デンマーク王室:孫の称号を剥奪したマルグレーテ女王とその生涯
最近、デンマークのマルグレーテ女王に関するニュースを見かけることが多くなった。その発端になったのは、女王が次男ヨアキム王子の4人の子どもたちの称号を剥奪する決断をしたためだ。ニコライ王子(23)、フェリックス王子(20)、ヘンリック王子(13)、そしてアテナ王女(10)は来年から王子や王女ではなくなる。ヨアキム王子一家はこの決定をあまり快く思っていないようだ。
王族人数が多くなったことから称号を「スリム化」する必要があった、と王室側は説明している。マルグレーテ女王はこの決定に関し、ヨアキム王子の家族側から強い反応があったことに理解を示し、正式に謝罪のコメントを行った。
デンマークの女王は3日の声明で次のように述べた:「私は女王として、母として、そして祖母としてこの決断を下しました。しかし、母、祖母として、次男とその家族がどう感じるかを過小評価していました。大きな影響を与えることになり、申し訳なく思っています」
称号を失う子どもたちの父親は、マルグレーテ女王の次男ヨアキム王子だ。王子はデンマークの報道機関に対し、子どもたちが不当な扱いを受けているとして遺憾の意を明らかにした。
遺憾を表明した王子に対し、報道陣は疑問を投げかけた。王室側は5月の時点で、すでに王室の合理化と称号の剥奪に関して発表を行っているからだ。その時点では、王子の子どもたちは25歳になった時点で称号を剥奪される予定となっていた。しかし王子は、マルグレーテ女王が発表を行う数日前まで、この決定について何も知らされていなかったとしている。
『ハロー』誌はこのようなエピソードを伝えている。ヨアキム王子夫妻がインタビューに答えている最中、あるフランス人女性が2人に近づき、「(たとえ称号を剥奪されても)どんなときも、彼らを王子、王女だと思っています」と伝え、夫妻の涙を誘ったそうだ。
一方、マルグレーテ女王は今回の決断を翻すつもりはないとしている。母国を50年にわたり統治してきた女王には「王政を時代に合わせてつねに形を変化させていく」義務があり、「ときに難しい判断に迫られることもあります。しかし、私の子どもたち、孫たちが私の大きな喜びであり誇りであることに疑いの余地はありません」と語っている。
今回の決断を下した女王には長い統治経験がある。マルグレーテ女王は2022年2月に即位50周年を迎えており、その在位期間はクリスチャン4世に次ぐ史上2番目の長さだ。
近年、ヨーロッパを含め全世界を見渡しても、女性君主が国を統治していたのはデンマークのマルグレーテ女王とイギリスの故エリザベス女王だけとなっていた。2022年9月にエリザベス女王が崩御したことから、現時点でマルグレーテ女王は世界で唯一の女王となっている。長きにわたり国民に愛される女王の生涯を振り返ってみよう。
マルグレーテ女王は1947年に即位したフレデリック皇太子(フレデリック9世)とスウェーデン国王グスタフ6世アドルフの長女イングリッド・アヴ・スヴェーリエの長女として、1940年4月16日に誕生した。女王の母方の祖先には、イギリスのヴィクトリア女王とナポレオン・ボナパルトの最初の妻ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネがいる。
マルグレーテ女王の父、国王フレデリック9世はデンマーク王立管弦楽団の指揮者でもあった。国王にはマルグレーテ、ベネディクテ、アンヌ=マリーという3人の娘がいたが、当時の憲法では女性が君主になることは不可能。それを解決するため国王は憲法を改正し、女性も君主になれるようにした。憲法改正には長期にわたる手続きが必要だったが、1953年の国民投票により改正案は承認された。いかにデンマーク王室が国民に支持されていたかが分かるエピソードといえるだろう。
憲法改正に伴い、マルグレーテ女王は13歳で次期君主候補になった。なお、女王は1960年代にロンドンのケンブリッジ大学で先史考学を学び、パリのソルボンヌ大学にも1年間留学した。
