セレブだってたまには休みたい:長期休暇をとった有名人たち
トップの座に君臨するのは容易ではない。実際、ひときわ輝きを放つ人気スターたちだって、ときに一休みしてエネルギーを再充電し、人生やキャリアについて考えなおさなくてはならないのだ。
子役の頃からメディアに注目されている女優、エマ・ワトソン。『ハリー・ポッター』シリーズではハーマイオニーを好演した彼女でも、スクリーンやレッドカーペット、インタビューに登場するたびに完璧を目指すのは容易ではなかった。
その結果、2016年に『ピープル』誌上で「フェミニズムを追究し、休養するため」に時間をとると宣言した。
休暇から戻って来たエマを待っていたのは『美女と野獣』と『ストーリー・オブ・マイライフ/私の若草物語』という2つの名作だった。ブランクを感じさせない華々しいカムバックとなった。
ずば抜けた大物歌手にも充電期間は必要だ。レディー・ガガの場合、活動休止の主な理由は線維筋痛症だった。
2018年、激しい痛みがコンサートツアー中のレディ・ガガを襲い、活動中止に追い込まれたのだ。
Netflixのドキュメンタリー『レディー・ガガ:Five Foot Two』に出演し、ファンに理解を求めたガガ。いわく「慢性痛は笑いごとじゃない。毎朝、痛みの心配をしながら目を覚ますんだから」しかし、映画芸術科学アカデミーはあまり事情を汲んでくれてはいないようだ。
悪循環に陥るのを避けるため、しっかり休暇をとらざるを得なくなった有名人たちも少なくない。今回は良く知られているケースとして、活動を休止し長期休暇をとったセレブたちについて見てゆこう。
7歳のとき『バーニー&フレンズ』でデビューして以来、全世界が見守るなかディズニースターとして、その後はミュージシャンとして成長してきたセレーナ・ゴメス。世代を代表する人気者だけに、プレッシャーも途方もないはずだ。
しかも、セレーナはジャスティン・ビーバーと破局しては復縁を繰り返したのだ。二人とも何百万人ものファンを抱えており、セレーナが限界に達したのは無理もない。
さらに、恋愛面でのゴタゴタに加え、SNSも負担の原因だ。セレーナはSNSで数々の記録を打ち立ててきたが、そうでなくても忙しいスケジュールを圧迫してしまっているのは間違いない。
2005年『US Weekly』誌に狼瘡(ろうそう)を患っていることを打ち明けたセレーナ。そこで、精神的健康のためにも休暇をとることにした:「不安やパニックの発作、抑うつは狼瘡の副作用かもしれないことがわかりました。放っておくと大変なことになりかねないんです」休暇から戻ってきた彼女は音楽活動を一時中断し、女優業に専念することにした。
アカデミー賞を20年間追い続けるも、なかなか手が届かなかったレオナルド・ディカプリオ。『レヴェナント:蘇りし者』が評価され、ようやく夢がかなったのは2016年だ。
アカデミー賞を手にしたレオナルド・ディカプリオだが、体力的に限界が来ていたようだ。長年の目標を達成してホッとしたというのもあるだろう。その上、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が指揮する撮影は生ぬるいものではなかったようだ。CBS放送にディカプリオが打ち明けたところによれば「これまでで一番大変な映画」だったという。
2016年2月末に行われたアカデミー賞授賞式の後、じっくり休みをとったディカプリオ。2018年に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に出演するまで、撮影から遠ざかっていた。しかし、この映画で再びアカデミー賞にノミネートされた。
ブリトニー・スピアーズのサクセスストーリーを知らぬ者はいない。16歳の若さでポップ歌手としてデビューするや、あっという間に世界を席巻したのだ。1998年4月に「ベイビー・ワン・モア・タイム」をリリースすると、そこからはアルバム、コンサート、映画、プロモーションを立て続けに成功させていった。
しかし、2007年についに限界がやって来た。その日、いきなりスキンヘッドにした彼女はパパラッチの車を傘で突きまわしたのだ。これによってキャリアは中断、専門のセンターに入院してリハビリを受けることになった。この事件によって、ブリトニーは13年間にわたって後見人の父から束縛を受けていたことが発覚、スキャンダルになった。
2008年、大人気を博したアルバム『サーカス』で復活を果たしたブリトニー。しかし、すべて元通りとはいかなかった。あまりにも色々な出来事がありすぎたのだ。
身体的にも精神的にも全力で演技に取り組むダニエル・デイ=ルイス。そのため、2002年から2017年の15年間でたった7本しか映画出演していない(しかし、その間にアカデミー賞に4度ノミネートされ、2度受賞している)。
撮影が終わるたびに映画と距離をとり、しばらく休んでから次の撮影に臨むのが自分のやり方だと何度もコメントしていたデイ=ルイス。ところが……
