世界各国、政治家たちの昔と今
時の流れはどんな人にも容赦ない。それは政治家でも同じ事だ。著名な政治家が年を経てどのように変化したか比べてみるのもいいかもしれない。まずはドイツ初の女性首相、アンゲラ・メルケル氏。政界入りしてまもなくの1991年、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)の女性・青少年問題相に抜擢され、CDU連邦代表代理にも就任したころの写真だ。
その後、16年にもわたって首相を務めた後、メルケル元首相は引退。ドイツ政治史上、あるいは欧州政治史上でもまれに見る影響力の大きな政治家だったといえるだろう。メルケル元首相はG8サミット主催と欧州理事会理事長を務めたが、この2職を兼務したのはイギリスのサッチャー元首相以来だ。
次は現アメリカ大統領のジョー・バイデン氏だ。1978年に議員当選後、自分のオフィスで微笑む様子が写されている。
その後は上院外交委員会委員長や第47代副大統領(オバマ政権下)を歴任。2021年1月20日に、トランプ元大統領の後任として第46代大統領となった。就任時に78歳というのは過去最高齢だった。
次はバラク・オバマ元アメリカ大統領をみてみよう。こちらはハーヴァード大学ロースクールの学生時代のオバマ元大統領(1990年)。同学の学生が発行する法学雑誌『ハーヴァード・ロー・レヴュー』の編集長に就任したときの写真だ。
バイデン大統領とは対照的に、この青年がアフリカ系アメリカ人初の米国大統領になるにはたったの19年しかかからなかった。任期中は、健康保険制度改革やキューバとの国交正常化、同性婚の推進などを行ったほか、過激派によるテロへの対応も多かった。
次期大統領となったドナルド・トランプ氏だが、まずは1982年の姿を。父フレッド・トランプ氏が創業した不動産ビジネスを受け継いでトランプ・オーガニゼーションと改名、のちの「トランプ帝国」の礎を築き始めたころだ。
その後、政界に進出しやがて第45代アメリカ大統領となったことは衆知の通り。独特の外交観や物議を醸す発言の多さから、近年でも最も毀誉褒貶の激しい大統領と言えるだろう。大統領の任期が終わって職を譲る際にも、議会襲撃が起きるなど一波乱あったことも記憶に新しい。
1980年、カナダの現首相ジャスティン・トルドー氏(写真左から2人目)9歳の時の写真だ。クリスマスカードで兄弟や両親とともに写っている。父親のマイケル・トルドー氏は当時、カナダの首相を務めていた。
その後、父親の衣鉢を継いで自身も政界入りしたジャスティン・トルドー氏は2015年にカナダの第23代首相に就任。イケメン首相として名高いが、政策的にもいまのカナダの礎を築いたとして評価されている。ただし、コロナ禍時の外出自粛政策には国際的な批判も受けた。
2007年、習近平氏が上海市党委員会書記に就任。そこで汚職撲滅を約束し、上海を世界的な金融都市にするという意気込みを語っている。
それから6年後、2013年に第7代国家主席に就任。外見上もあまり変わっていないようだが、政策的にはさらに変化が少ない。国家主席となって以降は権勢を確かなものとし、アメリカとのヘゲモニー争いに邁進する姿は新時代の毛沢東とも見られている。
ドイツ社会民主党(SPD)のオラフ・ショルツ現首相。これは2001年、同党の記者会見に登壇したときの姿だ。当時ショルツ氏はハンブルク州の内相を務めていた。
2021年の議会選挙でSPDはメルケル元首相率いるキリスト教民主同盟を破って第一党となり、指名投票を経てショルツ氏が首相に就任した。SPDは自由民主党及び緑の党と連立政権を形成し、それぞれの党の公式カラーから「信号連立」とも呼ばれた。だが、首相就任早々にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、脱原発・脱石炭火力を打ち出していた政権はいきなり苦境に立たされることになった。
これは2000年、『デイリー・テレグラフ』紙や『ニュー・ステイツマン』誌で記者を務めていたころのボリス・ジョンソン元首相だ。いまよりも少し身軽で、髪も整っているように見える。
