画像で追う20年の恋物語:挙式を迎えたジェニファー・ロペスとベン・アフレック
米歌手で女優のジェニファー・ロペスと米俳優ベン・アフレックが結婚した。 二人は2004年に婚約したものの結婚式を延期、やがて婚約を解消した。しかし2021年に復縁が明らかにされ、ついにゴールインを迎えた。
ジェニファーは自身のニュースレター「On The JLo」を通じて結婚を報告した:「私たちは結婚しました。愛は美しく寛大で、粘り強いものでした。20年の試練に耐えたのですから」と
かつて「ベニファー」と呼ばれたビッグカップルは、ラスベガスで小じんまりとした結婚式を挙げた。ジェニファーのニュースレターによれば、二人は7月16日土曜日にラスベガスに行き、ほかの4組のカップルとともに結婚許可証を求める列に並んだという。
ラスベガス市のあるネバダ州クラーク郡の「記録システムでは、ジェニファー・ロペスの名前がジェニファー・アフレックに変更されている」とBBCは報じている。
「必要なのは愛だけ、という言葉は正しかった」とジェニファーは自身のニュースレターでコメントしている。 「5人の素晴らしい子供たちがいる素晴らしい家族、そしてこれ以上ないほど楽しみな人生を手にしたことに、とても感謝しています」
ジェニファー・ロペスとベン・アフレックの恋物語ははるか昔にさかのぼる。 2000年代初頭、ハリウッドに旋風を巻き起こしたビッグカップルは「ベニファー」と呼ばれたが、その関係は劇的に始まり、劇的な終わりを迎えた。二人の20年にわたるドラマを画像で振り返ってみう。
ベンとジェニファーの最初の交際期間は2002年7月から2004年1月までと、意外に短い17か月間だ。
当時、ハリウッドのビッグカップルはあらゆるところに姿を現していた。レッドカーペットを歩き、雑誌の表紙を飾り、ニュースやテレビ番組などに取り上げられ、二人の関係は永遠に続くかのようだった。
二人の出会いは2001年、共演作『ジーリ』の現場だ。翌年には『世界で一番パパが好き! JERSEY GIRL 』で再び共演を果たした。
当時、ベン・アフレックは『アルマゲドン』(1998)や『パール・ハーバー』(2001)等の大作に出演。さらにマット・デイモンと脚本を担当した『グッド・ウィル・ハンティング』で1998年のオスカー脚本賞を獲得するなど、ハリウッドの大スターに数えられていた。
一方、ジェニファー・ロペスはラテン音楽界の新星としてブレイクを果たし、映画『セレーナ』(1997)や『ウェディング・プランナー』(2001)で主演を務めるなど女優としても活躍していた。
ベン・アフレックと出会ったとき、ジェニファー・ロペスはクリス・ジャッドと結婚していた。出会いから間もなく、ジェニファーは離婚することになる。
ジェニファーとクリス・ジャッドの離婚から5か月後、ジェニファー・ロペスとベン・アフレックの交際が明らかにされた。
二人が初めて公の場に姿を現したのはロサンゼルスのレストランだった。カジュアルなトラックスーツ姿のジェニファーの隣に、笑みをたたえるベン・アフレック。カップルの姿にマスコミは大騒動となった。
ベン・アフレックの元恋人グウィネス・パルトロウは、カジュアルスタイルの二人の姿に驚愕したかもしれない。大物俳優ベンとの愛を手放してしまった彼女は、幸せそうな二人の姿を雑誌で眺めるしかなかったことだろう。
一般的には愛されカップルだったが、「ベニファー」と呼ばれる二人を批判する声もないわけではなかった。あまりにも贅沢、あまりにもカメラの前に立ちすぎ、あまりにもマスコミに露出しすぎ...... つまり、あらゆる面で「派手すぎ」だというのだ。
世界中の人々の憧れと注目を一身に集めていることを意識していたジェニファー・ロペスとベン・アフレック。交際を始めて一年もたたないうちに、数多くのファンが待ち望んでいたこと、つまり二人の婚約発表を行った。
