デンマークのマルグレーテ2世:国民に愛されつづける82歳の女王
2022年1月14日はデンマークの女王マルグレーテ2世の在位50周年記念日だった。高齢となった今も精力的に公務をこなし、歴代で2番目に長い在位期間を迎えた。故エリザベス2世とも親しく、デンマーク国民には大人気のマルグレーテ女王の人物像に迫ってみよう。
マルグレーテは1940年4月16日生まれ、フレデリック皇太子とスウェーデン王グスタフス・アドルフの娘であるイングリット王女の間に誕生した。7年後、父がデンマーク国王に即位したことに伴い、マルグレーテは王女となる。母方にはイギリスのヴィクトリア女王がいるほか、ナポレオン・ボナパルトの最初の妻であるジョゼフィーヌ・ド・ボアルネも名を連ねる、生粋のロイヤルファミリーだ。
一流のピアニストで国立オーケストラの指揮者でもあったフレデリック国王と王妃との間には、娘(マルグレーテ、ベネディクテ、アンネマリー)しかいなかった。女性が王位を継承するには法改正が必要であり、長期にわたる手続きを経て1953年の国民投票で法改正が採択された。この出来事にはデンマーク王家の高い人気が表れている。
父親の即位に伴い7歳で王女となったマルグレーテ。やがて1960年代前半にはイギリスで考古学を学び、その後パリのソルボンヌ大学で1年間学んだ。
1960年にはスウェーデン、ノルウェー両国の王女とともに米国を訪問。このとき、パラマウント・スタジオで3人の王女はエルビス・プレスリーやジェリー・ルイスといった当時の米国スターたちと華やかな集まりを行った。
王女は1967年6月10日、フランス貴族の出身で外交官のアンリ・ド・ラボルドゥ・ド・モンペザと結婚。アンリは40年以上にわたりデンマークの王子を務めたものの、つねに王妃の影となる役割には苦しんでいた。2018年に亡くなる2年前にはすべての公務から退き、王子の称号を返上した。
デンマーク国王夫妻には2人の息子がいる。1968年に生まれたフレデリック皇太子と1969年に生まれたヨアキム王子だ。
マルグレーテは1972年1月、父王フレデリック9世の崩御に伴いデンマーク王位に就いた。こうして同国初の女王が誕生した。
マルグレーテ2世は国王としての職務のため、英語、スウェーデン語、フランス語、ドイツ語など、数多くの外国語を身に着けている。また、スコットランドとアイスランドの間に位置し、グリーンランドと共にデンマーク王国共同体を成すフェロー諸島の言語、フェロー語までこなす。
女王には統一国家を体現し、海外ではその代表を務める役割がある。加えて数多くの就任式、勲章授与式、公式式典に参加し、各国大使を迎え、政府の任命を行っている。なおマルグレーテ女王は中立の立場を守るために投票権の行使を控えている。
しかし、2016年には移民問題に対して姿勢を明らかにし、デンマークに来る者は同国の民主主義的価値観と文化に適合する必要があることを強調した。
マルグレーテ女王は側近から愛情を込めて「デイジー」と呼ばれている。これは英語で「デイジー」の花、日本で「ヒナギク」を意味する。
マルグレーテ女王は優れたイラストレーターでもあり、1970年代にはインガヒルド・グラスマーのペンネームでデンマーク語版「指輪物語」の挿絵を担当。著者のトールキンも、マルグレーテのイラストと自分の作り出した世界観がぴったり合うことに感銘を受けたという。また、1985年のデンマーク解放40周年記念切手のデザインも手掛けた。
マルグレーテ女王はファッションデザインもお手のもので、デンマーク王立バレエ団の衣装をデザインしたこともあるほどだ。女王自身が手掛けた豪華なドレスもたびたび話題になっている。
マルグレーテ女王は長きに渡り、デンマーク国民の間できわめて高い人気を誇っている。その理由は彼女のユニークな個性、創造性、そして他の国々と異なりデンマーク王室はスキャンダルとは無縁だということもあるだろう。
マルグレーテ女王は1997年に即位から25周年を迎えた。2012年には40年、2022年はついに在位50周年となる。予定されていた祝賀会は新型コロナウイルスの感染拡大により9月に繰り延べ、各国の気品を迎えて開催された。
マルグレーテ女王の長男であるフレデリック王子には2005年に長男クリスチャンが誕生。現在、王位継承者第一位はフレデリック王子、第二位は孫のクリスチャンとなっている。デンマーク国王の名前は伝統的にクリスチャンとフレデリックと交互に呼ばれていることから、女王は伝統に従い、息子に自分の父親の名前をつけている。
最近は公務を息子に任せることが多くなっているが、マルグレーテ2世に退位の予定はなく、生涯にわたり女王としての職務を果たす意向だ。女王の跡を継ぐのはフレデリック10世王子。しかし、その日が来るまではこの類まれなる女王の活躍を見守っていきたい。