ミス・ユニバースにまつわる歴代スキャンダルと栄光
以前から悲劇やスキャンダル、噂がついて回るミス・コンテスト。今回はミス・ユニバースの歴史を振り返り、特に注目を浴びた事件や優勝者について見てゆくことにしましょう。
1952年、映えある初代ミス・ユニバースの栄冠はフィンランド人モデル、アルミ・クーセラの手に渡りました。
優勝者に贈られる王冠は、英国女王、エリザベス2世が着用している王冠のレプリカです。写真は初代ミス・ユニバースに輝いた年のアルミ・クーセラ。
1971年のミス・ユニバース、レバノン人のジョルジーナ・リザークはプエルトリコで戴冠式に臨む予定でしたが、脅迫をうけたらしく、王冠を受け取ることができませんでした。
代わりに、プエルトリコのマリソル・マラレが新女王の座を獲得。
忘れがたいのは2015年のミス・ユニバース。戴冠式の司会者、スティーヴ・ハーヴェイが優勝者を間違えて発表、コロンビア代表のアリアドナ・グティエレスが数秒間だけ栄冠を被ることに。その後、ハーヴェイは謝罪し、真の優勝者、フィリピンのピア・ウォルツバックに王冠を授与しなおしました。
2021年に開催された第69回ミス・コンテストには、それまで4回連続で司会者を務めていたハーヴェイの姿はありませんでした。代わりに司会者に選ばれたのはマリオ・ロペス。ハーヴェイは授賞式で間違いを犯したために追放されたのだという噂も根強いものの、公式発表では契約更新の遅れが原因であり、ハーヴェイは第70回の司会者としてカムバックするということです。
2021年のミス・ユニバース日本代表として出場した渡邊珠里でしたが、彼女の「ナショナル・コスチューム」は物議を醸すことに。実際の伝統を紹介するというよりも、ステレオタイプな日本のイメージを発信したと受け止められたことが原因。
写真:MENAHEM KAHANA/AFP via Getty Images
パラグアイ代表候補としてしのぎを削っていたカレン・ガビラン、アラセリ・ドミンゲス、ガブリエラ・ベニテスの3人は全員きちんと予選や選抜に出場していましたが、優勝したのは最終選考の3日前にいきなり登場したヴァネッサ・カストロ。もちろん予選には出場していませんでした。このため、ネット上では不正疑惑がささやかれ、カストロはミス・パラグアイの王冠を買収したのだという者まで現れる始末。
2020年、ミス・コンテストの元参加者たちが、メキシコ代表候補のとりまとめや準備を担当していたルピタ・ジョーンズを暴力的だとして批判。それどころか、参加を妨害された候補者までいるとか。最初に声を上げたのは2019年のミス・メキシコ、ソフィア・アラゴンでした。
2019年、ペルー代表としてミス・ユニバースを目指していたアンジェラ・グラドス。しかし、パーティーで酔いつぶれている映像が出回ったため、資格取り消しに。ミス・コンテストの参加者たちには、イベントのイメージに背く喫煙や飲酒行為を行ってはならないという契約が課されるためだと言われています。
酔いつぶれているアンジェラ・グラドスを撮影したのは自分だと告白したのは、2019年のミス・ペルー・ティーン、カミラ・カニコバ。ミス・ユニバースの不適切な行動を報告するためだったと主張しましたが、本人もまた、許可なく同じディスコにいたことが発覚、資格停止処分に。
2014年、特徴的な衣装で論争を巻き起こしたドミニカ共和国代表、キンバリー・カスティージョ。ドミニカの守護聖人、アルタグラシアの聖母を彷彿とさせる衣装が、宗教に対する不敬であるとして不評を買ったためです。カスティージョは厳しい批判の的に。
女性たちの才気と美貌を競うこのイベントは1952年に始まりました。
そして、世界一の美女を決めるこのコンテストも、スキャンダルや風変わりな事件と無縁ではないのです。
米国は8人のミス・ユニバースを輩出しており、ミス・コンテストのトップを走っています。
米国に続くのは優勝者7人のベネズエラと5人のプエルトリコ。
ここ10年間、ラテン系候補の活躍が目立っています。
トランスジェンダーの出場者、ジェナ・タラコヴァの参加資格をめぐって論争を巻き起こしたミス・ユニバース・カナダ。結局、彼女の出場は認められ、準決勝進出を果たしました。
この事件を受けて、ミス・ユニバースは2010年にトランスジェンダーの参加者にも門戸を開放。
1974年のミス・ユニバースでスペイン人のアンパロ・ムニョスは戴冠後わずか数か月で辞退を申し入れ。
その理由は憶測の域を出たことがありませんが、代わりのミスが選ばれることはありませんでした。
1977年、黒人女性として初めてミス・ユニバースに輝いたトリニダード・トバゴ出身のハネリュ・コミシオン。彼女の優勝は母国を勇気づけることになりました。
ミス・ユニバースに毎年出場しているのはカナダとフランスだけ。
1957年、既婚であることが発覚し、米国代表の座を奪われたレオナ・ゲージ。
プエルトリコ代表のブレンダ・ロブレスは、1994年のミス・コンテストに出場したとき妊娠中でした。
失格になることはなかったものの、プエルトリコの運営者たちは彼女が次期優勝者に王冠を授けることを認めませんでした。
急激に太ったことで批判の的になってしまった1996年のミス・ユニバース優勝者、アリシア・マチャド。あのドナルド・トランプいわく、彼女は「食べる機械」なのだとか。
2001年、トランスセクシュアルであること明かしてスキャンダルを巻き起こしたフランス代表、エロディ・ゴッスイン。
その直後に、それは友人たちがでっち上げた冗談だったと公表した。
2002年、戴冠からわずか4か月でミス・ユニバースの座を辞退したロシアのオクサナ・フェドロワ。
元女王は、ミス・ユニバースにまつわる諸々の出来事についてゆけなかったことが辞退の原因だと述べました。
2004年のミス・ユニバース優勝者、ジェニファー・ホーキンスはパレードでスカートが脱げてしまい、下着の趣味が悪いという批判を浴びる羽目に。
ドレスに催涙スプレーをかけられるというスキャンダルに巻き込まれたことで、世界中のマスコミに注目された2008年のミス・プエルトリコ、イングリッド・リベラ。写真では黒いドレスを着ているのがイングリッド・リベラです。
王冠をかぶったままヌードで写真を撮ったことで批判の的になった、2008年のミス・ユニバース、ダイアナ・メンドーサ。しかし、コンテストの主催者はこの写真にOKを出しました。
ミス・レバノンのセルフィーに一緒に写ったことでレバノン人の怒りを買ったミス・イスラエル、ドロン・マタロン。
太ももの小さなタトゥーが世界中の視線を集めることになってしまったのは、スペイン代表候補のデシレ・コルデロ。問題のタトゥーはインド諸宗教で神聖視される呪文「オーム」のシンボルだった。
2002年、ミス・レバノンのクリスティーナ・サワヤは、ミス・イスラエル、ヤミット・ハー・ノイが出場していることに抗議してコンテストに参加しませんでした。
2022年1月30日、ニューヨークの42番街にある超高層ビル「ジ・オライオン」の下で、このビルに住んでいた2019年のミス米国、チェスリー・クリストの遺体が発見されました。数時間後、警察は自殺であったと公表。ピープル誌によれば、若いチェスリーは自分の財産すべてを母(彼女もまたミス・コンテスト優勝経験あり)に譲るようにという遺書を残していたと言います。