ダイヤモンドの黒歴史:毒として使われた時代から呪いの連鎖まで
「希少性、審美性、硬度、携行性」のすべててを満たすダイヤモンドは、もっとも高価で美しく、資産価値のある宝石の1つだ。いにしえの時代から王侯貴族の権力の象徴として知られ、女性にとってその輝きは永遠の憧れそのものである。
最近では、米ラッパーのリル・ウージー・バートがピンクダイヤモンドを額に埋め込んだり、アリアナ・グランデが歯にダイヤモンドを接着したりと、独特な方法でその美しさを愛でる者も出てきた。しかし、その審美性とは裏腹に、ダイヤモンドにはいくつもの不吉な伝承も存在する。今回はダイヤモンドの黒歴史をクローズアップしていこう。
ダイヤモンドがいつ頃から、知られていたかは定かではない。ダイヤモンドの語源となったギリシャ語のアダマス(Adamas)という言葉は『旧約聖書』にも登場するが、こんにちの学説ではダイヤモンドではなく、コランダムなどを指すと考えられている。
画像:k2karwan(Pixabay)
古代ローマの博物学者兼軍人のプリニウスは、著書『博物誌』のなかで、ダイヤモンドについてかなり詳しく説明している。なお、『博物誌』とは宝石や顔料、絵画から天文まで、ありとあらゆる分野を扱ったまさに百科事典の起源といえる書物であり、ダイヤモンドを含むさまざまな鉱物の性質や医薬的(魔術的)効能を紹介している。
『博物誌』の中で、ダイヤモンドは国の支配者にしか知られていない宝石であり、毒を中和し、心の動揺を消し去ると記載されている。しかし、プリニウス本人は実際に本物のダイヤモンドを見たことはなく、他の宝石と混同していたのではと考える美術史家もいる。
研磨技術が発達するまで、ダイヤモンドの価値はルビー、エメラルド、サファイアに遠く及ばなかった。ダイヤモンドの価値が飛躍的に上がったのは14世紀で、ブルージュのルドウィック・ヴァン・ベルケムがダイヤモンドの研磨技術を発明したのがきっかけだ。「ダイヤの原石」という言葉が示すように、鉱物のダイヤモンドも磨かなければ光らないのだ。
ダイヤモンドは身に着ける者に権力を与え、敵の剣を押さえるなどの肯定的な伝承が古くから伝わってきた。なお、愛のシンボルとしてダイヤモンドの婚約指輪を贈ったのは、オーストリアのマクシミリアン大公が初めてだった(1477年頃)。一方で愛や権力とは反対の、ネガティブな伝承も少なくない。その代表例といえるのが、ダイヤモンドの毒性である。カトリーヌ・ド・メディシスは、ダイヤモンドの毒を利用し、敵対する人物を毒殺したという言い伝えも残っている。(ただし、ヒ素毒を利用していた可能性もあるという)
ダイヤモンドを身に着けると毒を中和するといわれてきたが、それを内服すると自らに牙を向けるようだ。中世からルネサンスの時代には、大真面目にダイヤモンドの毒性が語り継がれ、しばし自らの命を狙う宿敵を殺めるために利用された。その用法としては粉々に砕いたダイヤモンドを食べ物に混入し毒殺するというものだ。
ある者はダイヤモンドの粉末を調味料としてサラダに振りかけたり、砂糖と混ぜて毒を盛る者もいたそうだ。違和感を持ちながら咀嚼、光る粉末をトマトやレタスに発見し、「死を覚悟した」者も決して少なくなかったはずだ。実際、神聖ローマ帝国皇帝のフリードリヒ2世やオスマン帝国のバヤズィト2世はダイヤモンド粉で毒殺されたといわれている。また、医師兼錬金術師であったパラケルススもダイヤモンドの毒で命を狙われたことがあったそうだ。
また、興味深い物語も伝わっている。ある人物が毒殺用にダイヤモンド粉末を研磨師に依頼するが、職人は手渡されたダイヤモンド原石を削るのが惜しくなり、代わりに手持ちのロック・クリスタル(水晶)の粉末を渡したそうだ。研磨師の悪知恵により、依頼人の標的になった人物は幸運にも毒殺を免れることができた。
