セレブたちの危機一髪:あやうく命拾いしたスターたち
映画や音楽、スポーツの世界で大スターになったからといって不死身になれるわけではない。万が一、事故にでも遭えば、命の危機に直面するのは人間誰しも同じなのだ。そこで今回は、あやうく命を落としかけたものの九死に一生を得たセレブたちを見てゆこう。
まず、ご紹介するのは俳優のオーランド・ブルーム。1998年、当時19歳だったオーランドは転落事故に遭う。手術に加え18か月のリハビリが必要となる大ケガだった。本人がSNSで打ち明けたところによれば、「3階の窓から転落して背骨を骨折してしまったのさ。運良く脊髄は無事だったので生き延びることができた」とのこと。
アーノルド・シュワルツェネッガーの場合、あわやの大ピンチはバイク事故によってもたらされた。しかも、2度。2002年にロサンゼルスで転倒事故を起こし肋骨を6本骨折したほか、カリフォルニア州知事を務めていた2006年には息子を乗せてバイクで走行中に乗用車と衝突。唇を15針縫う大ケガを負ってしまった。
パンクバンド「ブリンク 182」の人気ドラマー、トラヴィス・バーカーは、2008年にサウスカロライナ州コロンビアで搭乗していた小型飛行機が離陸に失敗。生き残ったのはトラヴィスとDJのアダム・ゴールドスタイン(別名「DJ AM」)だけだった。この事故で友人を失い、自身も大ケガ・大やけどを負ったことから、以降13年間にわたって飛行機に乗ることはなかったという。
女優のドリュー・バリモアはトム・グリーンと同居していた2001年、就寝中の火災であわや命を落としかけている。このとき、愛犬が吠えたりドアを叩いたりして2人を起こしてくれたおかげで、九死に一生を得たという。しかし、自宅は焼けてしまい、70万ドル相当の損害を出すこととなった。
人気ゴルファーのタイガー・ウッズは2021年にロサンゼルス近郊で交通事故に遭い、右足を数カ所にわたって骨折。手術を受ける羽目になってしまった。ウッズの乗っていた自動車は道路のはるか彼方で横転したため、消防が出動してウッズを救出しなくてはならなかったそうだ。
エンタメサイト「TMZ」によれば、俳優のジェラルド・バトラーは2017年にバイクで走行中にはねられ、入院することになったという。また、2012年には『マーヴェリックス/波に魅せられた男たち』のロケで岩に激突して救助されたことがあるほか、2023年には映画『プレーン』の撮影で顔に酸を浴び、やけどを負っている。
操縦士のライセンスを持つハリソン・フォードは空の事故で何度もあやうい目に遭ったことがある。たとえば、2015年には操縦していた飛行機が離陸直後にゴルフ場に墜落し、足首と骨盤を骨折して入院。さらに、1999年と2000年には緊急着陸を強いられ、2017年にはあわや衝突事故寸前に至ったほか、2020年には滑走路上で他の飛行機とスレスレですれ違う事態となっている。
英国のロックバンド「デフ・レパード」のドラマー、リック・アレン。1984年12月31日にシェフィールド(英国)郊外で飲酒運転を行い、道路の向こう側の畑に投げ出される大事故を起こして左腕を失ってしまう。しかし、片手専用のドラムを用いて音楽界への復帰を果たしている。
リンジー・ローハンもまた、大きな交通事故に遭ったことがあるセレブの1人だ。2012年、サンタモニカ(カリフォルニア州)の高速道路を走行中に、リンジーが乗っていたポルシェがゴミ収集車に激突。ポルシェの前面は大破したが、リンジーおよび同乗していた男性は無事だったという。
スーパーマン役で名高いクリストファー・リーヴは馬術競技に参加していた1995年5月27日、乗っていた馬が障害物の前で急停止して落馬。脊髄を損傷し、一命はとりとめたものの車椅子生活を余儀なくされてしまった。 その後、 2004年に心不全のため死去。
ダニエル・ラドクリフもまた、映画『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(2005年)の撮影中にヒヤリとさせられたことがある。水中で撮影を行っていたところダニエルはパニックに陥り、撮影陣総出で救出にあたったとのこと。
2009年にガンでこの世を去った、俳優のパトリック・スウェイジ。1998年に乗馬中の事故で両足を骨折したことがあるほか、2000年には操縦していた小型飛行機が街灯に激突、緊急着陸であやうく難を逃れている。
U2の歌手ボノおよび同乗者はダブリン・ベルリン間をプライベートジェットで飛行中、高度2,450メートル地点で後部ドアが脱落する事故に遭ったが奇跡的に無事だった。『デイリー・メール』紙にコメントを寄せた専門家いわく:「非常に幸運だった。そのまま一気に墜落するおそれもあった」
『ダーティ・ダンシング』でパトリック・スウェイジと共演したジェニファー・グレイもまた、当時の交際相手だったマシュー・ブロデリックが運転する車で交通事故に遭っている。2人は無事だったが、もう一方の自動車を運転していた63歳の女性と28歳の娘は命を落としてしまった。
