デミ・ムーア60歳:波乱万丈の人生を写真で
還暦を迎えた今もファッションやセレブのイベントに登場し、人々を魅了するデミ・ムーア。もちろん、80年代の米人気ドラマ『ジェネラル・ホスピタル』や90年代の『ゴースト』の頃と比べれば、大きな変遷を遂げている。
スポットライトを浴び、長いキャリアを歩んできたデミ・ムーア。初期作品『恋人ゲーム』(1984年、写真)から2020年の『ソングバード』まで、魅力的なルックスと独特なハスキーボイスで多くのファンを魅了している。
しかし、その成功の裏にはいくつもの試練があった。デミ・ムーアが経験してきた大きな変化と、人生の試練の数々をみてみよう。
上の画像のメガネをかけた少女がデミ・ムーアだ。『ゴースト』や『幸福の条件』等の名作で主演を務めたデミは、時間の経過とともにかなりの変化を遂げた。
Image: Demi Moore / Instagram
デミ・ムーアの本名はデメトリア・ジーン・ガインズ。1962年、ニューメキシコ州に生まれた彼女は苦難に満ちた子供時代を過ごした。自著『インサイド・アウト』によれば母親は酒癖が悪く、デミが15歳のときには500ドルと引き換えに男とベッドに入るよう強要されたほどだった。
やがて実の父は家族を捨て、母親は再婚したものの、再婚相手はデミが幼い頃に自ら命を絶った。こうした事情が、デミ・ムーアの脆い一面をつくった。
デミ・ムーアは問題の多い家庭環境から何とか抜け出し、16歳で演技の世界へと足を踏み入れた。
また、雑誌『Oui』や『ペントハウス』でモデルも務め、ヴィヴィアン・ポレンティエという芸名を名乗ったこともある。
80年代初頭は映画作品『Choices』、『Parasite』、『No Small Affair』等に出演。その後TVシリーズ『ジェネラル・ホスピタル』(ABC)で初の大役を射止める。若いレポーターのジャッキー・テンプルトン役を務め、数十余りのエピソードに登場した。
通称デミ・ガインズは1980年にミュージシャンのフレディ・ムーアと結婚、デミ・ムーアに改名。1985年に離婚。
その間にもデミ・ムーアは演技の世界で名を挙げていき、肩パッド、デニムスーツ、ビッグヘアといった80年代スタイルを牽引した。
デミ・ムーアの名を世界中に轟かせたのは、1990年に記録的成功を収めた映画『ゴースト』。ショートカットのデミ・ムーアはパトリック・スウェイジ、ウーピー・ゴールドバーグと共演、せつないラブストーリーで世界中の人々を魅了した。本作でゴールデングローブ賞にノミネートされている。
ショートヘアのデミ・ムーアは『ゴースト』で圧倒的な存在感を放ち、大きな飛躍を遂げた。そして、80年代から90年代を代表する女優へと成長していった。
翌年1991年に公開された映画『夢の降る街』では、ショートからロング、黒髪からブロンドへとふたたび大きなイメージチェンジをした。
1993年に公開された『幸福の条件』では黒髪をボブにして人々を魅了。映画自体も興行収入トップとなった。
プライベートでは1987年11月に俳優のブルース・ウィリスと結婚。
二人は3人の娘、ラマー、スカウト・ラルー、タルーラ・ベルを授かった。
90年代を代表するセレブカップルのひとつとなった二人だが、2000年にその関係に終止符が打たれた。
90年代後半、映画界におけるデミ・ムーアの人気には陰りが見え始めていた。とはいえ、いくつか注目を浴びた作品もあった。
Image: Tom Cruise and Demi Moore in 'A Few Good Men' (1992)
1997年の『G.I.ジェーン』ではスキンヘッドに挑戦、主役のオニール大尉役で人々に強烈な印象を残した。本作は当時のデミ・ムーアにとり、記念すべきヒット作となった。
自著『インサイド・アウト』で明かしたところによれば、当時のデミ・ムーアはあまり幸せではなかったようだ。アルコール依存を始めとする問題を抱えた彼女の人生は、きわめて苦難に満ちたものだった。
しかし2003年に俳優のアシュトン・カッチャーと交際を開始、今度こそ幸せを手に入れたデミは2005年に結婚。しかし、2011年にその関係は終わりを迎える。
デミ・ムーアの自叙伝『インサイド・アウト』によれば、アシュトンの浮気が別れの原因になったという。
デミ・ムーアは人生の中でも最悪の危機に陥った。「2011年にアシュトンと別れたとき、自分がバラバラになってしまったように感じた」、「キャリアも恋愛もうまくいかず、すべてに霧がかかったように感じた」と自著で打ち明けている。
さらに、アシュトン・カッチャーとの子供を妊娠したものの、妊娠6か月で流産を経験していたことを告白。妊娠中に禁酒を破ってしまった自分を責めたという。
デミ・ムーアはアルコール依存症の克服を誓ったものの、2012年にふたたび依存症に陥る。「まるで自分の外に抜け出してしまったようだった」 、「それで自分が抱えていた痛みや羞恥心を今こそ捨て去るべきだと思ったの」と依存症との戦いについて語っている。
やがて問題を克服し、生まれ変わったデミ・ムーアはふたたびハリウッドのスポットライトを独占。
長い黒髪、整った顔立ち(おそらくは何らかの手段を講じて?)、見事なファッションのデミ・ムーアは、1990年代前半の最盛期を思い起こさせるほどだ。
新生デミ・ムーアは、マイリー・サイラスと共演した『LOL』、『マージン・コール』やドラマシリーズ『エンパイア』などで見事に女優としての復活を果たした。
2019年には自叙伝『インサイド・アウト』を出版、さまざまなメディアの見出しを大きく飾った。
最近のデミ・ムーアを大きく印象付けたのは、2021年のパリ・ファッション・ウィーク出演だ。世界のメディアは彼女の自信にあふれた美貌を称賛する一方、美容整形の可能性を指摘している。
波乱万丈のプライベートだけでなく、デミ・ムーアはそのスタイルでも話題をさらっている。ヘアはさまざまなカラーを使い分けたりグレイヘアを自然に残したアレンジを披露したりしている。
現在も精力的に活躍を続けるデミ・ムーアは2022年には『プリーズ・ベイビー・プリーズに出演し、マーガレット・クオリーと共演したホラー作品「ザ・サブスタンス(原題)」も公開予定だ。彼女のさらなる挑戦に期待しよう。