なにかと物議を醸し、押し出しが強く、髪型も独特と、アメリカのトランプ元大統領と比べられることも多いジョンソン元首相。彼の「功績」といえば、なによりもイギリスの脱EU「ブレグジット」を主導したこと、そしてコロナ禍中に掟破りのパーティーを開催していたことくらいだろう。
こちらは1999年のウラジーミル・プーチン大統領。この年、プーチン氏はエリツィン大統領(当時)のもと第一副首相に任命され、すぐに首相代行にも任命されている。だが、プーチン大統領の出世街道はまだまだ始まったばかりだった。
ついにはロシア大統領に就任したばかりか、誰も自身のことを批判しなければ、常に自らが優勢になるという理想の「民主主義」を全国に布いた。実質的な専制君主としてチェチェンやジョージア、そしてウクライナへとその手を伸ばし、逆らうものたちのことは公然と脅かし続けている。
2024年10月から内閣総理大臣を務めている石破茂氏。こちらは2002年、第1次小泉内閣で防衛庁長官として初入閣を果たした時の写真だ。
石破氏は2024年9月に行われた自民党総裁選で高市早苗候補を破って勝利、第28代自由民主党総裁に選出された。その後、10月には衆議院を解散して選挙に臨むが、いわゆる裏金問題などもあって自民党は苦戦、大きく議席を減らす結果となった。写真は衆院選開始時、第一声を福島の小名浜で挙げる姿。
モナコ公アルベール2世は同地のアルベール1世高校を卒業後、アメリカのマサチューセッツ州にあるアマースト大学に進学。この写真は1970年代、その大学時代のものだ。
2005年には父レーニエ3世を継いでモナコ公となり、2011年に当時南アフリカ在住だったシャルレーヌ現モナコ公妃と結婚。だが近年では、国家運営の手腕ではなく、ゴシップで週刊誌を賑わすことのほうが多いようだ。
続いては現NATO事務総長のマルク・ルッテ氏。この写真は2010年6月9日オランダの総選挙で自らがリーダーを務めていた自由民主国民党が勝利した時のものだ。
リーダーとしてはなかなか多難で、3度の辞職を経たものの第4次政権まで続いており、粘り強い人柄がうかがえる。実際、13年の時を経ても外見上も大きく変わってはいないようだ。
こちらは1994年、レジェップ・エルドアン現トルコ大統領が福祉党の候補としてイスタンブール市長選に出馬したときの写真。結局、この選挙では勝利し、1998年まで市長を務めることになる。
2001年には公正発展党を設立し、2002年にトルコ首相に就任。そのポストを3期務めた後、2014年に大統領となる。そこから長期政権を布いており、EUとの緊張感のある関係構築なども含め、批判も多い大統領となっている。
ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領がかつて俳優・コメディアンだったことはよく知られている。こちらはその役者時代、テレビ番組「Evening Kyiv」の撮影に臨む様子。戦争指導ではなく、視聴者を楽しませることに頭を使っていた、平和な時代だ。
そんなゼレンスキー氏が2019年5月にウクライナ大統領に就任。以降、対露関係は緊張を強め続け、ついにはロシアによる全面侵攻に至った。今ではプーチン大統領率いるロシアの侵攻に抗う、象徴的な存在となっている。
続いてはニュージーランドのジャシンタ・アーダーン元首相。2012年、ニュージーランド労働党の第96回年次大会に出席したときの写真だ。当時、同党はデヴィッド・シアラー党首が率いていたが、支持率の伸び悩みに苦しんでいた。
その後、2017年にアーダーン氏がニュージーランド第40代首相に就任。37歳と当時最年少での就任だった。2019年にクライストチャーチモスク銃乱射事件が発生した際には毅然とした対応が称賛されたほか、コロナ禍での対応も評価されている。
こちらは北朝鮮の金正恩総書記。2012年に平壌で、祖父金日成生誕100周年を祝う軍事パレードを見守っている。
金正恩総書記は2011年にその地位に就いた。国内では強権を振るい、父や祖父の地位も積極的に奪取していった一方、国際的には核による恫喝を繰り返している。何度も死亡説がささやかれては再び人前に登場することを繰り返しているが、自身について極端な秘密主義を採っているため誰もその背景を確認することはできていない。北朝鮮にはほとんど同盟国がないことを考えると、秘密主義的方針もやむを得ないものではあるのだろう。