イーロンの母メイ・マスク:シニアスーパーモデルの数奇な半生
世界一裕福な希代の起業家、イーロン・マスク。いまや彼の名を知らない人はほとんどいないだろう。
一方、イーロンの母メイ・マスクが、74歳にして第一線で活躍するモデルであることを知る人は少ない。
長身だが控えめでエレガントなメイ・マスクは、たびたびイーロン・マスクとともにイベントに姿を見せる。最近では、METガラ2022に登場した(写真)。
もちろん、母子関係は良好。実際、数年前にイーロンは、ツイッターで母のことを尊敬できる「ただ1人のヒロイン」だと打ち明けている。
しかし、メイ・マスクは世界一裕福な男の母になるまでに紆余曲折の人生を送っている。
1948年にカナダで誕生したメイはわずか2歳のとき、両親(ジョシュア&ウィンフレッド・ハルデマン)に連れられ4人の兄弟とともに南アフリカに移住。
両親の仕事はカイロプラクター兼冒険家。2人の冒険は20世紀半ばによく知られるようになった。
実際、父のジョシュア・ハルデマンは、電子機器の助けを借りずに南アフリカからオーストラリアまで飛行した世界初のパイロットという記録を持っている。
プレトリアに拠点を置いたハルデマン一家は、自らの冒険を語る講演会によって注目を浴びるようになっていた。
特に、カラハリ砂漠に消えた伝説の古代都市を粘り強く探し求め、人々の興味を掻き立てた。
メイ・マスクは『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビューで、両親は著名人になった後も地に足がついていたと回想している。
「両親はとても有名でしたが、それを鼻にかけるようなことはありませんでした」というメイ。また、イーロンも祖母について「賢くて芯のある女性だった」と述べており、印象に残っているようだ。
一方、メイ・マスク自身は15歳のときにモデルとして働き始め、母の友人のモデル事務所でカタログモデルを務めた。
20歳の若さでミス南アフリカ・コンテストに出場したメイは、ファイナリストに残る健闘を見せた。
モデルとして働く傍ら、栄養学を学んだメイ・マスク。今日では世界的にも有名な栄養士の1人だ。
メイ・マスクが高校以来の恋人、エロール・マスクと結婚したのは21歳のときだ。彼はその後、エメラルドの採掘と建設業で財を成すこととなる。
メイとエロールの間にはイーロン(1971生まれ)、キンバル(1972生まれ)、トスカ(1974生まれ、写真)という3人の子供がいる。
結婚から9年後の1979年、エロールとメイは離婚することとなった。しかし、正式に離婚届を出したのは、メイが子供たちを連れてダーバンに引っ越してから2年後、1981年のことだ。
離婚の理由はエロールによる身体的・精神的なDVだった。『ローリング・ストーン』誌のインタビューで、息子のイーロンは父について「悪だくみをする邪悪な人間」だったとしている。
イーロンいわく「父は想像もつかないほど邪悪な人間だった。慎重に悪だくみするんだ。想像もつかないほど悪い奴さ。思いつく限りの悪事を働いたよ」とのこと。
1989年、メイ・マスクはカナダに戻ったが、息子のイーロンは1年早くカナダに留学していた。元夫に銀行口座を凍結されて一文無しになってしまったので、トロント大学で栄養学の研究者として働く傍らモデル業もこなさなくてはならなかったという。
一方、子供たちは大学で勉強するために奨学金を利用したり、ローンを組んだり、仕事を探したりしていた。この時期、メイは家族を支えるため、身を粉にして働いた。
状況が改善し始めたのを機にサンフランシスコ、ニューヨークと移り住んだメイは、2013年以来ロサンゼルスに居を定めている。
『ニューヨーク』誌のヌード撮影や、ビヨンセの曲「ホーンテッド」(2013)のプロモーションビデオ出演など、特筆すべき作品を生み出したのもこの60代の頃だ。
また、ケロッグ社のシリアル「スペシャルK」の箱に登場した初の栄養士となったほか、『タイム』誌の健康特集で再びヌードを披露。ターゲット・コーポレーションやヴァージン・アメリカといった企業の広告塔として活躍した。
2015年、67歳にして大手モデルエージェンシー「IMGモデル」と専属契約を結び、2年後には化粧品ブランド「CoverGirl」の広告塔を務める最年長のモデルとなった。
半年間モデルの仕事がもらえずに苦悩したメイだが、59歳のときにばっさりショートヘアにしてカラーリングもやめた結果、大きな仕事が舞い込み、現在の成功につながったという。