故エリザベス2世の長女、アン王女のユニークな生きざま
故エリザベス2世の長女、アン王女。2022年9月に行われたエリザベス女王の葬儀にりりしい軍服姿で参列し、現在は兄である新国王、チャールズ3世のサポート役として活躍の場を広げている。
実際、葬儀の数日後には公務をこなすアン王女の姿があった。ポーツマス総司令官としてポーツマス海軍基地を訪問したのだ。
英王室専門家のマリーン・ケーニッヒ氏は、チャールズ3世の国王就任に先立って行われたニュースサイト「Express.co.uk」のインタビューで、新国王にとってアン王女とソフィー妃のサポートは不可欠だと指摘。「王国のスムーズな運営は2人にかかっています」と述べた。そこで、今回はますます存在感を増すアン王女の半生を振り返ってみよう。
前出のケーニッヒ氏いわく:「アン王女は気丈で社交的なことで知られています。英王室のカギを握る人物なのです」そんな気骨のある王女だけに、驚くような波乱の人生を送ってきた。
1950年8月15日、即位前のエリザベス2世とフィリップ王配の長女として、クラレンス・ハウスで誕生したアン・エリザベス・アリス・ルイーズ。以来、人生のほとんどを公務に捧げてきたが、ときには王室の意向に反するような行動に出ることも。
1973年、アン王女はウェストミンスター寺院でマーク・フィリップス大尉との結婚式を挙げたが、これは英王室にとって大いにスキャンダラスな事件となった。というのも、フィリップス大尉は「庶民」だったが、王室が贈ろうとした称号を辞退してしまったからだ。
2人の間にはピーターとザラという2人の子供が誕生。しかし、アン王女は子供たちが苦労しないように、彼らの称号は辞退する方針をとった。202o年の『ヴァニティ・フェア』誌に「子供たちにとってその方がよいと思うんです。ご存じの通り、称号は煩わしいものですから」とコメント。けれども、この決断は王室の期待に沿ったものではなかった。
マーク・フィリップス大尉と結婚している間にも少なくとも2度、浮名を流したことがあるアン女王。1度目のお相手はボディガードのピーター・クロスだった。
交際が発覚したことで、ピーター・クロスは直ちにボディガードをクビになってしまった。しかし、アン王女はそれでもクロスと会うのをやめようとはせず、事態が行き詰まるまで2人の関係は続いたという。
2度目のロマンスで焦点となったのはラブレターの数々だ。しかし、2人はそのことを隠そうともせず、ラブレターはマスコミに売り渡されることとなった。この堂々とした態度こそアン王女のスタイルなのだった。
1992年、アン王女はついにマーク・フィリップス大尉と離婚、ティモシー・ローレンスと再婚することとなった。波乱に満ちたスタートだったが、ローレンスとは30年経った今もおしどり夫婦を続けている。
歯に衣着せぬ物言いで知られるアン王女。2013年に大甥のジョージ王子が誕生したことについてどう思うか尋ねられたときには、「そうね、私には関係ない話ですから」と答えている。
彼女の妥協しない姿勢は、2019年に当時のドナルド・トランプ米大統領がエリザベス女王との会談に訪れた際にも発揮された。女王からトランプ大統領に挨拶するよう促されたアン王女は、苦笑して肩をすくめて見せたのだ。この事件は世界中で紙面トップを飾るなど大々的に報道されることとなった。
しかし、アン王女のこの仕打ちに溜飲が下がった人も多かったようだ。『タイム』誌によれば、「王女のトランプ氏に対する態度は侮蔑とも受け取れるものだったが、英王室のしきたりに背いてはいない」という。
1974年、チャリティーイベントを終え帰路についていたアン王女一行。ところが、一台の車がゆく手を遮り、降りてきた男が王女の運転手を銃撃するという事件が発生。
犯人はアン王女にも降車するよう要求したという。しかし、王女の返答は「絶対イヤよ!」だった。後になって、犯人にどこに連れてゆくつもりなのかを尋ねるやり取りがあったことを明かしたアン女王。1980年に行われたインタビューでは、司会者のマイケル・パーキンソンに「犯人相手にも礼儀正しく接した」と打ち明けている。
護衛3人を銃撃した末、ついに逮捕された犯人は、殺人未遂および誘拐未遂で起訴されることに。一方、無事に生還したアン王女は、何事もなかったかのように公務に戻って行った。
1994年にガーター勲章を授与されることとなったアン王女。このとき「レディ・オブ・ザ・ガーター」の代わりに、通常は男性が帯びる「ナイト・オブ・ザ・ガーター」という称号を使いたいと申し出たが、これは男女平等を求める王女の立場を示すものだ。その結果、アン王女は兄弟と同じ称号を用いることとに。
馬術家としても活躍するアン王女。1976年にはモントリオール五輪に出場を果たしている。しかし、この時も性別チェックについて議論を巻き起こすこととなった。
2020年までオリンピック選手には性別チェックが義務付けられていたが、アン王女はこれを拒否。『デイリー・テレグラフ』紙によれば、主催者側は「王室特権」を認めたという。
2018年のドキュメンタリー番組『Queen of the World』で、「全員と握手できない以上、誰とも握手しないことにしています」と述べたアン王女。さもないと重要な「イベント」がただの「握手会」になってしまうためだという。
刑事罰を受けた王室メンバー第一号は誰かご存じだろうか?それはアン王女だ。では、事件の経緯はどのようなものだったのかというと……
イングリッシュ・ブル・テリアを連れてウィンザー・グレート・パークを散歩していたところ、そのうち一匹が居合わせた子供たちに噛みついてしまったのだ。王女は賠償金の支払いを命じられることとなったが、子供たちの家族はこれに不服を表明、「これでは正義がなされたとは言えません。件の犬は野放しのままであり、社会に対する危険は消えていないのです」と述べている。
また、1972年にはスピード違反で警告を受けることに。ところが、1977年に再びスピード違反で捕まり、罰金を科されてしまった。さらに、数年後の1990年にも同様の違反を繰り返したため、1ヶ月間の免許停止を言い渡されてしまった。
どうやら、王女には車を飛ばしすぎる嫌いがあるようだ。2001年にもスピード違反で500ドル以上の罰金を科されているが、この時は後を付けてきたパトカーを護衛だと思い込んでいたという。
このような問題行動にもかかわらず、英国民はアン王女に親しみを感じているようだ。王室の称号を辞退している上、あけっぴろげな態度や男女平等の主張などが、身近に感じられるためだろう。
2021年はじめにはInstagramの王室アカウントで自宅の様子も公開している。ジュエリーや装飾品が充実しているとはいえ、シックな居間のある落ち着いた邸宅だ。
また、アン王女はオシャレの分野でも国民から一目置かれている。『ヴォーグ』誌の編集長エドワード・エニンフルは2020年『ヴァニティ・フェア』誌に対し、「アン王女は本物のファッションリーダーです。まだ広く知られていなかったサステナブル・ファッションを数年前から実践しているほどです」と述べている。
たいていの王室メンバー、とりわけケイト・ミドルトンやユージェニー王女、ベアトリス王女が最新のトレンドに敏感なのに対し、アン王女は流行を気にせず、服やジュエリー、ドレスなどを何度も着まわしている。