ハリウッドから引退した名優ダニエル・デイ=ルイス、現在の暮らしとは
ダニエル・デイ=ルイスは、与えられた役柄へ向けて自らの肉体と精神を長期間にわたって作り変えていくような、極めてストイックなアプローチをする。自分がやりたいと思った役だけを引き受け、いったんそれを引き受けると、撮影が始まるずっと前から丹念な準備段階に入ることを習慣としてきたのだ。
その徹底した役作りは、『タクシー・ドライバー』などで知られるロバート・デ・ニーロのそれと並び称されることもある。そんな彼が、それだけの情熱を傾けてきた映画の仕事をどうして辞めてしまったのだろう?
ダニエル・デイ=ルイスはかつてイギリスの新聞に対し、次のように語っていた。「どんな役者の人生にも、自らにこう問いかける瞬間があります。今やっていることを続けることが、果たして本当に正しいことなのか、と」。彼は俳優生活を30年以上続け、その過程でアカデミー賞主演男優賞を三度受賞し、60歳で俳優業を引退した。そして現在、67歳になっている。
俳優として最後の仕事になったのは、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ファントム・スレッド』(2017年)である。1950年代のロンドンを舞台に、デイ=ルイス演じる天才的で完璧主義の仕立て屋(ドレス職人)が、モデルに雇った若い女性と恋に落ちるという物語だ。
デイ=ルイスはBBCに対してこう語っている。「私は好奇心の赴くまま、自分の知らないさまざまな場所を訪れます」。あるとき彼は、伝記映画『マイ・レフトフット』(1989年)の役にかんする理解を深めるため、脳性麻痺の患者が入院するクリニックに八週間滞在した。そして撮影が続く三ヶ月の間、ずっと車椅子の上で過ごし、かろうじて動く左足だけを使って絵を描いた実在の男を演じ切ったのだ。この演技で彼は初めてのアカデミー賞主演男優賞に輝くことになった。
『ラスト・オブ・モヒカン』(1992年)のときには、デイ=ルイスはしばらくサバイバル生活に身を投じ、本物のモヒカン族さながら森で暮らしていく技術を身につけた。狩りで仕留めた獲物だけを口にし、どこへ行くにも銃を肌身離さず持ち歩くという生活だ。その6キロもある銃をトイレのときにも手離さないというから、一瞬たりとも気の抜けない暮らしである。
彼の場合、そういった周到な準備抜きで演技に入ることはあり得ないので、新しい役を引き受けることはすなわち、心身の激しい消耗を意味した。その不安について次のように語っている。「映画にとりかかる前はいつも決まって、あの困難な役作りの作業をまた一からやり直すことができるだろうか、と考えずにはいられません。どうして自分はイエスと答えてしまったのだろう、と首をひねることもしばしばです」
それでも彼は、何度も何度も新しい役に取り組んできた。2度目のアカデミー賞主演男優賞を獲得することになった『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)では、撮影期間に共演者のレオナルド・ディカプリオとあえて口をきかず(二人が演じる役柄は物語中で敵対関係にあるので)、『ジャック&ローズのバラード』(2005年)ではすすんで両腕にタトゥーを入れ、『ボクサー』(1997年)では18ヶ月におよぶトレーニングに励んだ。
そして撮影が終わるたび、彼は大きな虚脱感を感じないわけにはいかなかった。「撮影最終日というのはどこか妙に現実感を欠いています。いま体験しているこの出来事がそろそろ終わりつつあるという事実に、自分の心と体と魂がどうしても折り合いをつけられないのです。撮影も終盤にさしかかってくると、底深い虚無感を感じることになります。痛みの感覚は鮮烈で、何年も経ってようやく鎮まるような痛みさえあります」と、彼は英『テレグラフ』紙に語っている。
「撮影が終わったあとで自分が何をすればよいのかということも、はっきりとはわかりません。その後の生活を思い描くことが困難なのです。映画は仕上がり、もう自分とは関わりのない存在になった。その事実をまずは受け入れなければなりません」と、彼は同紙に続けて語っている。
『ボクサー』(1997年)の撮影終了後、デイ=ルイスはイタリア・フィレンツェで5年間を過ごし、靴職人の名匠ステファノ・ベーメルのもとで靴作りを学んだ。そのことについて『ローリング・ストーン』誌にこう語っている。「靴作りは私にとって、いわば毒抜きのようなものです。なぜならその手作業においては、出来上がっていく過程を自分の目で確かめることができ、最後には実物を手にとることができますから。もし失敗していたら、そのこともはっきりとわかります。そしてもういちどやり直すことができる。そこに議論の入り込む余地はありません。良いか、さもなければ悪い。どこまでもシンプルな世界なのです」
デイ=ルイスは現在居住しているアイルランドでの農場生活を気に入っているようだ。近所のパブで誰にも邪魔されることなくビールをすするのが、彼のささやかな楽しみだ。彼は一貫して無名の人にとどまろうとする。「私がやっているのは、自分を人生と仲直りさせることです」と、BBCに語っている。
「仕事それ自体は純粋なよろこびにほかなりません。しかしさまざまな事情から、私にとって撮影がひどく厄介なものになることがあるのです。私の好みは、エネルギーを集中させて短期間ですばやく物事を進めることです。しかし、映画作りのシステムは往々にしてその逆を行きます」と、彼は『テレグラフ』紙に語っている。
ダニエル・デイ=ルイスはアイルランドの市民権を持っているが、出生地はロンドンであり、グリニッジで育った。母方の祖父マイケル・バルコンは著名な映画プロデユーサーで、母は女優(ジル・バルコン)、父のセシル・デイ=ルイスはイギリスの桂冠詩人という芸術一家である。
父は息子を公立学校に入学させたが、ダニエルはいかにも裕福な社会層の出身に見えて、級友たちから疎んじられた。しかしやがて、級友たちのしゃべり方や身のこなしを自然と身につけ、労働者階級の子供のように振る舞えるようになった。
その後彼は上流階級の子供が通う私立学校に転入することになったが、そこでも同じことが起きた。彼は級友を観察し、自分の言動に微調整を加えることで、周囲にすんなり溶けこんだのだ。本人も知らないうちに、すでに巧みな演技者になっていたといえるだろう。
彼は現在、ダブリンから車で一時間ほどのウィックローという海辺の町に住んでいる。町の近くには美しい草原が広がっている。ダニエル・デイ=ルイスはその地では演技をしない。ごく当たり前の市民として地元のスーパーマーケットで買い物をし、近所のバーでビールを飲むという生活を送っているのだ。