再び婚約を発表したベン・アフレックとジェニファー・ロペスの愛の物語
ベン・アフレックとジェニファー・ロペスが再び婚約した! 2004年に結婚を取りやめた二人だが、2021年にふたたび交際をスタート。多くのファンが待ちわびた "ベニファー2.0" の婚約が正式に発表された。
ジェニファー・ロペスは自身のニュースレター「On the JLo」を通じてベン・アフレックとの婚約を発表し、大粒ダイヤのエンゲージリングも公開した。ジェニファーの妹リンダ・ロペスも「こんなことがあったのね。愛している @jlo @ben affleck 」とインスタグラムのストーリーを通じて二人を祝福した。
ジェニファー・ロペスとベン・アフレックの愛の物語は、はるか昔にさかのぼる。二人は大型セレブカップルとして"ベニファー"の愛称で親しまれ、2000年代初頭のハリウッドで話題をさらった。しかし、嵐のように始まった二人の交際は、同じく波乱に満ちた終わりを迎えた。こうした二人の愛の物語を振り返ってみよう。
ベン・アフレックとジェニファー・ロペスの最初の交際期間は意外に短く、2002年7月から2004年1月までの17ヶ月間だった。
当時、ベン・アフレックとジェニファー・ロペスは、"ベニファー"としてマスコミをにぎわせていた。レッドカーペットを並んで歩き、さまざまな雑誌の表紙を飾り、ニュースメディアやテレビ番組、その他あらゆるメディアで取り上げられていた二人の関係は永遠かと思われたのだ。
二人が出会ったのは、2001年に行われた『Gigli(ジーリ)』の撮影現場だった。さらに翌年にはハートウォームストーリーの『世界で一番パパが好き! JERSEY GIRL 』でも共演を果たしている。
当時、ベン・アフレックは『アルマゲドン』(1998)や『パール・ハーバー』(2001)等の大作に出演。さらにマット・デイモンと脚本を担当した『グッド・ウィル・ハンティング』で1998年のオスカー脚本賞を獲得するなど、ハリウッドの大スターに数えられていた。
一方、ジェニファー・ロペスはラテン音楽界の新星としてブレイクを果たし、映画『セレーナ』(1997)や『ウェディング・プランナー』(2001)で主演を務めるなど女優としても活躍していた。
ベン・アフレックと出会ったとき、ジェニファー・ロペスはクリス・ジャッドと結婚していた。出会いから間もなく、ジェニファーは離婚することになる。
ジェニファーとクリス・ジャッドの離婚から5か月後、ジェニファー・ロペスとベン・アフレックの交際が明らかにされた。
二人が初めて公の場に姿を現したのはロサンゼルスのレストランだった。カジュアルなトラックスーツ姿のジェニファーの隣に、笑みをたたえるベン・アフレック。カップルの姿にマスコミは大騒動となった。
ベン・アフレックの元恋人グウィネス・パルトロウは、カジュアルスタイルの二人の姿に驚愕したかもしれない。大物俳優ベンとの愛を手放してしまった彼女は、幸せそうな二人の姿を雑誌で眺めるしかなかったことだろう。
一般的には愛されカップルだったが、「ベニファー」と呼ばれる二人を批判する声もないわけではなかった。あまりにも贅沢、あまりにもカメラの前に立ちすぎ、あまりにもマスコミに露出しすぎ...... つまり、あらゆる面で「派手すぎ」だというのだ。
世界中の人々の憧れと注目を一身に集めていることを意識していたジェニファー・ロペスとベン・アフレック。交際を始めて一年もたたないうちに、数多くのファンが待ち望んでいたこと、つまり二人の婚約発表を行った。
その際、二人は驚くべき婚前契約を交わしたといわれている。例えばベン・アフレックが浮気をした場合、ジェニファー・ロペスが彼の財産の半分を保持できるというもの。さらに、二人がもうける子供の数を決めるのは彼女となっていたという。
