ヘリコプター事故で不慮の死を遂げたセレブたち:世界の政治家、歌手、映画監督......
世界中のセレブたちにとって、ファンやパパラッチの好奇の目から逃れるのに便利なヘリコプターは、人気の移動手段になっている。高いセキュリティを確保しつつ迅速に目的地まで移動できるため、政治家や経済界の重鎮にも重宝されている。しかし、時には不幸なヘリコプター事故によって尊い命が奪われてきた。
例えば最近では、2021年からイランの大統領を務めてきたエブラヒム・ライシが、2024年5月19日、アゼルバイジャンへの公式訪問からの帰国中にヘリコプターの事故で命を落とした。
この事故では、大統領とともに飛行機に搭乗していたホセイン・アブドラヒアン外相や、東アゼルバイジャン知事を務めるマレク・ラフマティを含む搭乗者全員が犠牲となった。
他にも多くの有名人がヘリコプターでの移動中に命を落としている。
NBA史上最も偉大なレジェンドの一人であるバスケットボール選手のコービー・ブライアントは、2020年1月にヘリコプターの事故により41歳という若さで亡くなった。ブライアントの次女も同乗しており、帰らぬ人となった。
フランス出身の歌手ダニエル・バラヴォワーヌは、1986年1月にヘリコプターの墜落により死亡。悪天候にもかかわらず再離陸を試みた結果、悲劇が起こってしまった。新進気鋭ミュージシャンの33歳でのあまりに早すぎる死であった。
ダニエル・バラヴォワーヌの他には、パイロットのフランソワ=グザビエ・バヌー、ダカール・ラリーの生みの親であるティエリー・サビーヌ、ジャーナリストのナタリー・オーデン、技術者のジャン=ポール・ル・ファーが同機に乗り合わせていた。
大西洋横断レース「ルートデュラム」で、フランス人女性として初めて優勝したことで有名なフローレンス・アルソーは、2015年にアルゼンチンでのリアリティ番組の撮影中に、ヘリコプターの事故により57歳で亡くなった。
この時の事故で、ロンドンオリンピックで3つのメダルを獲得したフランスの水泳選手カミーユ・ムファと、同じくオリンピックメダリストでボクサーのアレクシス・バスティーヌも犠牲になった。
スーダンの経済学者であり軍人でもあるジョン・ガランは、同国の副大統領および南部スーダン自治政府の初代大統領を務めた。2005年7月に60歳でヘリコプターの墜落により命を落としている。
2021年からウクライナの内務大臣を務めたデニス・モナスティルスキーは2023年1月、搭乗したヘリコプターが幼稚園の上に墜落し、42歳でこの世を去った。
ヨルダン女王でフセイン1世の3番目の妻であるアリア=アル・フセインは、1977年にヘリコプター事故でわずか28歳で亡くなった。
正教会のアレクサンドリア総主教のペトロス7世は、2004年にギリシャのアトス山へ向かっていた際に乗っていたヘリコプターが墜落し、55歳でこの世を去った。
オリヴィエ・ダッソーは親子三代続く航空機メーカーの跡取りであり、写真家や政治家としての一面も持ち合わせていた。2021年1月にヘリコプター墜落事故により、69歳で亡くなった。
免税店大手キングパワー社のトップとして富を築いたタイの億万長者、ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバは2018年に60歳で死去した。同氏は、岡崎慎司も所属していた英プレミアリーグのレスター・シティFCのオーナーを務めており、レスターの本拠地であるキング・パワー・スタジアムのピッチからヘリコプターで離陸した直後の事故だった。
メキシコのプエブラ州初の女性知事であるマルタ・エリカ・アロンソは、2018年に夫とともにヘリコプター事故の犠牲となった。享年44歳だった。
写真:Greg Wilson / Unsplash
グアダルーペ・ラリバは、エクアドル史上初の女性国防大臣を務めた人物。しかし、2007年1月に50歳でヘリコプター事故の犠牲となった。
フランスのサッカー1部「リーグ・アン」でのプレー経験も持つサッカー元ブラジル代表フェルナンドンは、2014年、ヘリコプター事故により36歳でこの世を去った。
スコットランド出身のラリードライバー、コリン・マクレーは、2007年に自家用ヘリコプターの墜落により39歳で亡くなった。乗客には5歳の息子を含む3人が乗っており、全員の死亡が確認された。
フランス出身のリオネル・ポワラーヌは父親から家業のパン屋を引き継ぎ、看板商品の「パン・ポワラーヌ」は広く知られることとなった。2002年にブルターニュでヘリコプター事故に遭い、57歳で亡くなった。
フランスの映画監督であると同時に、空中撮影技術である「ヘリヴィジョン」とボードゲーム「リスク」を発明したアルベール・ラモリス。1970年にイランでの撮影中の不運な事故により48歳で亡くなった。
写真:Isaac Benhesed / Unsplash
フランシス・ゲーリー・パワーズは、冷戦中にソ連で拘留されたCIAのパイロットである。無事母国アメリカに帰国を果たしたが、1977年に47歳で墜落死した。