スターたちのアルバイト事情:下積み時代の仕事とは?
ファーストフードのウェンディーズで働いていたエヴァ・ロンゴリア、美味しいハンバーガーを作る秘訣を余さず教えてくれた。「最初にバンズにマヨネーズを塗って具が動かないようにして、ケチャップとマスタードは直接肉につけて味を引き締めるの」
ぴしっと決めたスーツ姿の印象が強いブロスナン、以前はプロの火吹き芸人だったことを知ってる?しかも、世界トップクラスのサーカス団に属していた。
人気プロレスラーだったときのリングネーム、「ザ・ロック」の名で知られるドウェイン。幼少時から身体を鍛えており、13歳の時には午後3時から11時半まで皿洗いのバイトに精を出していた。
マニュアルに従い、機械的な声で「いかがなさいましたか?」と電話で応対する。これが『フレンズ』のジェニファー・アニストンがしていた仕事だ。本人いわく、あまり向いていなかったようで、2週間ももたなかったのだそう。
俳優になる前のブラッド・ピットは、着ぐるみ姿で通行人の呼び込みをしていた。トリのコスチュームを着て、ファーストフード店の宣伝をしていたが、耐え難い暑さになることもあったようだ。
若い頃のミーガン・フォックスは巨大なバナナになっていた時期がある。バナナの着ぐるみを着て、通りでスムージー店の集客をしていたのだ。考えようによっては、演技力アップに役立ったといえるかもしれない。
パリス・ヒルトンには、ショッピングに出かけるときハンドバッグを持ったり、公の場に出る前に髪を整えたりするパーソナル・アシスタントがいた。若き日のカーダシアンがしていた仕事は、まさしくこのパーソナル・アシスタントだった。
デップは昔ながらの万年筆の販売をしていた。この仕事を嫌っていたデップは、それを隠すために高い演技力を身に着けることになった。
映画界入りする前のマコノヒーは、養鶏場で清掃担当をしていた。あまり魅力的な仕事ではなかったので、別の人生を生きることのできる俳優という職業を目指したのだそう。
現在は大人気のエヴァ・メンデスだが、ハリウッドにやってきた当初は、カルフォルニア州グレンデールのショッピングモール内にあるホットドッグ店で働いていた。
イケメン俳優のチェイス・クロフォードは、アパレルブランドのアバクロンビー&フィッチで働いていた。ご存知ない方のために説明を加えると、シャツをつけずに見事な腹筋をみせて接客を行う、アバクロ名物のセクシー店員のことだ。
ハリー王子と結婚したメーガン・マークルは、カリグラフィーを教えたり、ギフトラッピングや製本の仕事をしていた。カリグラファーとして結婚式の招待状なども書いており、2005年にはポーラ・パットンとロビン・シックの結婚式への招待状も手掛けている。
恋愛映画のヒロインと言えばレイチェル・マクアダマス。有名になる前はマクドナルドで働いていた。
歌手として成功する前、スウィフトはペンシルバニア州でクリスマスツリー用のモミの木を売ってお小遣いを稼いでいた。ティーンの彼女がモミの木を売りながら歌っていた曲、それが原点なのかもしれない。
クライアントの希望に合わせて子供向けパーティーの司会をしたり、ピエロに扮したりしていたヒュー・ジャックマン。狂暴なローガン役とは正反対に、赤い鼻にだぶだぶの服、大きな靴で子供たちに「ヤッホー」と声を掛けていたのだ。だが、手品が苦手だったので幼い子にはあまり人気がなかったそう。
人生のほとんどをエンターテイメント界で過ごしているマイリー・サイラス。観客がコンサート会場を埋め尽くすようになる前は、冷凍食品を食べてカメラに向かって「おいしい」というような、ありきたりな広告出演をしていた。それ以前は、父親ビリー・レイのコンサート会場で、ファンが投げ込むブラジャーなどを拾い集めてお小遣いを稼いでいた。
世界的な歌手になる前のロッド・スチュワートは、ロンドンのハイゲート墓地で亡骸の埋葬を行っていた。
オスカー女優のシディベは、21歳の時アダルト電話のオペレーターとして働いていた。メロディと名乗り活躍、その時の経験が演技力の向上に役立ったという。
仕事がなく困窮していたジョン・ハムに、友人がAV制作の協力を頼んだ。あまり気が進まなかったが、お金が必要だったので引き受けたそうだ。