1960年、マルグレーテ王女はスウェーデンのマルガレータ王女とノルウェーのアストリッド王女とともにアメリカを訪れている。3人の王女たちはパラマウント映画スタジオで、エルビス・プレスリーやジェリー・リー・ルイスなどのアメリカ人スターと出会い、華やかな時間を過ごした。
1967年6月10日、マルグレーテ王女はフランス人外交官であり伯爵家出身のアンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルド・ド・モンペザと結婚した。
女王夫妻には長男のフレデリック皇太子(1968年生まれ)と次男のヨアキム王子(1969年生まれ)がいる。
フレデリック皇太子はオーストラリア出身の民間女性メアリー・ドナルドソンと結婚して大きなニュースとなった。現在は子どもたちにも恵まれ、世界的に有名な王族となっている。
マルグレーテ女王が即位したのは1972年。父フレデリック9世国王の崩御に伴い、長女だったマルグレーテ王女がデンマーク史上初となる女王に即位したのだ。
マルグレーテ女王は英語とスウェーデン語、フランス語、ドイツ語を操るマルチリンガルだ。また、スコットランドとアイスランドの間に位置し、グリーンランドとともにデンマーク王国領であるフェロー諸島の公用語のフェロー語にも精通している。
女王には統一国家を体現し、海外ではその代表を務める役割がある。加えて数多くの就任式、勲章授与式、公式式典に参加し、各国大使を迎え、政府の任命を行っている。なおマルグレーテ女王は中立の立場を守るために投票権の行使を控えている。
しかし2016年、マルグレーテ女王は移民への規制強化について意見を述べ、移民はデンマークの民主主義的価値観と文化に順応する必要があることを強調した。
マルグレーテ女王の夫アンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルド・ド・モンペザ伯爵は40年以上にわたり王配として女王を支えたが、つねに女王の陰にいるという王室での役割に苦悩していたようだ。王配は2018年に自ら「王配殿下」の称号を返上して公務を退き、その2年後に亡くなっている。
マルグレーテ女王は国民はもちろん王室関係者にも親しまれ、側近たちは女王に「デイジー」という愛称をつけているほどだ。
マルグレーテ女王は優れたイラストレーターでもあり、1970年代インガヒルド・グラスマー(Ingahild Grathmer)というペンネームで『指輪物語』のデンマーク語版の挿絵を担当している。作者のトールキンも、女王が描いた挿絵とシリーズの世界観がフィットしていることに感銘を受けたという。また、1985年のデンマーク解放40周年記念切手のデザインも手掛けた。
コスチュームやセットのデザインも手掛けるマルグレーテ女王は舞台美術家でもあり、デンマーク王立バレエ団の衣装もデザインしている。
カラフルでエレガントな装いがしばし注目されるマルグレーテ女王だが、そのデザインもすべて女王が考案しているそうだ。
長きに渡り、デンマーク国民の間できわめて高い人気をマルグレーテ女王。その理由は彼女のユニークな個性、創造性、さらに他の国々と異なりデンマーク王室はスキャンダルとは無縁ということも関係しているだろう。
マルグレーテ女王の長男であるフレデリック王子には2005年に長男クリスチャンが誕生。現在、王位継承者第一位はフレデリック王子、第二位は孫のクリスチャンとなっている。
デンマーク国王の名前はクリスチャンまたはフレデリックと交互にする伝統がある。マルグレーテ女王はこれに従い、皇太子に自身の父親のファーストネームを与えた。もちろん、フレデリック皇太子の長男も伝統に合わせクリスチャンと名付けられている。なお、フレデリック皇太子一家の写真右側が王位継承順位2位のクリスチャン王子である。
2022年、マルグレーテ女王は自身がデザインした衣装を身にまとい、在位50年を祝うゴールデン・ジュビリーの式典に参加。女王は80歳を超えているが、つねに年齢を超えた若々しさに溢れている。
最近は公務を息子に任せることが多くなっているが、マルグレーテ2世に退位の予定はなく、生涯にわたり女王としての職務を果たす意向だ。女王の跡を継ぐのはフレデリック10世王子。しかし、その日が来るまではこの類まれなる女王の活躍を見守っていきたい。