2017年の『ファントム・スレッド』撮影後、デイ=ルイスの代理人レスリー・ダートが『Variety』誌に引退を発表したのだ:「ダニエル・デイ=ルイスは俳優業を引退します」以来、アカデミー賞受賞歴3度の60歳ベテランは本当にスクリーンから姿を消した。
デミ・ロヴァートがツイッターで活動を一次停止すると宣言したのは2016年のことだ。「音楽活動とマスコミからすこし距離を置こうと思います。わたしはこの仕事に向いていないみたいです」
ほぼ1年後の2017年7月に活動を再開させたデミ・ロヴァート。しかし、時期尚早だったようだ。というのも、2018年には薬物の過剰摂取で生命の危機に陥ることになってしまったのだ。
その結果、2021年に再びリハビリを受けなくてはならなくなってしまった。小さい頃から大スターというのは想像以上に大変なことなのだ。
Netflixドラマ『ナルコス』で2シーズンにわたって、史上最大の麻薬王パブロ・エスコバルに扮したヴァグネル・モウラ。
ブラジル出身のモウラだが、スペイン語コロンビア訛りを習得するためメデジン(コロンビア)に移住。さらに、役に入り込むため、体重を18キロ増やした。そして、2シーズンの間、他の作品には出演しないという契約に署名していたのだ。
本人が『ハリウッド・リポーター』誌に打ち明けたところによると「パブロ・エスコバルから抜け出す」には2年を要したという。実際、2018年には『ナルコス』にカメオ出演している。
前世紀から世界を沸かせ続けるシャキーラ。コンサート、新作発表、プロモーション、ツアーと最前線で活躍する一方、家庭も抱えている。どう考えても無茶だ。
その結果、2017年に右声帯から出血。ツアー「El Dorado World Tour」を中断しなくてはならなかった。
シャキーラ本人が『ガーディアン』誌のインタビューに打ち明けたところによると、声を失った彼女に残された選択肢は2つ:「手術か神頼みか」だ。手術を選んだシャキーラは、1年後にワールドツアーを再開することができた。
デビュー以来、何もかもスケールが大きいジャスティン・ビーバー。何百万人ものファン、個性的な言動で招いた批判、セレーナ・ゴメスとの恋愛騒動やヘイリー・ボールドウィンとの電撃婚などなど、枚挙にいとまがない。
そして2019年、ついにインスタグラムにメッセージを投稿:「ストレスに押しつぶされるのを避け、結婚生活を維持して理想の父親になる」ために活動休止すると宣言したのだ。
今のところ、円満な結婚生活を続けているジャスティン。仲良しカップルに子供が誕生する日も近い?
『ジュピター』(2015)が大コケしてすっかり気落ちしてしまったチャニング・テイタム。しかも、マーベルヒーロー、ガンビット役で主演するはずだった映画は計画が立ち消えに。
その上、2018年にジェナ・ディーワンと離婚。その結果、しばらく俳優活動を休止する決断に至った。
4年間の充電期間を経て立ち直ったテイタム。ゾーイ・クラヴィッツとの関係も順調、かつてないほどフレッシュに再スタートを切った。
2012年、ラッセル・ブランドとの離婚で活動休止を検討したが、結局、それが実現したのは2014。そして、その決断は正しかった。
2017年のグラミー賞授賞式では司会者のライアン・シークレストに、休暇は「メンタルヘルスを保つため」と打ち明けている。
そして、オーランド・ブルームと付き合い始めたケイティ。長女、デイジー・ダヴ・ブルームの誕生もあり、幸せな日々を送っているようだ。
『デッドプール』でハリウッド有数の人気俳優になって以来、ノンストップで活動を続けていたライアン・レイノルズ。そして、2016年……
5年後、ヒット作で大いに稼いだ彼は本当に大切なことに気づいたようだ:家族だ。
2021年の終わりに『ハリウッド・リポーター』誌上で無期限の活動休止を発表したライアン:「家族との時間をもう少しとりたいんだ。時間は戻ってこないからね」こういう男はそんなにいない。
「クイーンB」ことビヨンセですら休暇が必要なのだから、私たちだって休みを取らなくてはいけないのは当然だ。
ビヨンセが長期休暇をとったのは2011年。ためらうことなく『ザ・サン』紙にその訳を打ち明けた。
「メンタルヘルスを維持するためにも活動休止が必要でした」なにしろ、20年以上にわたって米国音楽界を引っ張ってきたのだから。
エド・シーランが人生を根本的に見直すことにしたのは2016年だった。
仕事を休止して妻チェリー・シーボーンと向き合い、旅行をはじめ、小さな楽しみを見つけることにしたのだ。
さらに、スポーツや食事で健康に気を配り、依存症を克服したことで20kgも痩せたシーラン。生まれ変わりを果たし、歌手としても父としても活躍中だ。
『ジェームズ・ボンド』シリーズの主題歌「スカイフォール」で2013年にアカデミー賞を獲得したアデル。さらにセカンドアルバム『21』でも大成功を収めた。
しかし、アカデミー賞を手にする4か月前に母親となっていたアデルの心は決まっていた:すこし休みをとって幼い息子、アンジェロとの時間を楽しむことにしたのだ。
3枚目のアルバム『25』を成功させ、音楽シーンに復帰を果たすのは2015年まで待たねばならなかった。