メーガン妃の人種的ルーツはいったいどこ?
何かとお騒がせなハリー王子とメーガン妃。王室を離脱したこのカップルはNetflixドキュメンタリーシリーズ『ハリー&メーガン』、そしてハリー王子の回顧録『Spare』などを通じ、イギリス王室と(タブロイド)各紙から受けた仕打ちを仔細に明かしている。
カップルが明かす不愉快な出来事の多くは、メーガンの人種的出自と、英国貴族社会におけるメーガンの経験不足に関わっていた。
ところで、メーガン・マークルの祖先には、米国に生きたアフリカ系アメリカ人(の奴隷)のみならず、イギリス王室の宮殿に仕えていた者もいることはご存知だろうか。メーガン・マークルのエスニシティについて、しばし見ていこう。
メーガン・マークルの一族の歴史は、英国王室にさかのぼることができる。1856年、メーガンの祖先の一人は、ヴィクトリア女王に使用人として仕えていた。
その使用人は、メアリー・バードという。彼女はある兵士と結婚し、三人の子どもを生むことになる。そのうちの一人、母親と同じメアリーの名をもらった子が、メーガン・マークルの高祖母にあたる。
メアリー・バードとその夫は、軍隊についてマルタ島に居を移し、そこで20年間暮らした。英タブロイド紙『ザ・サン』によると、メーガン・マークルはこの島に精神的なつながりを感じており、先祖のことをもっと知るため、実際に現地を訪れもした。
英タブロイド紙『デイリー・メール』によると、メーガンの高祖母メアリーは、マルタ島で1862年に生まれた。当時のマルタ島は、イギリスからインドへの交易ルートの要港として栄えていたという。1881年ごろ、バード一家はカナダへ渡る。そのあと一家は、アメリカ合衆国北東部のニューハンプシャー州メレディスに落ち着く。
写真:Harper's Weekly / U.S. Library of Congress
マルタ島生まれのほうのメアリーは結婚後、九人の子供を授かる。その一人がメーガンの曽祖母にあたるガートルードだ。ガートルードは四人の子供をつくり、1920年にメーガンの祖母、ドリスが生まれる。ドリスは長じて1941年、ガソリンスタンドを経営するゴードン・マークルと結婚し、メーガンの父、トーマス・マークルが1944年に誕生する。以上が『デイリー・メール』の調査結果だ。
写真:'Harry & Meghan,' Netflix
メーガンの母方の血統はアフリカに由来する。彼らは奴隷としてアメリカ合衆国に連れてこられ、粗悪な条件下でこき使われた。
写真:U.S. Library of Congress
母方の祖先のなかには、南北戦争を戦ったアフリカ系アメリカ人たちもいた。彼らはエイブラハム・リンカーン大統領のもと、北軍の側で参戦した。
写真:U.S. Library of Congress
父方の祖先であるメアリー・バードがイギリス女王のもと下働きをしていたのも、ちょうど南北戦争のころである。
写真:U.S. Library of Congress
1956年9月、メーガンの母、ドリア・ロイス・ラグランドが生まれる。彼女はクリーヴランドのアフリカ系アメリカ人の家庭のもとに育った。
当時のアメリカ社会は、生活のいたるところに人種差別がはびこっていた。ふいに街角で出くわす差別もあれば、制度の上でおおっぴらに行われている差別もあった。
メーガンとハリーの結婚は、アメリカ合衆国の黒人奴隷に(片方は)由来する一族が、英国王室メンバーと結婚するという出来事だった。
メーガン・マークルが英国王室に名を連ねたことで、みずみずしい風がさっと吹き込んだ。そのできごとは、黒人女性やアフリカにルーツを持つ人々にとって、平等のための闘争における大きな前進と思われたのだ。
王室ファミリーの一員として歩んでいたメーガン・マークルは、アフリカ系市民や人種間の社会的格差を告発するその他の移民系市民にとって、自分たちがいま社会のどの辺りにいるのかを教えてくれる目印になったのだ。
どうやらメーガンも、国民やメディアの人種的偏見に苦しめられたようだ。メーガンとハリーが王室の「高位メンバー」としての公務から退くことを決めたのも、ひとつにはそれがあった。
英国王室から離脱するにあたり、ハリーは公式声明まで出して、あらゆる形の人種差別を非難するとともに妻メーガンのことを「尊重」するよう訴えた。「これは見世物ではありません。彼女の人生そのものなのです」
ハリーは言う:「罵りの言葉、いやがらせ、人種差別的な新聞記事に至るまで、メーガンは激しい攻撃にさらされてきました。これからは、そのようなたぐいのゴシップが鳴りをひそめ、かわりに、それらがもたらした害について人々が思いを馳せ始めることを私は期待します」
元王室カップルは現在カリフォルニアに住んでおり、反人種差別主義とマイノリティの権利擁護運動に深く関わっているという。
見ようによっては、メーガンは一族のルーツに立ち帰ったと言える。先祖たちに倣って、メーガンも世界の不平等に抗い、イギリスとアメリカの文化を橋渡ししているのだ。