ダイヤモンドには毒があるという話は、18世紀ころまで伝えられていた。実は毒性ではなく、体内に取り込まれた粉末が内臓を傷つけたというのが正しいようだ。ともあれ、ダイヤモンドの鉱山主は鉱夫たちが原石を飲み込んで持ち去らないよう、わざとその毒性に関する噂を広め、盗難防止に役立てていたという。
画像:MemoryCatcher(Pixabay)
なお、ダイヤモンドを飲み込むという行為は昔に限ったことではない。現代においても、盗難目的でダイヤモンドリングやルース(研磨加工された宝石で、宝飾品の枠や土台に留められる前段階の裸石)を飲み込み、後に腹痛を訴えて病院に担ぎ込まれる例がタイやスリランカ、南アフリカなどで報告されている。(幸い、死に至ることはなかったようだ)
ダイヤモンドの危険性に関する臨床データは十分に揃っていないが、それが消化管に入ると、蠕動運動によって消化管の内側に押し込まれ内臓を傷つけたり、呼吸器系の問題を抱えるなど、命の危険に至ることもあるという。歯科治療で利用する歯科用ダイヤモンドバーによって患者の体内に粉末が飛散する場合や、研磨師が吸入してしまう以外に、ダイヤモンド粉末を吸い込む機会はほぼないが、もし身体に入ってしまった場合は、外科的に除去するしか方法はないだろう。
画像:luzybarua(Pixabay)
インドのカールサー・カレッジによると、ダイヤモンド粉末はガラス粉末、針などを飲み込むのと同じく、組織を傷つけ出血させる可能性があるそうだ。また、2005年には犬、猫にダイヤモンド粉末を混ぜた餌を与える実験が行われたが、その結果毒性は確認されなかったという。どちらにしても、ダイヤモンドが体内に混入した際の安全性については今後より詳しい研究が行われるべきである。
画像:ever_ctba(Pixabay)
なお、中世からルネサンスにかけての時代にはダイヤモンドの医学的効果が注目を浴びることもあった。教皇クレメンス7世は胃の病気を治すため、ダイヤモンドを含む宝石の粉末を処方されている。その当時は宝石学が未熟で神秘的な魔術、錬金術、天文学と強く結びついていたため、さまざまな説が浮かんでは消えていったのだろう。
ダイヤモンドに関する不吉な伝説は、インドでも多く報告されている。その理由は1728年にブラジルで鉱山が発見されるまで、ダイヤモンドはインドでしか産出しなかったためだ。(インド原産のダイヤモンドは伝統的にゴルコンダと呼ばれている)たとえば、不揃いな形状、インクルージョンを多く含むダイヤモンドは不幸を呼び、争いや病気の元になるとされ忌み嫌われてきた。またヒンズー教徒の間では、ダイヤモンドに雌雄の区別をつけていたそうだ。その形により男性、女性もしくは中性に分類され、薬効に優れているのは男性の石だが、中性の石を身に着けてしまうと失望と破壊をもたらすと恐れられていた。
画像:Simon(Pixabey )
かつてインドにはダイヤモンドを舐めるという習慣が存在していた。インドの支配者層はこの慣わしを利用し、ダイヤモンドにシアン化合物などの毒薬を何らかの形でコーティングし、敵に捕らわれた際はそれを舐めて自害することもあったという。1978年のボリウッド映画『Muqaddar Ka Sikandar』では、ダイヤモンドを舐めるシーンが有名だ。映画の影響もあり、インドでは子どもたちの間で、ダイヤモンドを舐めたら死んでしまうという都市伝説が広まったこともある。
また、5,000年前にインドで発見されたといわれるダイヤモンド「コイヌール」は、悲劇の宝石として有名だ。コイヌールは「世界中の人々の1日の支出の半分を賄える」価値があると言われ、ダイヤモンドを巡る悲劇は14世紀に始まっていたという。コイヌールはペルシアやムガール、アフガニスタンなどの君主によって略奪され、悲惨な拷問と死、それに伴う憎しみの種を撒き続けたのだ。
