若き日のジョン・トラボルタ、英ダイアナ妃とのダンスで再ブレイク

ダイアナ妃と踊ったジョン・トラボルタ
1997年8月31日:悲劇の事故
ホワイトハウスにて……
頂点とスランプ
つらい時期
ホワイトハウスでのレセプション
王子に変身したカエル
ダイアナ妃のサプライズ
「お相手してあげてくださらない?」
「無作法には当たらない?」
大統領からトラボルタに
ついに出番
2人きりのスポットライト
その夜の主役に
「時間はたっぷりありました」
「白馬の王子様になった気分」
「こんな光景は目にしたことがない」
もとの世界に
「知っているよ。みんな知っているさ」
映画界でひっぱりだこに
『ベイビー・トーク』
ダイアナ妃と踊ったジョン・トラボルタ

故ダイアナ妃にまつわる数々のエピソードの中でもとりわけ印象深いのが、ホワイトハウスでジョン・トラボルタとダンスした際の逸話だろう(写真)。では、2人の間には一体何があったのだろうか?

 

1997年8月31日:悲劇の事故

1997年8月31日、「人々のための王妃」をモットーとするダイアナ妃はパリで交通事故に見舞われ、非業の死を遂げる。当時、この事件は世界中にショックを与える一大ニュースとなった。ところで、ダイアナ妃にとりわけ好意を抱いたハリウッド俳優がいるのをご存じだろうか?それは、ジョン・トラボルタだ。

ホワイトハウスにて……

ジョン・トラボルタが俳優として復活を果たす上で故ダイアナ妃の存在が大きかったとことは、本人も認めるところだ。しかし、今となっては2人のエピソードを知らない方も多いことだろう。

 

 

頂点とスランプ

映画『グリース』や『サタデー・ナイト・フィーバー』のヒットで、70年代後半にハリウッドの頂点に登りつめたジョン・トラボルタ。しかし、その後のプロジェクトでは思うような成果を挙げることができず、『セカンド・チャンス』(1983年)や『パーフェクト』(1985年)で大コケ。さしものジョンもスランプに陥ってしまった。

 

つらい時期

1985年、キャリアのどん底にあったジョン・トラボルタはうつ病を患い、精神的に危険な状態だったという。

ホワイトハウスでのレセプション

1985年11月9日、ロナルド・レーガン大統領(当時)とナンシー夫人は、チャールズ皇太子(現英国王)とダイアナ妃をホワイトハウスに招いてレセプションを開催。何を思ったのか、ダイアナ妃はこのパーティにジョン・トラボルタを招待したのだった。

 

王子に変身したカエル

ジョンが『デイリー・テレグラフ』紙に語ったところによれば、「私のための計画があるとは思いもしませんでした。キャリアのどん底にあったのに招待してもらえるなんてただただ光栄で、王子に変身したカエルのような気持ちでしたよ」とのこと。

ダイアナ妃のサプライズ

なんと、その夜の中心はジョン・トラボルタだったのだ。そして、そうなるように舞台裏で手を尽くしたのは故ダイアナ妃だった。

 

「お相手してあげてくださらない?」

「午後9時30分、私のもとにやってきたナンシー・レーガンに、ダイアナ妃から特別なリクエストがあると告げられました。『ダイアナ妃はあなたとダンスすることを夢見ていらっしゃるそうですよ。お相手してあげてくださらない?』と言うんです」と当時を回想するジョン・トラボルタ。むろん、ダイアナ妃が自分の大ファンだったとは思いもよらなかったに違いない。

 

「無作法には当たらない?」

『ピープル』誌のインタビューでトラボルタはこう語っている:「(ダイアナ妃とのダンスは)無作法に当たらないかと尋ねました。すると、レーガン夫人は微笑みながら『でも、彼女たってのお願いですからね。あなたの出演作の音楽が流れたら、ダンスに誘ってはいかがでしょう?』」

 