とりわけインパクトがあったのが、「週に4回」身体関係をもたなければならないというルールだ。当時こうした婚前契約の噂が広まったが、実際にそんな取り決めがあったかについては疑問の声もある。
婚約を発表した二人はさらに有名になり、そろってレッドカーペットを歩けば何百人ものジャーナリストがカメラを構えた。二人並んだ姿はマスコミにとり最高のコンテンツとなっていたのだ。
しかし、ジャーナリストたちはこうした写真をほかの目的にも利用した。ビッグカップルがリッチな暮らしや二人の幸福、恵まれた外見をこれ見よがしに自慢しているとして、批判的なコメントも行ったのだ。
結局、「ベニファー」の結婚式は見送られてしまった。二人は結婚式の日取りを2003年9月14日としていたが、わずか4日前になり式の延期が発表されたのだ。
ジェニファーとベンの交際関係は危機にあったのだろうか?これについては両者とも否定し、交際は続いており相手のことを大切に思っていたという。単に、マスコミの注目が落ち着くまで式を延期したかったのだと。しかし、その瞬間はもう訪れないと心の底では感じていたかもしれないが。
最初の破局にまつわる話として、結婚式の数日前にベン・アフレックがクリスチャン・スレーターやタラ・リードとクラブでパーティーに興じる姿がキャッチされたというものがある。一部の報道によれば、それから二人で過ごすことはなくなり、結婚式の新たな日取りも検討されなかったという。
では、何が破局の原因だったのだろう?急拡大したインターネットというメディアにより、二人の関係が疲弊してしまったという見方が大きい。「ベニファー」の破局はインターネットへの過剰露出から生じた最初の破局、ともいわれている。
二人が出会った作品『ジーリ』が2003年に公開されたことも、関係修復の役には立たなかった。しかも同作は5千万ドル以上の損失を出し、失敗に終わった。マスコミが「ベニファー」を才能あるアーティストとしてではなく、単なる人気セレブとして持ち上げていることは明らかだった。
多くのファンが残念がる中、2004年1月、「ベニファー」は婚約を解消。その後ジェニファー・ロペスはラテン系歌手のマーク・アンソニーと交際をスタート、2004年に結婚し、2008年に男女の双子を授かった。ラテン系セレブカップルとして人気を集めた二人だが、2011年に離婚。
ベン・アフレックは2005年に女優ジェニファー・ガーナーと結婚し、3人の子供をもうけた。同じジェニファーだがこちらが「ベニファー」と呼ばれることはなかった。「ベニファー」はあくまでジェニファー・ロペスとベン・アフレックのためのものだった。2018年、ベン・アフレックとジェニファー・ガーナーは離婚。
長い年月を通じ、「ベニファー」は人々の心の中でも、ベンとジェニファーの心の中で完全に消えたわけではなかった。二人はつねに連絡を取り合い、公の場で互いをサポートし、相手を好意的に受け止めていたのだから。
2021年、ついに「ベニファー」の第2章が幕を開けた。ベンが恋人アナ・デ・アルマスと破局し、間もなくジェニファーもアレックス・ロドリゲスと別れたのだ。どちらも独りになったベンとジェニファーは、それまで同様、連絡を取り合う仲だった。
ファンの目には「今こそチャンス!」だということは明らかだった。そうしたファンの祈りが届いたのか、ベンとジェニファーは、再び公の場で一緒にいるところを目撃されたのだ。
ジェニファー・ロペスとベン・アフレックはそれぞれ別のパートナーと長い結婚生活を共にし何人かの子供も授かっている。それぞれの人生を歩んできた二人の新たな交際について、ファンやマスコミも今度こそ大丈夫に違いないと考えた。その推測は正しかったようで、大物カップルは18年の時を経て2度目の婚約を発表した。
2004年以来となる2度目の婚約を発表し、まばゆいエンゲージリングを公開したハリウッドで最も話題のカップルの今後のニュースが楽しみだ。今度こそ二人は結婚式を挙げるのだろうか、そしてそれはいつになるのだろう?