッドで成功した女優、ミラ・ジョヴォヴィッチの人生の軌跡を追ってみよう。
ミラ・ジョヴォヴィッチは1975年12月、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の首都キーウで生まれた。母親はソ連時代に名を馳せたロシア人女優、父親はセルビア人の小児科医。彼女が5歳のとき、一家はカリフォルニアに引っ越した。
9歳のときに演技のレッスンを受け始め、芸術全般への情熱を深めていった。それと同時にモデルを目指してキャスティングにも参加、たちまちその才能を見いだされて10代で活動を開始することになったのだ。
ロサンゼルス出身のファッション写真家ハーブ・リッツに見出され、11歳でイタリアの雑誌『Lei』の表紙を飾ったミラ・ジョヴォヴィッチ。その後、アメリカの雑誌『マドモアゼル』の表紙に登場した時は、「こんな幼い子を表紙につかうなんて」と批判された。
ミラ・ジョヴォヴィッチは次々とコマーシャルに出演、多くの雑誌の表紙に登場するようになり、12歳にして10冊の表紙を飾っていた。こうした仕事は大きな収入をもたらし、ミラが13歳になる頃には家族は大金持ちになっていた。
女優としてのキャリアは13歳のときに始まった。ザルマン・キング監督の『トゥー・ムーン』でスクリーンデビュー、この映画は1991年にフランスで公開されたが、大ヒットには至らなかった。
ミラ・ジョヴォヴィッチの人生は、仕事もプライベートも何もかもが猛スピードだった。わずか16歳で、当時付き合っていた4歳年上の俳優、ショーン・アンドリュースとラスベガスで結婚したのだ。彼女の母親はこの結婚に憤慨し、無効にする手続きをとらせた。
広告業界で名声を得たミラ・ジョヴォヴィッチは、90年代初頭からは映画の仕事に本腰を入れるようになった。『ブルーラグーン』(1991)、『チャーリー』(1992)、『バッド・チューニング』(1993)などの映画に出演。その数年後、フランスの有名監督と組んだ作品で本格的なブレイクを果たした。
ミラ・ジョヴォヴィッチが世界的名声を博した作品は、ブルース・ウィリスと共演した『フィフス・エレメント』(1997)だ。
その2年後、『ジャンヌ・ダルク』(1999)で初主演を果たし、女優としての才能を広く世に知らしめた。
いずれの作品も監督はリュック・ベッソンであり、彼はミラ・ジョヴォヴィッチの人生においても重要な人物となっていった。
ミラ・ジョヴォヴィッチとリュック・ベッソンの出会いは彼女が19歳の時に受けた『フィフス・エレメント』のオーディション。ミラは『Gala』誌に対し、「ベッソンはオーディションでとても奇妙なことを要求したの。音楽に合わせて踊らずにばかげた歌を歌ったり、息をしないで笑ったり」と語った。
「今にして思えば、あの天使のような役は、私自身について多くのことを教えてくれたのだと思う。19歳の私は何でも知っていると思っていたけれど、何も知らなかった。ベッソンは、私が自分自身から抜け出すのを助けてくれたの」
『フィフス・エレメント』の撮影中にミラ・ジョヴォヴィッチとリュック・ベッソンは恋に落ち、1997年12月に結婚した。批評家や観客の間で好評を博し、大ヒットを記録したこの映画の公開から数ヵ月経ってのことだった。しかし結婚生活は長くは続かず、1999年に離婚。 別れたとはいえ、二人はきわめて良好な関係を保っている。
2002年、同名のゲームを原作としたホラー映画『バイオハザード』に主演。長期にわたってシリーズ化され、この映画を通して新たな恋も始まった。
ミラ・ジョヴォヴィッチは、『バイオハザード』の撮影中に現在の夫ポール・W・S・アンダーソン監督と出会い、数年後の2009年に結婚した。
2人は『バイオハザード』シリーズ全6作の内、5作の撮影現場を通してリハーサルを重ねてきたチームメンバーだ。また、ミラ・ジョヴォヴィッチは回を重ねるごとにアリス役を進化させてきた。
『バイオハザード』のプロモーションをしていた2002年、ミラ・ジョヴォヴィッチは、フランスのトーク番組『Tout le monde en parle』に出演した。司会者のティエリー・アーディソンとコラムニストのローラン・バフィーがきついジョークを飛ばしたことから、番組に不穏な空気が漂ってしまった。
写真:INA.fr
ティエリー・アーディソンが、税金問題で8年間服役した彼女の父親について質問すると、司会者の皮肉に番組冒頭から気分を害していたミラ・ジョヴォヴィッチは、水の入ったグラスを投げ捨てステージを降りた。その様子は、さまざまなメディアで取り上げられた。
写真:INA.fr
『バイオハザード』以外にも、ミラは夫が監督する作品に出演している。その多くは両者が得意とするアクション映画だ。最近の出演作は『モンスターハンター』(2020)。
女優のキャリアと並行し、常にファッション業界にも関わってきた。1998年にはロレアル・パリの顔を務め、2013年はH&Mとイザベル・マランのコラボレーションキャンペーンに参加している。
ミラ・ジョヴォヴィッチのファッションに対する情熱はよく知られている。『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』をはじめ、主演映画で役柄に合わせたセットや衣装をデザインしている。
さらに2003年には、モデル仲間のカルメン・ホークと共に「ジョヴォヴィッチ ホーク」というブランドを立ち上げた。ヴィクトリア・ベッカムのようなファッショニスタに着用されるなど数年にわたり成功を収めていたが、多忙すぎる二人のデザイナーは2008年にブランドを閉鎖することにした。
ミラ・ジョヴォヴィッチは、夫のポール・W・S・アンダーソンとの間に2007年にエヴァー・ガボ、2015年にダシール・エダン、そして2020年2月に末娘のオーシン・ラーク・エリオットを授かっている。3人の娘として、スポットライトの中でも外でも活躍中だ。