大統領からトラボルタに

オーケストラが「Shall we dance」を演奏し始めると、ダイアナ妃はレーガン大統領と踊り始め、チャールズ皇太子のお相手は大統領夫人が務めた。一方、ジョン・トラボルタは緊張の面持ちで合図を待っていた。

ついに出番

続いてオーケストラが演奏し始めたのは『サタデー・ナイト・フィーバー』と『グリース』のサウンドトラックからスローテンポな曲を選んだメドレーだった。合図だ。もちろん、ジョン・トラボルタは大統領とダイアナ妃のダンスを邪魔するのは失礼だと思ったが、実はレーガン大統領もその夜の計画に加わっていたのだ。

 

2人きりのスポットライト

ジョン・トラボルタは震えながらおずおずとダイアナに近づくと、「プリンセス、一緒に踊りませんか?」と尋ねる。一方、ダイアナ妃も顔を赤らめながら「ぜひ」と答えた。そのとき、会場にはダンスに興じる参加者がたくさんいたため、ジョンは少々失敗したところで誰も気にしないだろうと考えたようだ。ところが、映画の曲が始まるや否や踊っていた人々は引き下がり、ダンスフロアにいるのは2人だけに。

その夜の主役に

「なんてこった! 広間の真ん中で踊っているのは私たちだけ、注目の的じゃないか」と驚くジョン・トラボルタ。これは危うい状況だ。しかしさすがは俳優、2度とないチャンスをしっかりとつかみ、ダンスホールの主役として堂々と振舞ったのだ。

 

 

「時間はたっぷりありました」

ジョンいわく:「彼女はそれまでチャールズ皇太子とぴったりくっついて踊っていましたが、今度は私と同じように踊り始めました。そこで、私はそっと彼女の手をとり、反対の手を背中に添えました」この仕草を受けてダイアナ妃はジョンにリードを任せ、2人のダンスは佳境を迎える。「時間はたっぷりありました」

 

「白馬の王子様になった気分」

「ダンスをしながらダイアナ妃は『グリース』を思い出し、青春時代に戻ったみたいでした。一方、私は白馬の王子様になった気分です。あの夜は彼女のおかげで、魔法にでもかかったみたいに幻想的でした。しかも、ダイアナ妃は地位をひけらかすどころか、私をサポートしてくれたんです」

「こんな光景は目にしたことがない」

しかし、最高潮に達したのはその後だ。ダンスが終わると、部屋にいた人々は熱狂的な拍手と歓声を2人に贈ったのだ。当時のリンダ・フォークナー儀典長は、それまでホワイトハウスでこんな光景は目にしたことがないとコメントしている。

もとの世界に

レセプションが終わるとゲストは別れを告げ、ダイアナ妃は白馬の王子様との出会いという幻想の余韻に浸りつつロンドンへ戻ることとなった。一方、ジョン・トラボルタもおとぎ話のような出会いによって活力を取り戻し、家路についた。そして、ワシントンD.C.の空港で予想外の反響に出くわすことになるのだが……

 

「知っているよ。みんな知っているさ」

夢覚めやらぬジョンは空港のスタッフに「驚くなよ? 私はさっきまでダイアナ妃とダンスしていたんだ」と口走る。ところが、スタッフは「知っているよ。みんな知っているさ」と返答。当時まだSNSなどなかったというのに、2人のダンスの噂はあっという間に広がっていたのだ。

映画界でひっぱりだこに

実際、誰もがその夜の出来事を知っており、翌日ジョン・トラボルタの電話が鳴りやむことはなかったという。監督やプロデューサー、映画会社がこぞって出演を求めたのだ。おかげでジョンはスクリーンに復活。ダイアナ妃による魔法のダンスパーティはホワイトハウスで語り草となっている。

 

『ベイビー・トーク』

ちなみに、ジョン・トラボルタの復帰作となったのは『ベイビー・トーク』(1989年)で、出演を決心するのに2年もかかったという。大傑作とは言えないものの世界中の映画館が満席になる人気を博し、ジョンは再びハリウッドの高みに戻ることができた。

 

 

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