フランス映画の風雲児:リュック・ベッソン監督、復活なるか?
1959年、パリに生まれたリュック・ベッソン監督。17歳からエンジニアを目指して修行していたという。パリの映画スタジオ「Cité du Cinéma」のサイトで彼自身が述べているところによれば「長く厳しい」修行だったようだ。その後フランスと米国で助監督デビューを果たし、栄光に満ちたキャリアを本格的にスタートさせた。
1983年に最初の長編映画『最後の戦い』を制作。核戦争を生き延びたごくわずかな人類をテーマにした白黒SF映画だ。批評家たちは、監督の年齢や限られたリソースを考慮すると大したものだと高く評価した。
5年後の『グラン・ブルー』では観客動員数1,000万人を達成し、大成功を収めた。ダイバーを主役に据えたこのストーリーは、ダイビング・インストラクターの息子として過ごしたベッソン監督の子供時代が背景にある。写真は大物たちと撮影を行う若きベッソン監督。
刑務所生活を逃れるため暗殺者の道を歩むこととなった不良少女の、半ば幻想的な物語『ニキータ』。1990年に公開されたこの映画で才能を証明したベッソン監督は世界的に有名になった。
『ニキータ』のタイトルロールを好演した女優、アンヌ・パリローとは数年前に結婚していたベッソン監督。夫妻には1987年生まれの娘で女優のジュリエット・ベッソンがいます。
しかし、色男だったリュック・ベッソン監督。 1992年には当時16歳だったマイウェン・ル・ベスコと結婚(当時は、両親の同意があれば未成年者でも結婚できた)。マイウェンはベッソン監督にとって次女となるシャナを出産した。ところが、数年後にはマイウェンを捨ててミラ・ジョヴォヴィッチに走ることに……
『ニキータ』から4年、ベッソン監督は新作『レオン』で再びカルト的人気を博し、カムバックを果たした。ベッソン監督自身が演じるニューヨークの孤独な殺し屋が幼い隣人、マチルダの成長を見守るストーリーだ。ナタリー・ポートマンにとっては映画デビュー作であり、フランスでは観客動員数350万人を達成した。
ベッソン監督のヒット作としては仏・英・米合作の『フィフス・エレメント』(1997年)も挙げられる。ブルース・ウィリス主演のこの作品は全世界で観客動員数4,300万人を達成、ベッソン監督にセザール賞監督賞をもたらした。
リュック・ベッソン監督お気に入りの俳優といえば、ジャン・レノ。粗暴な役からヒーロー役まで幅広い演技を見せる彼は、『最後の戦い』にはじまり『グラン・ブルー』や『ニキータ』を経て『フィフス・エレメント』まで、6本ものベッソン監督作品に出演している。
米国流の超大作の影響を受けつつ革新的な人気作品を生み出すリュック・ベッソン監督は、時にフランス映画界の理想主義者たちから批判されてきた。彼らによれば、ベッソン監督の凝り過ぎた美学や大雑把な撮影はよろしくないというのだ。しかし、観客からの人気は衰え知らずだった。
1998年から2007年にかけて、『TAXi』シリーズ4作を手掛けたベッソン監督。サミー・ナセリ演じるスピード狂のタクシー運転手が様々な冒険に巻き込まれるストーリーだ。主人公の恋人役を演じたマリオン・コティヤールはこの作品を機に広く知られるようになった。
ベッソン監督は1999年、妻のミラ・ジョヴォヴィッチを主役、ジョン・マルコヴッチをフランス国王役に配して、ジャンヌ・ダルクの物語を映画化した。
監督業を引退したわけではないが、2000年代からは主にプロデューサー業に注力し始めたベッソン監督。制作会社の名前を「ヨーロッパ・コープ」に改め『YAMAKASI ヤマカシ』『トランスポーター』『アルティメット』をはじめ、フランスの人気アクション映画を製作している。
2003年にはマドンナのシングル「Love Profusion」のビデオクリップを監督。以前から、セルジュ・ゲンスブール(「Mon Légionnaire」)やミレーヌ・ファルメール(「Que mon cœur lâche」)のビデオクリップを手掛けていた。
『ジャンヌ・ダルク』が公開された年にミラ・ジョヴォヴィッチと離婚したリュック・ベッソン監督だったが、2004年にはプロデューサーのヴィルジニー・シラと再婚した。二人の間には子供が三人いる。
2006年から2010年にかけては、アドベンチャー映画『アーサー』シリーズ三部作でアニメーション映画にも挑戦している。
2005年秋にフランスの大都市郊外で発生した危機に触発されたベッソン監督は、貧困地区の若者支援に乗り出した。こういった地区の文化活動を促進することを目的としたリュック・ベッソン協会を設立したほか、2007年には「カンヌ・バンリュー(郊外)映画祭」を主宰した。これはカンヌ映画祭受賞作品を大画面で上映し、無料で提供するというものだ。
パリ北部のサン・ドニ地区に2012年に設立された「Cité du Cinéma(映画シティ)」を発案したのも彼だ。かつての発電所を改装したこのセンターには撮影セットのほか、映画界を目指す若者を指導する学校「École de la Cité」も併設されている。
2010年代初頭には監督としてもさらなる成功を見せたベッソン監督。ミャンマーの民主化リーダー、アウンサンスーチー氏を題材にタイで撮影を行った『The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛』をはじめ、大作を制作している。
しかし、何度か商業的失敗を繰り返したことで、2015年以降、ベッソン監督の制作会社「ヨーロッパ・コープ」は財政難に陥ることに。『TAXi』第5作やロシア版『ニキータ』といえるアドベンチャー映画『アンナ』は観客と批評家の失望を誘った。
さらに、2018年には#MeToo運動や#BalanceTonPorc運動の中で9人以上の女性から性的暴行の告発を受けたベッソン監督。彼の映画に何度か出演している女優のサンド・ヴァン・ロイは、暴行の被害を訴えたほか、パワハラについても告発している。
映画製作者としての不振や不祥事、3年間の活動休止に見舞われたリュック・ベッソン監督。彼の時代は過ぎ去ったかのように思えるかもしれないが、それは早計だ。パワフルな創造力が持ち味のベッソン監督はすでに、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ主演の新作映画『DogMan』でカムバックを図っているのだ。新たな伝説となるか?