2023年のアカデミー賞授賞式や、FIFAワールドカップ・カタール大会の開幕式に登場したモーガン・フリーマンの左手には手袋が。その理由は2008年の交通事故にある。モーガンの自動車は道路をはずれて転がり、手の神経に深刻な損傷を受けてしまったのだ。
グラミー賞を何度も獲得したことで知られるキューバの歌手、グロリア・エステファン。1990年のツアー中にグロリア一行が乗ったバスがトラックと衝突し、背骨を損傷してしまった。後遺症でしばらく歩くことができなかったという。
俳優でコメディアンのケビン・ハートは、2009年にカリフォルニア州で交通事故に見舞われた。ケヴィンの車は道路から側溝に転落し、背骨の損傷で緊急手術を受ける事態となったのだ。これを受けて、Instagramに投稿した動画のなかで「無事に明日がやって来るとは限りません。今日があるのは当たり前ではないのです」と述べている。
クリスティアーノ・ロナウドはマンチェスター・ユナイテッドに所属していたころ、フェラーリでトレーニングに向かう途中、大事故を起こしている。愛車がトンネル内で制御不能に陥り、ガードレールに激突してしまったのだ。この事故の結果、フェラーリは大破したが、本人は奇跡的に無事だったそうだ。
代理人が『Deadline』誌に明かしたところによれば2022年、ノーマン・リーダスは『ウォーキング・デッド』のダリル・ディクソン役を演じていたとき、撮影現場で脳震盪を起こしたことがあるという。また、2005年にもトラックにひかれるという事故に見舞われている。『エンターテインメント・ウィークリー』のインタビューのなかで当時を振り替えったノーマンは「頭はハンバーガーみたいにグチャグチャで『もう俳優業は続けられない、終わったな』と思いました」とコメントしている。
2000年のクリスマス、女優のサンドラ・ブロックと恋人のボブ・シュナイダーが搭乗するプライベートジェットがウィスコンシン州のジャクソンホール空港で着陸に失敗。『ガーディアン』紙によれば、悪天候とパイロットのミスが重なって機体が損傷する事態となったが、乗客とパイロットは無事だったという。
2016年の夏、交際中だったニーナ・アグダルとレオナルド・ディカプリオはザ・ハンプトンズ(ニューヨーク州)で追突事故に巻き込まれてしまう。幸い、2人にケガはなかった。
ラッパーとして知られるカニエ・ウェスト(現”イェ”)は2002年、居眠り運転であやうく命を落とすところだった。対向車と激突するという大事故だったが、幸運にも顎の骨折だけで済んだという。これをきっかけに信仰を深めたカニエはファーストアルバム『The College Dropout』を産み出すこととなる。
ミスター・ビーン役で有名なローワン・アトキンソンは、1度ばかりか2度までも愛車のマクラーレン・F1で事故を起こしている。愛車は大破・炎上してしまったが、本人は2回とも自力で脱出に成功した。
『The O.C.』で一躍脚光を浴びた女優のレイチェル・ビルソンはティーンエイジャーのころ、兄の友人たちとともに交通事故に巻き込まれ頭を強打。そのまま数日間にわたって意識を失っていたという。その結果、右目の上に傷が残ってしまったほか、ときおり偏頭痛や記憶喪失に見舞われるようになってしまった。
『ライフ』誌のインタビューに応じたジョニー・デップは、ブルース・ロビンソン監督とともにロサンゼルスに向かう飛行機の中で恐ろしい目に遭ったとコメント。いわく、「一瞬、宙に浮いたと思ったら不気味に降下しはじめたのがわかった。時間が奇妙なほど長く感じられたよ」とのこと。エンジンの停止が原因だったが、すぐに復活したため大事にならずに済んだ。
ベネズエラ人歌手のカルロス・ボーテはアルゼンチンでのコンサートを前に、ひどいバイク事故にあった経験を明かした。いわく:「若いころ大事故で命を落としかけたことがあるんだ。以来、家族を安心させるため、バイクに乗るのは控えているよ」
映画『いま、輝くときに』(2013年)で知られるようになったマイルズ・テラーは、2007年に交通事故に遭ったことがあると『ハリウッド・リポーター』誌に明かしている。それによれば、友人2人とコンサートから戻る途中、乗っていた自動車が8回も横転、マイルズは車外に放り出されてしまったという。顔に残された傷跡はそのときのものだ。
『ビバリーヒルズ高校白書』のブランドン役で人気を博したジェイソン・プリーストリーは2002年、ケンタッキー州で開催された自動車レースに参加し、時速290キロで壁に激突。頭部外傷に加え、両足および背骨を骨折するという大ケガを負い、手術を受ける羽目になった。
CNN放送の報道によれば、コロンビアのミュージシャンJ・バルヴィンは2016年、搭乗した小型機が離陸直後に不時着するトラブルに見舞われたという。本人はSapchatの投稿のなかで、「飛行機がクラッシュしました(中略)。でも、わたしたちは助かりました。神はわたしが今日死ぬのを望まなかったのでしょう」とコメントしている。