その際、二人は驚くべき婚前契約を交わしたといわれている。例えばベン・アフレックが浮気をした場合、ジェニファー・ロペスが彼の財産の半分を保持できるというもの。さらに、二人がもうける子供の数を決めるのは彼女となっていたという。
とりわけインパクトがあったのが、「週に4回」身体関係をもたなければならないというルールだ。当時こうした婚前契約の噂が広まったが、実際にそんな取り決めがあったかについては疑問の声もある。
婚約を発表した二人はさらに有名になり、そろってレッドカーペットを歩けば何百人ものジャーナリストがカメラを構えた。二人並んだ姿はマスコミにとり最高のコンテンツとなっていたのだ。
しかし、ジャーナリストたちはこうした写真をほかの目的にも利用した。ビッグカップルがリッチな暮らしや二人の幸福、恵まれた外見をこれ見よがしに自慢しているとして、批判的なコメントも行ったのだ。
結局、「ベニファー」の結婚式は見送られてしまった。二人は結婚式の日取りを2003年9月14日としていたが、わずか4日前になり式の延期が発表されたのだ。
ジェニファーとベンの交際関係は危機にあったのだろうか?これについては両者とも否定し、交際は続いており相手のことを大切に思っていたという。単に、マスコミの注目が落ち着くまで式を延期したかったのだと。しかし、その瞬間はもう訪れないと心の底では感じていたかもしれないが。
最初の破局にまつわる話として、結婚式の数日前にベン・アフレックがクリスチャン・スレーターやタラ・リードとクラブでパーティーに興じる姿がキャッチされたというものがある。一部の報道によれば、それから二人で過ごすことはなくなり、結婚式の新たな日取りも検討されなかったという。
では、何が破局の原因だったのだろう?急拡大したインターネットというメディアにより、二人の関係が疲弊してしまったという見方が大きい。「ベニファー」の破局はインターネットへの過剰露出から生じた最初の破局、ともいわれている。
二人が出会った作品『ジーリ』が2003年に公開されたことも、関係修復の役には立たなかった。しかも同作は5千万ドル以上の損失を出し、失敗に終わった。マスコミが「ベニファー」を才能あるアーティストとしてではなく、単なる人気セレブとして持ち上げていることは明らかだった。
多くのファンが残念がる中、2004年1月、「ベニファー」は婚約を解消。その後ジェニファー・ロペスはラテン系歌手のマーク・アンソニーと交際をスタート、2004年に結婚し、2008年に男女の双子を授かった。ラテン系セレブカップルとして人気を集めた二人だが、2011年に離婚。
ベン・アフレックは2005年に女優ジェニファー・ガーナーと結婚し、3人の子供をもうけた。同じジェニファーだがこちらが「ベニファー」と呼ばれることはなかった。「ベニファー」はあくまでジェニファー・ロペスとベン・アフレックのためのものだった。2018年、ベン・アフレックとジェニファー・ガーナーは離婚。
長い年月を通じ、「ベニファー」は人々の心の中でも、ベンとジェニファーの心の中で完全に消えたわけではなかった。二人はつねに連絡を取り合い、公の場で互いをサポートし、相手を好意的に受け止めていたのだから。
2021年、ついに「ベニファー」の第2章が幕を開けた。ベンが恋人アナ・デ・アルマスと破局し、間もなくジェニファーもアレックス・ロドリゲスと別れたのだ。どちらも独りになったベンとジェニファーは、それまで同様、連絡を取り合う仲だった。
ファンの目には「今こそチャンス!」だということは明らかだった。そうしたファンの祈りが届いたのか、ベンとジェニファーは、再び公の場で一緒にいるところを目撃されたのだ。
ジェニファーとベンは長い道のりを歩んできた。どちらも長い結婚生活を送り、子供も授かっている。それぞれの人生を歩んできた二人の新たな交際について、ファンやマスコミも今度こそ大丈夫に違いないと考えた。それは正しかったようで、二人は長い年月を経て、ついに幸せなゴールインを迎えた。