人気絶頂なのにハリウッドを去ってしまった俳優たち
子役、そしてティーンアイドルとして華々しく活躍した後、メアリー=ケイト、アシュリーのオルセン姉妹は2010年代初めに女優業を辞める決断をする。二人はファッション業界に進出し、高級ファッションブランド『ザ・ロウ』を共同で立ち上げ、事業を成功させている。
ジーン・ハックマンは2004年に公式に俳優業から引退した。演技の仕事があまりにも「お決まりのルーティン」になったと感じられ、自分の時間を小説執筆にあてることに決めたのである。これまで三冊の歴史フィクション小説を書いている。
オスカー女優グウィネス・パルトロウは2019年に引退を発表し、自身のライフスタイルブランド「Goop」の経営に注力することにした。2016年にユタ州のスキー場で「当て逃げ」したとして訴えられていた裁判では、2023年に無罪の判決が下されている。
「ロマンティック・コメディの女王」ことメグ・ライアンは、2010年に女優業を引退した。2019年の『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューでは、演技の仕事が大好きだったことは一度もないと口にし、「ハリウッドと自分の感情はつながっていて、自分がもう十分と思ったときにはハリウッドもそう考えていたみたい」と語っている。
緻密な演技表現で知られるダニエル・デイ=ルイスは、『ファントム・スレッド』公開後の2017年に引退を発表した。デイ=ルイスがのちに『W』誌で語るには、引退のきっかけが何だったのかは彼にとっても定かではないが、自身の演技の質に満足できていなかったことは事実だという。
2014年を最後にしばらく映画に出ていなかったキャメロン・ディアスは、のちに引退を表明し、撮影現場の長い一日よりも結婚生活と子育てを優先したいと語った。2022年に復帰してNetflixの映画に出演したが、『デイリー・メール』紙によれば再び引退を考えているという。
かつて最も影響力のあったハリウッドスターの一人、ケイリー・グラントは1966年に62歳で映画業界を引退した。娘ジェニファーの養育に専念するためである。伝記によると、ケイリー・グラントは次のように語っている:「演技の仕事をそのまま続けて、祖父の役や浮浪者の役を演じることもできたでしょう。ですが、私は人生でより重要なことを見つけたのです」
ジェーン・フォンダはキャリアの真っ盛りに女優業を離れ、1990年から2005年にかけて政治運動に注力した。復帰後は映画『ウエディング宣言』に出演し、コメディドラマ『グレイス&フランキー』(2015年から放送中)で大きな成功を収めた。
『グレムリン』や『初体験/リッジモント・ハイ』で人気のあるフィービー・ケイツは、1994年に俳優業を引退し、家族との時間を優先させた。のちにニューヨークにブティックを開店し、プライベートだけでなくビジネスにも情熱をかたむけている。
ロアルド・ダールの児童小説『チョコレート工場の秘密』を原作とする映画はこれまで何本か作られているが、メル・スチュアート監督『夢のチョコレート工場』(1971年)で主人公の心優しき少年チャーリー・バケットを演じたのが、ピーター・オストラムである。本作がデビュー作となったがその後はハリウッドよりも獣医としての道を選び、現在も動物たちを相手に忙しい日々を送っている。
時代を象徴する偉大な女優、グレタ・ガルボは1941年に36歳で引退した。その後はニューヨークで暮らし、華やかな社交の場に出ることはなく、交友関係もかなり狭い範囲に限っていた。ガルボはしばしば特大のサングラスをかけてニューヨーク市内をぶらつき、パパラッチたちに(バードウォッチングならぬ)ガルボ・ウォッチングという格好の気晴らしを提供した。
ハリウッド子役スターの元祖であるシャーリー・テンプルは22歳で役者を辞めると、活躍の場を政治に移し、アメリカ大使として献身的に働いた。1972年に乳がんを発症、手術によって克服した。そのときに自身の乳がんを公表し、検診の必要性を訴えるなど、闘病の経緯を明らかにした初の著名人となった。
『マチルダ』と『ミセス・ダウト』の演技で知られるマーラ・ウィルソンは、10代のころに俳優業を辞めて学業に専念し、やがて文筆業にたずさわるようになる。ウィルソンはたびたび、ハリウッド映画産業が若い女性を搾取していることについて非難のコメントを出している。
フランスの女優ブリジッド・バルドーは、1973年に39歳で演技のキャリアを引退した。このような早いタイミングでの引退は「優雅な幕引きのためのひとつのやり方」だとバルドーは語っている。熱心な動物愛護運動家としても知られ、ブリジッド・バルドー財団を創設するなど、動物の幸せのためにこれまでさまざまな活動をしている。
『ゴーストバスターズ』や『ミクロキッズ』などに出演して成功を収めたリック・モラリスは、1997年に演技の仕事を中断させた。妻を1991年に亡くしており、子供2人の養育に専念する必要があったのだ。近年もときどき演技の仕事をしているものの、あくまで家族との時間が最優先である。演技の仕事はなければないで、とりたてて不自由を感じることはないと語っている。
女優グレース・ケリーは『裏窓』や『泥棒成金』といったヒッチコック作品で世界的名声を手にしたが、1956年に26歳で女優を辞めてモナコ大公レーニエ3世と結婚した。結婚後はモナコ王妃としての生活や、精力的な慈善事業にその人生を捧げたことが知られている。
ホラー映画『スクリーム』シリーズが出世作となったネーヴ・キャンベルは、2000年代初めに俳優業を一時休止し、ロンドンに引っ越す。のちに復帰を果たすものの、意識の面では大きな変化があり、心の健康やウェルビーイングを重視するようになったという。「あの時は一息入れる必要がありました。何もかもがつまらなく思えたんです」と、2018年に米人気テレビ司会者スティーヴン・コルベアに対して語っている。
ヘイデン・パネッティーアはテレビドラマ『ナッシュビル』でよく知られている。このドラマが2018年に放送を終えると、俳優業から一旦退き、薬物依存症と産後うつからのリハビリに取り組む。パネッティーアは2023年に『スクリーム6』でスクリーンに戻ってきた。
1985年の映画『グーニーズ』でメインキャスト「チャンク」を演じたジェフ・コーエンは、10代のころに芸能界を引退した。その後経営学と法学を修め、弁護士事務所「コーエン&ガードナー」を設立し、今はエンターテイメント業界の弁護士として活躍している。
『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』の「ジェイク・ハーパー」役を演じたアンガス・T・ジョーンズは、2016年に俳優を引退した。あるとき信仰に目覚めたのだ。ジョーンズは安息日再臨派の教会に関わるようになり、信仰を支えとする生き方を説いている。
ヒットドラマ『アリー my Love』や『アレステッド・ディベロプメント』の演技でよく知られるポーシャ・デ・ロッシは、2018年に引退を発表した。自身のアートキュレーション会社「ジェネラル・パブリック」の経営に力を入れ、パートナーのエレン・デジェネレスとさらに充実した生活を送るためである。
『愛と青春の旅だち』と『愛と追憶の日々』で有名なデブラ・ウィンガーは、90年代なかばに女優業を休業した。女性がハリウッドで演じることのできる役柄のせまさに幻滅し、自分の人生と家族との時間に集中することにしたのだ。ドキュメンタリー映画『デブラ・ウィンガーを探して』は、その唐突な引退を扱った作品である。彼女は2000年代にスクリーンに復帰した。
初代ジェームズ・ボンドとして名高いショーン・コネリーは、2006年に引退を宣言した。最後の出演作は『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』(2003年)。その後はバハマに滞在し、同地で2020年に亡くなった。