イギリスに渡ったコイヌールは東インド会社を通じ、1850年頃にヴィクトリア女王へ献上された。その当時、約1,861カラットの重量があり、ヴィクトリア女王はオランダの研磨師を宮廷に呼び、再研磨を依頼している。しかし、幸運なことにこのいわくつきのダイヤモンドの呪いは男性君主にのみ発動し、女性には幸運をもたらすとされ、ヴィクトリア女王とイギリス王室に悲惨な呪いが降りかかることはなかった。なお、コイヌールはイギリス王室の王冠やブローチへ加工されているが、故エリザベス女王はほとんどコイヌールを身に着けることはなかったという。
17世紀に発見された「ホープダイヤモンド」も、世界的に有名な黒歴史を持つダイヤモンドである。ホープダイヤモンドは、ホウ素を含有することで青色が発現する、いわゆる「タイプ2b」のダイヤモンドだ。インドの寺院に納められた像の額に飾られていたもので、フランス人宝石商のジャン=バティスト・タヴェルニエが盗み、ルイ14世に献上したことにはじまる。問題はタヴェルニエ自身が「寺院で盗みをはかった者に、恐ろしい呪いがふりかかる」という言い伝えを知らなかった点だ。
ホープダイヤモンドを手にしたルイ14世は天然痘で死亡し、それを受け継いだルイ16世とマリー・アントワネットも断頭台の露と消え、王族一家は悲惨な死を遂げている。(マリー・アントワネットがホープダイヤモンドを身に着けたか否かは伝わっていない)偶然もしくは運命、そんな言葉で片づければ一言で済んでしまうが、栄華を極めたフランス王家の悲劇こそが、「ホープダイヤモンドは呪われている」と恐れられる発端になったのかもしれない。
なお、ホープダイヤモンドのホープとは希望を意味する「Hope」ではなく、ジョージ4世の死後にそれを所有したホープ家に由来する。一族はこのダイヤモンドを手にしてから大きな債務を抱え、没落することになる。次の持ち主はオスマン帝国のスルタンだが、1922年頃カリフ制が廃止されオスマン帝国は断絶する。
ホープダイヤモンドはその後も行く先々で災難を引き起こしながら、所有者を点々と変えていく。アメリカに渡る以前は、フランスの宝飾商ピエール・カルティエが購入し、ダイヤモンドが辿った軌跡と呪いを誇張して、アメリカの富豪エヴァリン・ウォルシュ・マクリーン夫人へ売却する。ホープダイヤモンドを手にした夫人は不運にも自動車事故で9歳の子どもを亡くし、夫は精神病院でこの世を去ってしまう。できすぎた話かもしれないが、ホープダイヤモンドの所有者と不幸な出来事の因果関係を明らかにすることは不可能なため、降りかかった災難を呪いのせいにしてしまうのは無理のないことかもしれない。
呪いのホープダイヤモンドは結局どうなったのか?行方不明になったと信じられてきたが、実際はアメリカの宝石商ハリー・ウィンストンが購入したダイヤモンドに紛れ込んでいたという。ダイヤモンドジュエリーの歴史を牽引してきたハリー・ウィンストンだが、彼に呪いが発動しなかったのは、2.44ドルの小包でスミソニアン博物館に寄贈したからかもしれない。(なお、スミソニアン博物館に配送される際にかけられた保険は1千万ドルだったそうだ)
ダイヤモンドの価値というものは必ずしも4C(カラット、クラリティー、カット、カラー)で決まるものではない。贈った者、贈られた者の気持ち、そして永続的に語られてきた迷信や伝説、それら全てがダイヤモンドの価値、魅力につながるのだ。異なる国、各地域の文化に根付いたダイヤモンドの不吉な伝承、あるダイヤモンドに翻弄されて死を迎えた王族と著名人、21世紀を迎えた今でもダイヤモンドの神秘性は明確に解明されていない。ダイヤモンドはいつまでも永遠であり、そしてさまざまな文化的価値観とロマンは今後も多くの人々を惹きつけていくのだろう。