ハリウッドへの道を開いたアクション俳優、故千葉真一の軌跡
日本を代表するアクション俳優で、海外でも「サニー・チバ」の名で人気を博した千葉真一。今回はハリウッド進出の先駆けとなったアクションスターの生い立ちから、82歳で他界するまでの激動の人生を追って行こう。
自叙伝『千葉流 サムライへの道』によれば、1939年1月22日に福岡県で生まれた千葉は、中学生から器械体操を始め、高校3年生の時に全国大会で優勝。五輪で日の丸を掲げることを夢みて、日本体育大学体育学部体育学科に進学したという。
しかし、腰を痛めてしまい体操選手として成功する夢を断念。大学中退を決意し実家に帰る途中の駅で、映画会社「東映」のオーディションポスターを偶然みかけた。応募してみたところ、2万6千人の中からトップの成績で合格したという。
オーディションの翌年にはTVドラマ『新・七色仮面』(1960年)で主演デビューを果たした。その後も「スタントマンなしでアクションができる俳優」として重宝され、数々のTVドラマや映画で主役を務めるようになる。1963年からは歌手としても活動を開始した。
千葉が国民的アクションスターの地位を確立した作品はTV映画『キイハンター』(1968年)だ。また、本作で共演した野際陽子(2017年に死去)と1973年に結婚し娘を授かっている。『スポーツニッポン』紙が伝えた。
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1970年にはジャパン・アクション・クラブ(JAC)を創設した。日本の映画やTV映画のアクションシーンの質を向上させるため、俳優やスタントマンを育成する組織だ。
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米国テレビ界のアカデミー賞と称されるエミー賞で、史上最多の18部門を制覇した『SHOGUN 将軍』の主演・プロデュースを務める真田広之もこのジャパン・アクション・クラブ出身だ。
『女性自身』誌によれば、真田は幼い頃にジャパン・アクション・クラブに入団し、アクションの英才教育を受けた。千葉は数多くの所属俳優の中で真田を「秘蔵っ子」として特に可愛がっていたという。
『仁義なき戦い 広島死闘編』(1973年)の大友勝利は千葉の当たり役となった。『アサヒ芸能』誌によれば、千葉が演じた凶暴かつ凶悪なキャラクターは後のアウトロー映画に大きな影響を与え、ヤクザ役のひな型となったという。
千葉の人気は海の向こうまで広がった。『激突!殺人拳』(1974年)は世界的ヒットを収め、日本映画として初めて米国で興行収入100万ドル以上を記録したという。『日刊スポーツ』紙が報じた。
そのため、ハリウッドには千葉のファンが多い。『スポーツニッポン』紙によれば、クエンティン・タランティーノ監督や俳優のキアヌ・リーブスといった大物スターも千葉のことを崇拝し、師匠と呼び親しんでいた。また、俳優のサミュエル・L・ジャクソンは初対面の時に直立不動でサインをねだったという。
『柳生一族の陰謀』(1978年)からは本格的に時代劇にも進出し、この作品で千葉は日本アカデミー賞・優秀助演男優賞を受賞している。その後も数々のヒット作に出演するも、ハリウッド進出への思いが次第に募っていった。
『日刊スポーツ』紙によれば、東映の大先輩にあたる高倉健の「ハリウッドの世界まで入り込めて、初めて一人前だ」の言葉に大きな刺激を受けていたという。
同紙によれば、94年に野際と離婚し、単身でロスに移住した。当初は辛いことが多かったが、「もう後には戻れない」と自身を追い込んだ。ついには落ちぶれていく夢を毎晩見るようになり、「このまま一人でいたらダメだ」と再婚を決意したという。
千葉は1996年に28歳年下の一般女性と再婚し、同年に長男、新田真剣佑(あらた まっけんゆう)、2000年に次男の眞栄田郷敦(まえだ ごうどん)を授かった。前妻の野際陽子との間に授かった娘、真瀬樹里を含め、千葉の子供達は皆、俳優として活躍している。
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『報知新聞』によれば、2014年に芸能活動を開始した新田は、次々とTVドラマや映画に出演するようになるが、海外での仕事を優先させるため2020年から国内での俳優活動を休止している。父親のようなハリウッドで活躍する国際的スターになることを目指しているという。
『スポーツニッポン』紙によれば、眞栄田は高校までプロのサックス奏者を目指し、芸能界入りする気は全くなかった。しかし、父に誘われ兄の出演作の試写会を観に行った際に『小さな恋のうた』(2019年)への出演をオファーされ、以降俳優への道を進むことになったという。
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『日刊スポーツ』紙によれば、再婚当初の千葉は思うような収入を得る事ができず、家族を支えるためにハリウッドを離れ、香港映画や日本のテレビドラマなどにも出演していたという。当時の楽しみはサンタモニカの海岸で幼い息子たちと過ごすことだったと語っている。
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2003年にかねてから親交のあったタランティーノ監督の『キル・ビル』に出演したことで、キャリアはついに上向きに転じた。本作品ではユマ・サーマンやルーシー・リューなどのハリウッドスターに剣術指導も行っている。
しかし、『週刊女性』誌によれば、70代に入ると肉体の衰えを自覚するようになったという:「気持ちとして、まだまだ演技や作品を追求したいけど、肉体がついてこない」
2021年8月19日、千葉は新型コロナウィルス感染症による肺炎のため82歳でこの世を去った。突然の訃報に国内外から多くの追悼メッセージが寄せられた。
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2023年1月22日、千葉の2人の息子、新田と眞栄田が一般女性との結婚を同時に報告した。「日テレNEWS」によれば、亡き父の誕生日に揃って結婚を発表しようと決めていたという。