バレンタインデーの知られざる起源とエピソード:宗教儀式からキスのシンボルまで
今年もバレンタインデーがやってきました。たくさんの恋人たちがパートナーあるいは意中の人に愛情を示すために、素敵なカードやギフト、ひとときを贈ろうと心を砕いているはず。ウィンターブルーを癒してくれるこの日を心から楽しむ人もあれば、あるいは単なる商業主義に過ぎないと考える人もいるはず。
スタンスはともあれ、バレンタインデーの歴史を紐解いてみると血なまぐさい宗教儀式から「x」がキスのシンボルになった理由まで、驚くべきエピソードが見つかります。その一部をみてみましょう。
バレンタインデーの起源については歴史家による一致した見解があるわけではありませんが、キリスト教以前に行われていた豊穣の祭りをキリスト教徒が取り入れて新たな祭事にしたことを挙げ、その起源を紀元前6世紀まで遡る人もあります。
この豊穣の祭りは古代ローマで行われていたルペルカーリア祭。これは神への生贄にされた山羊の皮を引き裂いてつくったムチをつくり、裸体に山羊の血を塗った男性がこのムチで女性を打つ、というものでした。
写真:Circle_of_Adam_Elsheimer_The_Lupercalian_Festival_in_Rome.jpg
血まみれの男性がムチで女性が打つというきわめて痛々しい行事ですが、当時はそれによって子宝に恵まれると考えられていました。また、若い女性は自分の名前を書いて壺に入れ、男性はそこから名前を引き出し、ランダムに当たった相手と祭りの期間中は自由奔放に過ごすことができたと伝えられています。
キューピッドとバレンタインデーはきわめて相性が良いのですが、なぜ弓矢をもった赤ちゃん天使と愛の日が密接に結びついているのか、ご存じですか?
キューピッドは古代ローマで崇められていた女神ヴィーナスの息子です。ギリシャ神話では女神アフロディーテの息子であり、愛の神エロスとしても知られていました。
しかしエロスは愛の矢で人を射るだけではありません。時には憎しみの矢も放ち、人間の感情を弄ぶのを好んでいたのです。
ところでギリシャ神話のエロスは現在のように丸々とした赤ちゃんの姿ではなく、美形の若者でした。赤ちゃんのイメージが付されるようになったのは古代ローマ人がエロスの神話を取り入れてからのことです。
人類史上で最初に書かれたバレンタインカードは、多くの方が思い描くほどロマンティックなものではありませんでした。15世紀、囚われの身だった当時21歳のオルレアン公シャルルが2番目の妻に宛てて書いた手紙がバレンタインカードの始まりだとされています。
オルレアン公シャルルは1415年のアジャンクールの戦いで捕虜となり、20年以上も牢獄につながれていました。悲しいことに、その間に最愛の妻は亡くなり、オルレアン公は愛の詩を贈った妻の顔をふたたび見ることはできませんでした。
英語のメッセージで「xx」とサインするのはごく一般的。これは「キス」を意味するマークで、バレンタインデーにも頻繁に使われます。
歴史の専門家によると、中世の頃、「X」はキリスト教や十字架を表していたそうです。当時は読み書きができない人が多かったことから、書類へのサインに「X」が使われていました。
History.comによると、署名をした後は「誓いの証としてそこにキスをする」ことが一般的でした。やがて、王族はもちろん一般市民の間でも書類や本、手紙に署名をした際にこのマークを入れることが一般的になっていきます。こうして、「キスで封印する」という考え方が社会に定着していきました。
英語の「to wear your heart on your sleeve(ハートを袖に付ける)」という表現は、「自分の愛情について率直であること、オープンであること」を意味します。スミソニアン博物館によると、この英語表現のルーツは中世に遡るそうです。
辞書出版大手のメリアム=ウェブスター社によると、このフレーズは中世の馬上槍試合に由来するそうです。中世ヨーロッパの「袖」というのは、腕を覆う衣服の一部というよりも、鎧を保護するためのものでした。
そして騎士が馬上槍試合で競うときには、愛する女性からもらったハンカチを腕に付け、彼女にオマージュを捧げていました。
そのため槍試合に集まった観客の目には、馬上の騎士が意中の女性に愛を捧げていることが一目瞭然でした。「ハートを袖に付ける」、つまり「感情表現がストレートである」という慣用句は、こうした騎士道の習慣を起源としています。