ニューヨークに移り住んだマドンナが最初に就いた仕事がダンキン・ドーナッツのレジ係だった。しかし、お客の頭にドーナツをぶちまけ、一日でクビになってしまった。
いまや大人気のミナージュ。ニューヨークにあるシーフードレストラン「レッド・ロブスター」でのバイト時代には、サボってばかりいたので短期間で辞めさせられたという。
バーガーキングで働いていたラティファ。物乞いたちがトイレを汚し、掃除をするのがいつも大変だったので直ぐに辞めてしまったという。
リアーナは母国バルバドスの軍隊に所属していた。やはりバルバドス出身の歌手、ションテルが率いる軍事プログラムに参加する士官候補生だったのだ。
トム・クルーズがロサンゼルスで最初に就いた仕事がベルボーイだったことを知る人は少ない。今ではホテルそのものを買い取れるような、押しも押されぬ大物スターだ。
アパレルショップで働いていたジーナは、ひょんなことから人間マネキンとなった。じっとしているのが得意だったので、その不思議な特技をいかして特別手当をもらっていた。
ロサンゼルスにやって来たクルーニーは、タバコ工場、靴や生命保険のセールスなどをして生計をたてていた。セールスの仕事はあまりうまくいかなかったようで、出演した番組の司会者デビッド・レターマンにこう語っている。「初めて保険を売ったその日に、契約者が亡くなってしまった」
007シリーズで知られるショーン・コネリーは、牛乳配達、トラック運転手、ポートベローの海岸でライフガード、エディンバラ芸術学校で美術モデル、棺桶磨きなど、あらゆる仕事に就いていた。
ワシントン国立劇場は、劇場周辺のネズミを駆除するためにこのイケメン俳優を雇っていた。
アイスクリーム店の店員だが、誕生日パーティがあればテーブルの上で踊り、太鼓を叩いて雰囲気を盛り上げることもあったという。エイミーにぴったりの仕事だったといえるだろう。
イリノイ州ディキャルブ郡で生まれたシンディ・クロフォード。史上最高のスーパーモデルのひとりとして認められる前は、時給4.2ドルでトウモロコシの穂を摘んでいた。
テレビで大活躍する前のブリットンは、エアロビクスのインストラクターをしていた。
デヴィートは葬儀場で故人の髪をカットし、参列者との対面前に身だしなみを整える仕事をしていた。
テネシー州ナッシュビルにある音楽制作会社で受付嬢をしていた。ヒルに歌手としての最初のチャンスを与えたのは、まさにその会社だ。
ハリウッドの大スターとなる前のハリソン・フォードは、腕の確かな大工だった。
アカデミー賞を受賞する前の女優兼歌手のハドソンは、シカゴのバーガーキングで働いていた。アカデミー賞受賞を祝い、バーガーキングはハドソンに生涯無料券をプレゼントした。
「アメリカの恋人」として大人気を誇る前のロバーツは、アイスクリーム店の店員だった。有名なバスキン・ロビンスでアルバイトをしていたのだ。
ラッパーは10代の頃からファッションブランドのGAPの販売員をしていた。ウェストのファッションへの情熱は若い頃からのもので、すでにその分野で収入を得ていた。
実家が大工業をしていたルブランクは、家業を継ぐつもりでいたが最終的に俳優の道に進んだ。
アカデミー賞にノミネートされたマッカーシーは、スターバックスでバリスタをしていた。ある日大ファンだったクリス・ファーレイが来店し、興奮のあまり泣き出してしまったという。
キッドマンは乳がんを患った母の痛みをやわらげるためマッサージを習い、プロ級の腕前になった。マッサージに情熱を見出した彼女は、プロとして仕事をするようになった。
イケメン俳優のパトリック・デンプシーは若いころ、曲芸師でジャグラーだった。ハイスクール時代には全国大会に出場するほどの腕前だったという。
無名時代のブシェミは、消防士として働いていた。アメリカ同時多発テロ事件の時はボランティア消防士として救出作業を手伝ったそう。
ヘンソンは学費を稼ぐために国防総省ペンタゴンで秘書をし、夜はポトマック川のクルーズ船でティナ・ターナーの歌をカバーしていた。
16歳の頃、ライオンの調教師として働いていたウォーケン。「シバ」という名の美しいメスライオンは彼にとり特別な存在だったという。