画像で振り返る中山美穂さん:その生い立ちとキャリア

早すぎる別れ
喪主は妹の中山忍さん
遺影はお気に入りのドレスをまとう姿
キャンディーズをみて芸能界に憧れるように
「ママに家をプレゼントしたい」
一躍スターに
初主演ドラマで歌手デビュー
「連続ドラマの女王」
歌手としても連続ヒットを放つ
90年代にミリオンセラーを記録
アイドル女優から演技派女優へとシフト
結婚、パリ移住、そして出産
『サヨナライツカ』
パリから単身で日本へ
闘病生活と出会い
親権を譲ることが条件だった
『蝶の眠り』で主演
2025年にデビュー40周年
12月6日に逝去
入浴中の不慮の事故
「最終的に目指すのは、素敵なおばあちゃん」
早すぎる別れ

2024年12月6日、「ミポリン」の愛称で親しまれていた元トップアイドルで、現在は女優や歌手として活動していた中山美穂さんが不慮の事故で亡くなった。54歳の早すぎる別れだった。

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喪主は妹の中山忍さん

12月12日、都内の斎場で葬儀が執り行われ、家族と事務所関係者約30人が参列した。喪主は中山さんの妹で元アイドル、現在は女優として活動する中山忍(51)さんが務めた。

画像:Instagram@_shinobu_nakayama_

遺影はお気に入りのドレスをまとう姿

『スポーツニッポン』紙によれば、祭壇には中山さんが好きだった深紅のダリア、シングル全39作品のCD、思い出の写真などが飾られた。遺影はお気に入りのドレスをまとった最近のコンサートでの姿だったという。

キャンディーズをみて芸能界に憧れるように

中山さんは1970年3月1日に長野県で生まれた。『東京スポーツ』紙によれば、女性アイドルグループ、キャンディーズの活躍を見て芸能界に憧れを抱くようになり、中学1年生の時に原宿でスカウトされたことをきっかけに芸能界入りしたという。

画像:Instagram@_shinobu_nakayama_

「ママに家をプレゼントしたい」

「ママはすごく苦労してきた。いつか、ママに家をプレゼントしたい」そんな決意で芸能界入りするも、2年半ほどは全く売れなかった。しかし、1985年にTBS『毎度おさわがせします』に出演したことが大きな転機となったと『AERA』誌が伝えている。

画像:Kyodo / Kyodo News Images

一躍スターに

思春期の性を描いたドラマ『毎度おさわがせします』は空前のヒットを記録し、体当たりの演技を披露した当時14歳の中山さんは、一躍その名を知られるようになった。

画像:Instagram@_miho_nakayama_

 

初主演ドラマで歌手デビュー

『毎度おさわがせします』の人気を受けて、続くTBSドラマ『夏・体験物語』(1985年)で主演を務めたほか、同番組の主題歌『C』で歌手デビューも果たした。『C』は大きな成功をおさめ、中山さんは日本レコード大賞で最優秀新人賞を獲得してまたたくまにトップアイドルの座にのぼりつめた。

画像:Kyodo / Kyodo News Images

「連続ドラマの女王」

『夏・体験物語』の成功により、中山さんは主題歌を歌うこともできる女優そして歌手として高い人気を確立した。主演ドラマの視聴率はのきなみ20%を超え、「連続ドラマの女王」と呼ばれるようになっていく。

画像:Kyodo / Kyodo News Images

歌手としても連続ヒットを放つ

デビュー曲の『C』以降、次々と発表された楽曲はいずれもヒット。1986年には『色・ホワイトブレンド』を始めとするシングル5本をリリースし、いずれも高いセールスを記録した。1987年には『CATCH ME』で初のオリコンチャート週間1位を獲得した。

画像:Instagram@_miho_nakayama_

90年代にミリオンセラーを記録

歴代シングルで最大の売上を記録したのは、ロックバンドWANDSとコラボレーションした1992年の『世界中の誰よりもきっと』で180万枚を超えるヒットとなった。次点は『ただ泣きたくなるの 』(1994年)で、104.8万枚のミリオンセラーとなった。

アイドル女優から演技派女優へとシフト

女優としては「連続ドラマの女王」と呼ばれたアイドル時代から、演技派女優へと少しずつシフトしていった。努力が実り、『Love Letter』(1995年)でブルーリボン賞主演女優賞、『東京日和』(1997年)で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を獲得している。

画像:Instagram@_miho_nakayama_

結婚、パリ移住、そして出産

プライベートでは2002年に雑誌の対談で意気投合したミュージシャンで作家の辻仁成さんと結婚。『週刊文春』誌によれば、「生まれてくる子供には親が芸能人であることなど意識せず、伸び伸びと育ってほしい」との思いから結婚した翌年にパリに移住し、2004年に長男を授かったという。

画像:Instagram@_miho_nakayama_

『サヨナライツカ』

渡仏し長男を授かってからは芸能活動を控えていたが、夫である辻さんのベストセラー恋愛小説を映画化したイ・ジェハン監督の『サヨナライツカ』(2010年)で久しぶりにスクリーンに登場。12年ぶりに主演を務めた。

パリから単身で日本へ

しかし、2014年に辻さんとの離婚を発表。『日刊ゲンダイ』紙によれば、中山さんから離婚を申し出て、親権は辻さんがとることになったという。そして中山さんは帰国を決め、辻さんと長男は現在までフランス生活を続けている。

画像:Instagram@_miho_nakayama_

闘病生活と出会い

以前に中山さんは『美ST』誌に対し、離婚の背景について明かしている。離婚の数年前から別れを意識していたが、子供が大きくなるまでは夫婦は一緒であるべきだと自分に言い聞かせてきた。そんな時にある男性に出会い、長年抱えていた子宮筋腫に関する手術の手配や付き添いまでしてくれたと語る。

親権を譲ることが条件だった

その後病は克服したものの、もとの家族生活に戻ることは考えられなかった。しかし、辻さんとの離婚では親権を譲ることが条件とされていたという。前述のメディアに対し中山さんは、「親権を放棄して子供を捨てた」といわれることが何よりもつらかったと語っている。

画像:Instagram@_miho_nakayama_

『蝶の眠り』で主演

2014年に帰国し、本格的に芸能活動を再開した中山さん。2017年に制作された日韓合作映画『蝶の眠り』で5年ぶりに主演を務めた。年下の相手とのラブストーリーで、韓国の俳優キム・ジェウクとの共演も話題をさらった。

2025年にデビュー40周年

近年の中山さんは歌手活動に力を入れていた。『Friday』誌によれば、デビュー40周年を迎える2025年には大規模な全国ツアーが予定されており、ほかにもさまざまな関連イベントを組んでいたという。

画像:Instagram@_miho_nakayama_

12月6日に逝去

『スポーツニッポン』紙によれば、中山さんは今月6日にも大阪でコンサートを予定していた。しかし、待合せ場所に現れず、連絡もつかなかった中山さんを心配して事務所関係者が自宅を訪れたところ、浴槽で中山さんの遺体を発見したという。家の中には誰もおらず、鍵もかかった状態だった。

入浴中の不慮の事故

警察による検視が行われた結果、事件性はないことが確認され、「入浴中の不慮の事故」であったことが発表された。死亡推定時刻は6日の午前3時から5時の間だという。

「最終的に目指すのは、素敵なおばあちゃん」

中山さんは『anan』誌のインタビューで、「最終的に目指すのは、素敵なおばあちゃん。かわいい、語り過ぎない、家族の多い、そんなおばあちゃん」と語っていた。そんな思いも空しく、54歳で早すぎる別れを迎えた中山さんの冥福を祈りたい。

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