パーキンソン病を明かしたマイケル・J・フォックスの引退と復活
人気絶頂期にパーキンソン病と診断された米俳優マイケル・J・フォックス。その日常を描いたドキュメンタリー『STILL:マイケル・J・フォックス ストーリー』がApple TV + で配信された。発症はフォックスがまだ29歳のときだった。
写真はサンダンス映画祭(2023年)の制作発表会でポーズをとるマイケル・J・フォックス。
マイケル・J・フォックスは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの主人公マーティ・マクフライを演じ、世界的スターの仲間入りをした。今回は、フォックスの軌跡をおっていこう。
マイケル・アンドリュー・フォックスは、1961年6月9日、カナダのエドモントンで生まれた。5人兄弟姉妹の4番目で、父のウィリアムはカナダ軍に勤務し、母のフィリスは会社勤めをしていた。
フォックスが映画俳優組合に加入しようとした時、すでに同名のマイケル・フォックスが存在することを知った。マイケル・A・フォックスという響きが気に入らなかったため、尊敬する俳優のマイケル・J・ポラードにちなんで、「A」を「J」に置き換えて芸名とした。
フォックスは15歳から俳優の仕事を始めたが、1977年から1981年まではTVシリーズ『The Magic Lie』(1977)、『Lou Grant』(1979)、『Leo and Me』(1981)の単発エピソードといった散発的な出演にとどまった。
1982年、マイケル・J・フォックスはテレビドラマシリーズ『ファミリータイズ』の主役、アレックス・キートンに大抜擢された。『ファミリータイズ』は全米で大ヒットを記録し、フォックスは1989年まで全176話に出演、一躍有名人となった。
当時、ハリウッドで成功を収めていたのはアーノルド・シュワルツェネッガー、シルベスター・スタローン、ブルース・ウィリスといったアクション系俳優だった。それとはまったく違うタイプのフォックスが人気スターになるとは、どのメディアも予想していなかった。
『ファミリータイズ』を放送したテレビ局、NBCの社長ブランドン・タルチコフ(写真)ですら、マイケル・J・フォックスの顔が子供用ランチボックスにプリントされることはないだろうとコメントしていた。タルチコフは、フォックスの才能を信じていなかったのだ。
しかしタルチコフの読みはちがっていた。『ファミリータイズ』のプレミア上映数週間前からマイケル・J・フォックスの人気は急上昇、その顔はランチボックスはもちろんポスター、Tシャツ、雑誌などあらゆるグッズに登場するようになったのだ。
フォックスは何かを根に持つようなタイプではない。その後、CBS社長のタルチコフと親しい友人関係を築いたばかりか、自分の顔がプリントされたランチボックスをプレゼントしたほどだ。かつての批判は水に流す、を意味するジョークだったという。
写真は1986年に撮影された、ハリウッドのレストランでのマイケル・J・フォックスとブランドン・タルチコフ(中央)。
1985年に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、SF映画の最高傑作として世界各国で大きな成功を収めた。そして、主役のマーティ・マクフライを演じたフォックは一躍時の人となる。
フォックスが女優で妻となるトレーシー・ポランと出会ったのは、『ファミリータイズ』の撮影現場。トレーシー・ポランはエレン・リード役を務めていたのだ。
2人は1988年に結婚、やがて長男のサム(1989)、双子の娘アクイナとスカイラー、3女のエズメを得た。以降、フォックスとポランは切っても切れない関係にあり、人生の困難な時期にもポランは夫のそばを離れることはなかった。
1990年、フォックスがまだ29歳だった頃、小指に強い震えが生じて止められなかったことから診察を受けた。間もなく、それがパーキンソン病の初期症状のひとつであることが判明。
テレビ番組「サンデー・トゥデイ」の司会者ウィリー・ガイストとのインタビューで、フォックスは妻に病気を打ち明けた時を思い出し涙ぐんだ: 「私たちにはこの先何が待ち受けているのか分かりませんでした。私がトレイシーをずっと愛してやまない理由のひとつは、あのとき、彼女がまったく躊躇するそぶりを見せなかったことです。パートナーがいることは素晴らしいことです。毎日、私と一緒に最前線に立っているのですから」
当初、フォックスは病を公にせず、家族だけに知らせて闘病を続けていた。医師からは、フォックスが俳優として10年以上活動を続けることができるかどうか疑わしいと宣言されていたのだ。
パーキンソン病は時間とともに悪化する病気で、世界中で400万人が罹患しているとされるが治療法がまだ見つかっていない。高齢者がかかることが多いため、若いフォックスの発病はデリケートな問題となった。パーキンソン病の主な症状は、体の震えやこわばり、運動やバランス障害、予期せぬ体の動きが制御できなくなる脳障害などだ。
フォックスは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の第2作(1989)と第3作(1990)で主役を務めている。その後にパーキンソン病と診断されたものの活動を継続、症状が顕著になってきても仕事をしていた。
そして『奇跡の旅』(1993)、『遺産相続は命がけ!?』(1994)、『奇跡の旅2/サンフランシスコの大冒険』(1996)、『マーズ・アタック!』(1996)、『スチュアート・リトル』(1999)をはじめとする多くの映画に出演した。
1996年から2000年までは『スピン・シティ』シリーズの主役、マイケル・フラハティを演じてテレビ界に復帰した。当時、フォックスは症状を抑えようとドーパミンなどの薬を大量に服用していた。シリーズが第3シーズンに至る頃には、フォックスは病を隠すことができなくなっていた。
1998年、フォックスはついにパーキンソン病であることを公表し、自伝を執筆して自らの体験を語った。そして『スピン・シティ』で、ゴールデングローブ賞のテレビ主演男優賞を1997年から3年連続で、2000年度にプライムタイム・エミー賞を受賞した後、シリーズから降板することを発表した。
以降、フォックスは活動家として知られている。パーキンソン病であることを公表した年に設立した「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」を通じ、10億ドル以上を集めた。
最善を尽くし、つねにポジティブであろうとするフォックスだが、自身を待ち受ける厳しい運命をよくわかっている。「サンデー・トゥデイ」のインタビューで、死について考える、80歳までは生きられないことがわかっている、と語った。
とはいえフォックスは、人から同情されることを望んでいない。自分の病気についてしばしばジョークを飛ばすほどだ。2010年から2015年にかけてはTVドラマシリーズ『グッド・ワイフ』に準レギュラーとして出演。運動機能障害を持った弁護士ルイス・ケニングを演じ、自身の病を投影した。
フォックスはサンデー・トゥデイにこう語っている:「おもしろいことに、テレビで障害を持つキャラクターが登場すると、背景にソフトなピアノ音楽が流れ感傷的な場面になりがちです......私は障害者だって憎まれ役になれることを証明したかったのです」
2019年、フォックスは引退を決めたものの、自身の人生を描いた優れたドキュメンタリーでスクリーンに戻ってきた。そして人の在り方は病に左右されないということ、フォックスはつねに偉大な俳優だということをあらためて証明してみせた。