マドンナは6人の子どもを育てる「ワーキングママ」
60代半ばのマドンナはアーティストとして活躍を続け、世界中のファンを魅了し続けている。2023年1月にはワールドツアーのチケットを完売、TikTokを通じ、「決して当たり前のこととは思っていません。自分が世界でいちばん恵まれた女の子のような気がしています」というコメントを発表した。
60代半ばのマドンナはTikTokを使いこなし、自分のことを「女の子」と呼び、音楽活動を精力的に続けている。「クイーン・オブ・ポップ」はいまでも決して仕事の手を緩めておらず、しかも6児の母でもある。むしろそれこそが若さの秘訣かもしれない。
どうしてこんなに子だくさんなのだろう? 『ピープル』誌のインタビューでそう聞かれたマドンナの答えを要約するときわめてシンプルだ:「ときどき、目を閉じてこう考えるんです。『どうしてうちのキッチンは踊りまわる子供たちでいっぱいじゃないんだろう? 家を必要としている子供たちはこんなにもたくさんいるのに……ためらう理由なんてない、やらなきゃ』って」
そういうわけで、マドンナは6人の子供を迎え入れた。2人は実子で、4人は養子だ。マドンナは『E! News』誌に語っている:「私の幸せのほとんどは子供たちに関するものです。子供たちが成長して進化し、それぞれ愛するものを見出す様子を見守ることが私の幸せです」
『ピープル』誌の報道によると、2020年、62歳にしてマドンナはタトゥーに初挑戦。手首に子供たち全員のイニシャルを入れたという。
6児の母というのは決して簡単なことではない。『ヴァニティ・フェア』誌のインタビューで、マドンナはこう言っている:「いままで経験した中でももっとも難しい、大変な戦いです。母親であることと仕事との両立には今でも苦労しています」
「どのような立場の人であっても、子どもを持ち、育てるというのは創造的な営みです。だれもマニュアルを渡してはくれません。間違いから自分で学ばなければいけないんです。非常に時間のかかる職業的な営みで、しかも休日はなくたいへな消耗を伴います」
マドンナの6人の子供たちを年齢順に紹介しよう(カッコ内は生まれた年)。ローデス・レオン(1996)、ロッコ・リッチー(2000)、デヴィッド・バンダ(2005)、マーシー・ジェームズ(2006)、そして双子のステラとエスター(2012)だ。以下のスライドで一人ずつ詳しく紹介する。
写真:Madonna / Twitter
ローデス・レオンは1996年10月14日生まれ。ダンサーにしてマドンナのパーソナルトレーナーだったカルロス・レオンとの間に生まれた。『ピープル』誌によるとマドンナは「リトル・スター」をこの最初に生まれた娘のために書いたという。
ローデスはローラとも呼ばれるが、父親のラテン文化と母親の体現するポップシーンとに包まれて育った。はやくも7歳の時には、母親と一緒にMTVビデオ・ミュージック・アワードの舞台に上がっている。
最近ではローラはモデルや歌手としてのキャリアを歩み始めている。すでにリアーナの下着ブランド、サヴェージやミュグレー、スワロフスキー、バーバリー、マーク・ジェイコブスなどのブランドとコラボ。2022年の8月にはデビューシングル『ロック&キー』を発表した。
ロッコ・リッチーは、マドンナが2000年から2008年にかけて結婚していた映画監督のガイ・リッチーとの間の子ども。2000年8月11日生まれだ。
まだ幼いころに両親が離婚したロッコはしばらくのあいだ親権争いの対象に。10代の頃は母ともよく衝突した。だが、エレン・デジェネレスの冠番組『エレンの部屋』に出演した際にはこう語った:「(マドンナは)いい母です……とても厳しいですが、子どものことを思っての厳しさです」
ロッコもモデルや役者など多彩なキャリアを積んできたが、一番のお気に入りは絵を描くこと。当初自分の書いたものにはレッドという偽名でサインしていたが、真の作者として名乗りを上げた。いまではロンドンにスタジオを構えている。
「キッチンで踊りまわる」子供たちを迎えようと決めた時、マドンナはただやってきた子どもに愛を注いだだけでなく、その子の出身地全体も援助した。「レイジング・マラウイ」基金を自ら設立して募金活動を約束、医療や教育に寄付するとした。
デヴィッドは2005年9月24日にマラウイで生まれた。生後一年の時点でマドンナとガイ・リッチー夫妻は彼を養子に迎えるつもりがあったが、現地での手続きなどもあって正式に迎え入れたのは2008年。その頃には夫婦関係は終わりにさしかかっていた。
マドンナの誇らしげなインスタグラムでの投稿から伝わってくるのは、デヴィッドが踊るのが好きということ。デヴィッドのダンス動画は定期的に投稿されている。加えて、デヴィッドにはサッカーの才能も。
しかもデヴィッドにはファッショニスタとしての才能の片鱗も。姉のローラを思わせる才能だが、デヴィッドはジェンダーの枠を超えた服装や、前衛的なスタイルを着こなしている。
マーシーは2006年1月26日、マラウイ生まれ。ガイ・リッチーとの離婚が決定したあと、マドンナがシングルマザーとして養子を申請した。許可されたのは2009年だ。
マーシー・ジェームズはあまりメディアの脚光を浴びることはない。『HollywoodLife』の記事によると、マドンナのインスタグラム投稿などから、マーシーはスリルを味わうのが好きだとわかるという。2021年にはマーシーの15歳の誕生日をお祝いするために家族みんなでスケートに出かけたとのこと。翌年、16歳の誕生日にはアメリカ、ニュージャージー州の遊園地シックス・フラッグス・グレート・アドベンチャーに行ったらしい。
マドンナは養子たちが生まれた国に対してチャリティプロジェクトを立ち上げ、絆を保っている。この写真ではマーシーが病院のイベントでスピーチをしている。マラウイの都市ブランタイヤにあるクイーン・エリザベス中央病院に新しく小児科病院が併設された時のオープニングセレモニーだ。新しくできた病院の名前はもちろん、マーシー・ジェームズ小児科病院だ。
6人の中でいちばん若いメンバーは双子のステラとエスター。2012年8月24日、マラウイ生まれだ。マドンナが二人を養子に迎えたのは2017年、二人が4歳の時だった。
Photo: Madonna / Twitter
二人について、マドンナは『ピープル』誌にこう語っている:「ずっと昔から一緒にいたような感じです。うちに慣れるのにほとんど時間はかかりませんでした。お兄ちゃんのデヴィッドに似て、二人とも踊るのが好きです。それから、ステラはピアノも上手なんですよ」